主な活動場所
東京都国立市 中央郵政研修センター

 楽団創立70周年!その8 (さかきばら回顧録③)

2020-09-13
 私が入団した昭和57年は、一般の方を対象とした「演奏会」は開催していません。(郵政省部内の演奏は年数回開催していましたが…)
 翌年に開催した演奏会が「第10回」ですので、楽団創立30年を超えている歴史の割には一般の方を対象にした演奏会が少ないのが分かります。

 昭和58年の第10回演奏会は、新橋のヤクルトホールで開催されましたが…正直、このとき何を演奏したかまったく覚えていません。多分、コンクールの前なので、のちに予選落ちになる、「オルガンソナタ」は演奏していると思うのですが、あと「リシルド序曲」も演奏したような…
 ホールは客席600弱、ステージの広さもまずまずだったのですが、実はこのホール、ステージの真ん中から客席の半分ぐらいまで、花道(ランウェイ)が設置されていました。さらに反響板がなく、カーテンが降りているため音響的には…乾いた音ばかりして…演奏会後、演奏会委員を務めた先輩が、「下見していなかった⁉️」と謝っていたのが記憶にあります。翌年の第11回から3年間ぐらい、私榊原が演奏会委員を務めることになります。

 第11回は、千代田区の「一ツ橋ホール」で開催しました。このときは客席が広過ぎました😭800席の会場で聴きにこられた方は200人ちょっと…リハーサル?と感じるぐらい客席がまばらでした。
 演目は、一部「タンホイザーマーチ」、「プレリュードとフーガニ長調」、「甘き死よきたれ」、「管弦楽組曲第3番」とタンホイザー以外は全てバッハ !。
 二部は、「エミリー」(斉藤先生Saxソロ)、「シー・スケープ」(大沢先生Eupソロ)、「吹奏楽のためのバラード」、「インビクタ序曲」とポップス系は一切なし‼️のプログラムで、アンコールもマーチ「ウィーンはウィーン」で当時の楽団の方向性が現れています。アンコールはマーチ一曲で終わるはずだったのですが…紙谷先生が気を良くしたのか、練習でカットになった、アンダーソンのプロムナード❗️と合図があったものだから数人が楽屋に楽譜を取りに行く騒ぎに^_^💦ま〜アンコールらしくなって良かったかも…です。
 斉藤先生と大沢先生には第12回演奏会でもソロをお願いしています。ソロが入るとプログラムを組むのが楽になるので…

 第12回から第15回まで芝公園のABCホールで開催しています。そうそう、このころまでは、演奏会は金曜日の夜、入場料をいただいて開催していました。ABCホールを選ぶにあたり、実は都内のホールを40箇所ぐらい下見に行き、実際にステージに立ったりしていました。東京文化会館にまで連絡して「うちはオーディションがありますよ!」と言われたことも…田舎から出てきた世間知らずでしたから^_^
 客席数やステージの大きさ、料金、そして練習場に近い!がABCホールを選んだ決め手です。(本当は青山の草月ホールが良かったのですが料金が…)
 第12回で、これから長〜い付き合いになる一曲を演奏しています。そう‼️「寂しくないですか」です。私的には、この12回演奏会が過去の中で一番良くできた演奏会でした。(録音テープあります。聞きたい方はご連絡を)
 この寂しくないですかですが、日本橋三越さんでの演奏会でのお披露目が初演だったと記憶してます。

 第13回演奏会もABCホールで、トロンボナンザ、クラリネットアレグロ、トランペット吹きの子守歌、哀愁のアダージョとソロ曲を多く入れたプログラムを組みました。トロンボナンザは当然、私がファーストソロを吹いています。まずまずの出来だと思います^_^。寂しくないですか、はこの回は演奏していません。まだ定番になっていなかったんですね。

 第14回演奏会ですが、私は演奏会委員ではないのですが、企画が思うように進まなかったみたいで、止めようか?等の意見もあったようなのですが、突然、「郵政音楽祭」の開催の話が出て、共催する形で話がまとまりました。楽団はプログラムを絞って演奏会を開催でき、郵政音楽祭は開催の実績が作れる!一石二鳥⁉️ですかね^_^
 このときのグランドフィナーレで、寂しくないですかを再び演奏します。以降、郵政中央吹奏楽団の演奏会は、「寂しくないですか」で終わるようになります。

 次の第15回演奏会でABCホールは最後になります。その大きな理由は、団員の増加!団員が増えてきてABCホールのステージが手狭になり、もう少し広いステージが必要になったからです。嬉しい悲鳴!?というところでしょうか^_^

 次回演奏会で35回!どんな演奏会になるのか^_^?楽しみです。
 では、長くなったので、今回は…👋