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名古屋大学附属中学校・高等学校14回生の同窓生のホームページです。

苦(く)楽(ら)吸(す)人(びと)つれづれ日記

2019年06月18日
苦(く)楽(ら)吸(す)人(びと)つれづれ日記
作 : 奥田 政吉
はじめに

 苦楽吸人つれづれ日記の「苦楽吸人」とは、くらすひと=暮らす人、なるほどその意味はもちろんあります。そこで、少々ネーミングの由来についてご説明申し上げます。
 例えば人生、苦しい、苦しいの連続の道を選びますか?それとも楽で、楽しくってしょうがない、そんな道を選びますか。

 大学時代に自転車で東京まで行ったことがあります。国道1号線をひたすら東へ、潮見坂と箱根の坂はきつかった。頂上までの果てしないと思われる登り、トラックに止まってもらって運んでもらったら、どんなに楽だろうと思った。しかし、下りは壮快だった。イヤ、むしろ危ないくらいだった。どんなに苦しかろうとひたすらそのことにのめり込む人生、それもいいだろう。ひたすら楽しいことを追い求める人生それもいいだろう。しかし、苦しいだけでは視野が狭くなる。楽しいだけでは視野が浅くなる。どうしたものだろう。

大袈裟に言えば苦しくても、それは世のため、人のために使うエネルギーであれば苦ではない。大袈裟に言えば楽も世のため、人のために役立つのであれば、楽ではない。そこで苦も楽も少しは人に、地域に、喜んでもらえる、そんな方向を目指すことが出来ないだろうか。苦も楽も吸える人になれたら、そう考えて苦楽吸人と号する?ことにしました。

 勿論のこと、それは理想であって、さっさと何事にも体が頭がついていくわけではない。むしろ出来ないことのほうが圧倒的に多かった。そこで、そんな自分を励ますために、生徒向けの学年通信を通じて、そうしたら、そうやったら、と道を探り始めたのが「苦楽吸人つれづれ日記」でした。中国の古典の、誰もが知っているような言葉を中心に、わかりやすく、毎月、毎月、こうしたら、ああしたら、と生徒に提案し、共に頑張ろうと日々を過ごしてきました。定年後も、この考えを止めることなく、毎月つれづれ日記を書き続けてきました。おかげで200号を越えるところまできました。

 今回は古希を記念して、その中から苦楽吸人本人が特に気に入った?31のお話をまとめて冊子らしきものにしてみました。同窓会の便りに容れたものも多く入っています。少し一般的に表現を変えてみましたが、内容的には変わってはいないと思います。

 われわれ附属14回生と附属の年齢は同じです。日本国憲法の歳とも同じです。大家族制のような空間で生活を共にしてきた私たち。その私たちの考え方、生き方の確認のお役に立てばうれしい限りです。いつまでも、附属の精神を心に持ち、老人とは言わせません。人生の豊かな経験者として、これからも元気に、苦を楽を世のため、人のために、少しでもいいのです、我々の人生を役立てていこうではありませんか。

苦楽吸人つれづれ日記 目次

1はじめに
2目次
3故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る
  論語
4少年老い易く学成り難し
  偶成
5九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)にかく
  書経
6覆水盆に返らず
  通俗編
7天下同人
  易経
8春は百花有り 秋は月有り・・・
  無門慧開
9造物は涯(かぎ)りあり、しかして人情は涯無し
  呻吟語
10大国を治むるは小鮮を煮るがごとし
  韓非子
11人の患は、好んで人の師と為るに在り
  孟子
12高山に登らざれば、天の高きを知らざるなり
  荀子
13浦島太郎
  御伽草子
14尽く書を信ずれば、則ち書無きに如かず
  孟子
15井の中の蛙大海を知らず
  荘子
16蝦蟇(がま)日夜鳴けども、人これを聴かず
  墨子
17君の読むところのものは、古人の槽粕(そうはく)のみ
   荘子
18水を渡りまた水を渡り、花を看また花を看る
  高啓の詩
19蛾を憐れみて燈を点せず
  菜根譚
20欲は従にすべからず。志は満たすべからず
  禮記
21大器は晩成す
  老子
22水清ければ大魚無し
  後漢書
23生徒主権
  A&O
24養いて教えざるは、父の過ちなり
  三字経
25彼を知り己を知れば、百戦殆(あや)うからず
  孫子
26人間至る処青山有り
  月性
27山中の賊を敗るは易く、心中の賊を敗るは難し
  王陽明
28轍鮒の急と無用の用
  荘子・老子
29歳月は人を待たず
  陶淵明
30花咲爺
  御伽草子
31春秋に富む
  史記
32積善の家には必ず余慶あり
  易経
33愚公山を移す
  列子
34おわりに



故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る。
 (昔のこと、歴史を研究して、そこから新しい知識や考え方を見つけ出す。論語)

 実際には、歴史の知識は豊富でも、そこから新しい考え方を引き出せない人も多い。こんな人を「陸沈」と呼ぶ。陸で沈む。陸上で水死するという皮肉である。私なんか陸沈かなあ、と思う。確かに知識はあれど?何も学んだという自覚がないし、いつも同じ失敗ばかりしている。歴史に学ぶということは、同じ過ちを決して繰り返さないことだが、なかなか過去の失敗をこれからに生かすという自覚がない。反省、反省。

 日本の将来はどうなるのだろう。高齢化はますます進み、少子化には拍車がかかる。日本の人口はやがて5000万人を切り、江戸時代の終わりの頃の人口になってしまうかもしれない。産業は働き手が減り、技術は外国に学ばなければならなくなるかもしれない。まさしく黒船が来た時のように、日本はなるのかもしれない。ましてや世界は至る処で戦争である。発展と平和は誰もが望んでいる。
 では、どう考えればよいか、どう行動すればよいのだろうか。私は提案したい「こうあるべきだ、という将来に自分たちを置き、そこから直線を引いてきて、現在の状況を見てみることが大切ではないか。そうすれば、どんな道筋を通ってその将来に到達したらいいかがわかって来るのではないか。」温故をすすめて温先(将来を尋ねる)ではどうか。将来をしっかりと見据え、我々が出来ることは何か。何をすれば少しでも日本の将来に貢献出来るかを考えよう。自分の趣味も勿論大切だが、果たして自分だけのことを考えていて事は済むのだろうか。

将来から現在を看てみる。例えば戦国時代で有名な北條早雲。彼が戦国大名のスタートを切ったのはなんと56歳である。伊豆に攻め込み、また相模にも進出し、小田原を奪って小田原城を築いた。なんと相模一国を制圧し、その3年後に88歳の天寿を全うした。即ち、彼は現代でいう「定年」の年齢から新しい人生をスタートさせたのだ。定年から戦国大名となって、見事に伊豆・相模を奪ったのである。戦国大名として両国を支配するという将来を描き、そこから直線を引いて来て色々な道筋を考え、行動を起こしていったわけだ。まさに人生定年からである。彼には面白いエピソードがあって、ある時、馬泥棒が捕まった。泥棒は罪を裁かれたとき「手前は確かに馬を盗んだが、あなたは国を盗んだ。罪はあなたの方が大きい」と叫んだら、早雲は豪快に笑って泥棒の罪を許したという。苦労人であり情け深い人だったのだろう。


 定年は終わりではない。新しい人生の始まりだ。古希はさらに新しい人生の始まりである。「温故知新」をさらにすすめて「温先生新」といこうではないか。



少年老い(お)易く学(がく)成り難し。
 (月日のたつのは早く、若いと思っていてもすぐに年をとってしまう。だから時間を無駄にせず、一所懸命に勉強しなければ。                           偶成)

 「偶成」と題されたこの詩は「一寸の光陰軽んずべからず・・・」と続く。少年時代の楽しい夢を見ているうちに老人になってしまう、という意味を、春の草や秋の木の葉にたとえた。日本の室町時代前期の坊さんの作と言われている。

 「人間とは、道具を使う動物である」イギリスのカーライル。「人間とは取引をする動物である。犬は骨を交換しない」同じくイギリスのアダム・スミス。もっとさかのぼれば6世紀のイタリアの哲学者、ポエテイウスは「人間は理性を持つ日本足の動物である」といった。これもまあその通りだけれど、理性を失ってとんでもないことをしでかすのも、また人間。新聞・テレビで「とんでもないこと」、人間として「してはいけないこと」をしてしまった人間を探すのに苦労はない。

 昔からいろいろな人が「人間とは?」という質問に答えてきた。誰もが知っているのがパシカルの「人間は自然のうちでも最も弱い一本の葦に過ぎない。しかし、それは考える葦である」が有名だ。「考える葦」なんて、なんて上手い表現だ。とても、私など凡人には考えもつかない。でも、自分なりに「人間とは?」の答を出すことは、できるかもしれない。そこで、私も試みてみた。「人間とは、反省する葦である」。テレビでも「反省ザル」がいたことがあった。「ハンセイ!」と言われて、それらしい格好をしてみせる、あのサルである。もちろん実際にはハンセイなんかしているわけがない。反省は、人間の特技なのだ?

「少年老い易く・・・」も、反省から生まれた言葉に過ぎない。反省しているのは、私のように年老いた人間だ?。自分の生きてきた道を振り返って、ああ若い時もっと勉強しておけば、あの時こうしておけば、などなど反省する。だから若い世代に向かって諭すのだ。でも、思い返してみると若い時は言われてもなかなかその気になれなかった。「なにを年寄りが偉そうなこと言って」。何故人生の先輩の忠告を聞こうとしなかったのだろう。それは多分、ずーっと若者でいられると思い込んでいたからだと思う。だってあの頃は1日が長かった。しかし、人間は必ず老いる。そして1日が短くなる。「もう1年経ってしまった。時の経つのははやいなあ?」そして反省し語る、「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず・・・」


人間とは、繰り返す葦である。





九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)にかく。
(あと一息のところで成功するのに、ちょっとした油断ですべてが水の泡になってしまう。
書経)

 九仞の仞とは、土を盛り上げてつくった高い山のこと。簣は現在の一輪車みたいなもの、一杯分の土という意味。山をつくろうと営々と土を運んでも、最後のもっこ一杯分の土が欠ければ完成しない、というのがもとの意味である。

 甲骨文字で有名な殷が滅んだ後、周という王朝ができる。この周をつくった文王の息子召公が、兄の武王を諫めていったとされている。「朝に夕に、自分の行いに気をつけて努力を重ねないといけないのです。小さなことであっても気持ちがしっかりしていないと、いつかは取り返しがつかないことになります。」・・・このあとに九仞の功をという譬え話が出てくる。本来は、いつも正しい行いをするように努めなさいだが、一簣にかくの方にいつの間にか重点が移ってしまって、油断大敵、火がボウボウなんて使われ方が中心となってしまった。

 何かがほとんど完成しそうになると、人間はとかく気がゆるむ。飛行機は着陸するときが一番危ないんだそうだ。ハドソン川の奇跡なんて言われたが、最後まで気を緩めない人は立派だ。成功した直後こそ、一番気をつけなければと思う。かの有名な徳川家康も同様なことを言っている。「百里を行くものは九十九里を半ばとせよ」と。そのとおりだろう。大切なことは成功した、完成したということにより、その結果をいかに持続出来るかだ。江戸時代が200年以上続いたことには理由があるわけだ。

 努力は私の苦手中の苦手。できれば努力せずに成功を手に入れたい。努力せずに成績が上がったら、なんとうれしいことか。けれども、そうはいかないことはジュウジュウわかっている。宝くじではないが、額に汗水垂らさないで7億円が当たれば、きっとそのお金は嫉妬や寄付に消えていくだろう。泡は所詮泡なのだ。

 でも、私は最後の最後まで努力だ、油断するなと叱られ続けるよりは、日本式の言い方の方が好きだ。「一簣の土より功を(成す)」だ。千里の道も一歩から。そう考えた方が気楽だし、希望の言葉になる。人間は叱られるより励まされる方がやる気がでること間違いなし。


 油断するなと叱られるより、努力しろと励まされる。可能性を信じること、希望を持つこと、それがなにより大切なことではないだろうか。



覆水(ふくすい)盆に返らず。
(一度してしまったことは、取り返しがつかない。               通俗編)

 呂尚・別名太公望(日本ではこちらの方が知名度が高い)は毎日、本を読みふけり、釣りをして日々を送っていた。妻は愛想を尽かして去った。のちに尚は、その知識と才能を見いだされ、高い地位に就いた。すると、もとの妻は復縁してくれと望んだ。尚は盆の水をこぼし、「この水を元に戻せるなら、願いを聞こう」といった。「いったん別れた夫婦の仲は元通りにならない」が本来の意味。そこから「一度してしまったことは、取り返しがつかない」という意味が生まれた。

 「覆水」は本当は「盆に返らず」なのだろうか。ここで発想を変えてみよう。中国の伝説の偉大な王である堯が、舜(この人も伝説の偉大な王)に言ったんだそうだ。「私はずっと遠いところにある三つの国を攻めたい。王になってから、あの三つの国が気になって仕方がないのだ」この答えがすばらしいというか、発想の転換だ。「おやめなさい。三つの国は確かに未開の種族です。でも、私たちと風俗と習慣が違うからといって、どうして彼らを気にする必要がありましょう。」

もし堯が、止める舜を振り切って戦争を始めたらどうだったか。たぶん強力な軍隊を持つ堯は勝つ。が、一方で相手の国の住民も兵隊も、大勢の人たちが命を失う。堯の国の兵だってすくなからずの人が命を落とす。では、戦いの途中で堯が「何の罪もない人たちを無惨に殺すこの戦争は全く意味がない」と悟って軍隊を引き上げさせたらどうだったか。相手の国も、自分の国も、ともかくそれ以上死んだり負傷する人は出ない。無益な戦争を始めた堯の評判は良くないだろうが、もしかしたら「戦争を中断したんだから、あの王はやっぱり偉い。なかなかできることじゃない」と、かえって賞賛されたかもしれない。無理矢理こちらの思いどおりさせるより、「それぞれが、それぞれで、いいのではないか」。

 だから、この話はこう考えよう。こぼれた水を全部盆に帰すことはできない。けれども一部を戻すことなら、決して不可能ではない。一度してしまったことはなかなか取り返しがつかない。でも、何もかも駄目になってしまったわけではない。取り返しのつく余地だって必ずあるはずだ。

 生活力のない夫を見捨てて、その夫が出世すると元の夫婦に戻りたいといった妻は、打算的な女性と見られても仕方がないが、遊んでばかりいた呂尚も、夫としての責任を果たしていないのだから、どっちもどっちだと思う。「盆の水を元に戻せ」は、少々意地が悪すぎる。せめて「元に戻せなくとも、出来るだけたくさんすくって、盆に戻そう。お互いががんばれるところで頑張ろう」ぐらいの言い方をしてほしかった。


 失敗はやむを得ない。でも取り戻そうとする努力が大切なのではないだろうか。
天下(てんか)同人(どうじん)。
(人と協力して大きな計画を成し遂げるには、私的な立場を忘れて取り組む。    易経)

 天下同人は、人の和をもって世の中の閉塞を切り開いていく。人が志を同じくして協力したならば、世の中に立つ大きな計画を成し遂げることができると教えている。社会に下層の、力の弱い大衆から発した結集して上を動かし、大きく世の中を動かす。柔軟で和やか、賢く聡明なところに強い力は集まる。

 では奇跡を起こすにはどうすればよいか?自分の日常を離れ、公平でオープンな立場に立ち、自分のプライドや私的な立場にこだわってはならない。その名のとおり「同人」なのだから、人と心を一つにしなければならない。つまり、志を一つにしなければならない。
志とは、いま世の中が望んでいること、すなわち世の中の役に立つということである。そのためには地位も、名誉も、家柄もなくして、時には家族も友達からも離れて公平無私の立場に立って、「無名の人」として行動しなければならない。つい気心の知れた人と手を組みたいと思うのは人情ではあるが、そうすると甘え、馴れ合いができて公平を欠くことになる。ましてやコネを使ってなんて考えていればなにをか言わんやである。断っておくが、もちろん性格や考え方に違いがあっても構わない。

 「私はできない」などと決して言わず、人びとが望むこと、役に立つことを広い視野で考え、賢い判断をどう下していくか、それを教えているのが「天下同人」である。
 だは、それを具体的に易経の卦でたどってみよう。まず、みなの意見を公平に聞いてまとめをする役目の人物が必要である。続いて、このまとめをする人物はいちばん強い人を見て行動してはいけない。へつらいに移り和が乱れる。次に強引に事を進めようとしてはいけない。自分の意見を誇示してはいけない。人の和の中に入るには、志を合わせることが一番大切なこと。色々と邪魔をされ、泣かされもするが、最後にその志がかなって、喜び笑える時をえがいて耐えることが大切である。

 天下同人が教えているのは、「強い絆で結ばれた人の和」。行き詰った状況や、そんな世の中を切り開いていく力は、志を同じくした人びとの結束力、実行力である。ゆめゆめ自分の住んでいる地域だけ良くなればいいやとか、自分たちの置かれている状況だけが改善されれば良いとか、そんな狭い視野で物事をとらえてはいけない。より多くの人びとに役立つにはどうすればよいか、という発想の転換が常に必要である。高い志を持つ人が心を同じくすれば、金属をも断つ。不可能は可能となるのである。


私・俺は後に回そう。高い志と心を合わせて不可能を可能にしよう。


春は百花(ひゃっか)有り 秋は月(つき)有り 夏は涼風(りょうふう)有り 冬は雪(ゆき)有り。
(春はたくさんの花々、秋は月、夏は涼しい風、冬は雪。四季折々、すばらしい風景がある。なんと楽しいことか。                              無門慧開)

 十三世紀の中国・南宋時代の禅宗の僧、無門慧開の作、この後に「得をしたとか損をしたとか、そんなつまらない考えを頭から追い払えば、心は安らか。自然と同じように、人生も趣のある楽しいものになる」と言った言葉が続く。

 でも、日本にも優れた自然表現がある。言わなくてもみんな知っているだろう。かの有名な清少納言の「枕草子」である。「春の、夜がほのぼのと明けはじめる時間ってステキ、山の稜線がだんだんはっきりしてきて・・・。」
 「枕草子」的には、「春は曙」「夏は夜」「秋は夕暮れ」「冬はつとめて(早朝)」。彼女お薦めの日本の四季の自然、日本で生活できる幸せである。

 「セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ」、これぞ七草である。これぞ日本だと感じちゃう。四季の別がくっきりしていて、月日の移り変わりにメリハリがある。熱帯モンスーンのマニラだとか、サバンナのアフリカだとか、寒帯のアラスカ、砂漠気候のサウジアラビアなどでは絶対に思いつかない四季の表現である。

 「枕草子」には、春の曙にしても、夏の夜にしても、秋の夕暮れにしても、冬の雪にしても、それが絶対の一級品だとは書いてはいない。書いてはいないが、「曙ってステキ」「夜ってサイコウ」「夕暮れってステキ」「雪こそすべて」ということがよくわかる。

 何でわざわざこんなことを言い出したかというと、夏は冷房、冬は暖房。イチゴもトマトもハウス栽培。冬でもキュウリはスーパーに山積み。ウナゴも一年間いつでも食べられる。季節の野菜って何だろう。季節のお魚ってあったのだろうか。みんな養殖もの、ハウスもの、輸入ものなのだ。現代の生活になれてしまうと、夕暮れのすばらしさも、涼やかな風の心地よさもどこへやら。みんな、どれもこれも忘れかけてしまっている。私たちって本当に幸せなんだろうか???

 あらためて考えてしまう。幸せって、一年中食べたいものが食べられることなのだろうか。一年中同じ気温の部屋で生活することだろうか?


やっぱり自然に感謝できることが一番の幸せなのだ。




造(つくり)物(もの)は涯(かぎ)りあり、しかして人情は涯(かぎ)りなし。
(地球にある物質の量には限度があるんだ。ところが人間の欲望には限度がない。この欲望を野放しにすると、ロクなことにならないよ。                     呻吟語)

 日本ではあまり知られていない人物の言葉だが、実りある人生を送るには最適な指針書である。

 自動車の新しい燃料として、トウモロコシに光が当たっている。アメリカやブラジルでは、食糧や家畜のエサに使うトウモロコシから、燃料用トウモロコシの栽培に方向転換する農民が相次いだ。誰でもわかることだが、燃料用トウモロコシの栽培が増えれば、食料・飼料用に回るトウモロコシは減ってしまう。事実、世界はトウモロコシ不足に悩んでいる。地球上の物資には限りがあるのだ。とくに、発展途上国の貧しい人びとが食糧不足による影響をもろに受け、苦しんでいる。

 ところが、食糧不足なんか知っちゃいない、という人びとがいる。豊かな国の人たちだ。ある国では子どもたちは飢えにおびえ、別の国では子どもたちが食べ物を余して捨てている。日本はもちろん捨てている国だ。

 では、捨てている国の人びとはそれで満足しているのか。とんでもないことだ。これはまずい、もっとおいしいものが欲しいなどと言っている。人間の欲望にはキリがないのだ。物資には限りがあるのに。すると一体何が起こるのか?

 簡単な例を挙げよう。ここにケーキが一つだけあるとする。子どもが3人いるとする。3人ともケーキが食べたい。ボクがワタシが、と譲らない。譲らなければケンカになる。争いになる。

 ケーキではなくて石油・ウラニウムと考えよう。争いは兄弟げんかどころの騒ぎではない。ケーキは壊れてもあきらめもつくが。国と国との争い、とどのつまりの戦争となる。戦争ともなると、もはや悲惨そのものとなる。

 では一体全体、争いを避けるためには、どうすればよいのだろう。みんなが、それぞれ少しづつ我慢することである。ケーキは3人なら、3人で公平に分ける。確かに一人分は少なくなるが、ケンカにはならない。限りある物は皆で公平に分けるのが望ましい。そして、戦争は絶対に避けなければならない。


我慢することが大事だ。限りない欲望を抑える処方箋は我慢だ。




大国を治むるは小鮮(しょうせん)を烹(に)るがごとし。
(大国を治めるのは小魚を煮るようなものだ。小魚を烹るのにあまり動かすと、形がくずれ、まずくなってしまう。政治も同じだ。                       韓非子)

 大国を治めるのは小魚を烹るようなものだ。小魚を煮るのにあまり動かすと、形がくずれる。職人がちょいちょい職を変えていては、よい腕前にならない。何か形をつくるのに、しばしば計画を変更したのでは成功しない。百年の計ではないが、長い将来を見据えて一歩一歩着実に進むことが大切である。
 国の法令が改まると国の人びとの利害も変わり、利害が変わると人びとの励んでいる事も今までとは違ってしまう。励んでする事が違ってくるのは、何か作っている途中で仕事を変えるのと同じである。物事の用いかた・政治をする立場からいえば、民衆を動かすのに、しばしば使い方や税の集め方などを変えれば成功は少ない。大国を治めるのには、あまり法令を変えてばかりいると民が苦しむだけである。

 「綸言汗のごとし」というように、汗はいったん体から出てしまうと、もう二度と戻ってこない。だから、人間は言った言葉には責任を取らなければならない。事に臨むには基準がある。「私はこのようにすることが人生の、もしくは経営の基本理念である」と明言したとする。しかし、事情が変わったから、前言は取り消しだと言ったら人はどう思うだろう? ましてや思いつきや、他人の意見を鵜呑みにしての、取り消しだと判ったら、人はどう思うだろう? それは、むやみに小魚をいじくって、形をこわして、まずくしてしまうことと同じではないだろうか。民をいじくりまわして、果たしてそれが民のためになるだろうか。何があってもその方針を貫く。それが、人が信用してくれる唯一の道、ではないだろうか。

 晋の文公が原という町を攻撃したときの話がある。作戦期間は十日と結束した。さて、十日経ったが攻撃できない。文公は約束どおり引き揚げを命じた。たまたま、そのとき城内に潜入していたスパイが帰ってきて「敵は、あと三日もすれば降伏しますぞ」と報告した。参謀たちは「敵は弱り果てています。このまま包囲を続けましょう」と進言した。しかし、文公は「わしは作戦期間を十日と約束した。原を手に入れても、約束を破ったのでは何もならん。」そう言って、予定どおりに引き揚げを命じた。
 この話を聞いた原の人びとは「これほど約束を重んじる人なら、安心して従っていける」そう言って降伏を願い出た。この話を聞いた隣の衛の国も降伏を願い出た。


 人間しっかり汗をかこう。しかし、大切なことは絶対にふれないこと、何があっても約束は守ること。人生の基準、変えるは簡単、貫くは至難ということである。
人の患(うれい)は、好んで人の師(し)と為(な)るに在り。
 (人の弱点は、それほど力がないのに、ややもすると他人に向かってお説教をしたくなることだ。知ったかぶりはやめたほうがいいよ。口が軽いのは、自分の言葉に責任を感じていないからだ。考えなしにベラベラしゃべるのはやめなさい。                    孟子)

 「ここだけの話ですよ」「秘密の話だから絶対にしゃべっちゃだめよ」と前置きして、誰かにしゃべったとする。2・3日も経たないうちに、他の誰かから同じ話を、されに尾ひれをつけて聞かされる。そんな経験は珍しくないと思う。
 「他人の不幸は蜜の味」という言葉?がある。自分に関係のないうわさ話はとても甘くておいしいのだ。だから、世の中には「芸能リポーター」を名乗る、人のうわさ話が大好きな、それを商売にする人たちが、歌手や俳優の離婚・浮気などなどのうわさを血眼で追いかけ、なかには、うわさを作り上げてしまうリポーターまでいる。大勢のうわさ好きで無責任な人たちが、テレビで、週刊誌で、立ち話で蜜の味を楽しむ。

 人間に口がこんな風に軽いのは、いつの時代も同じだ。古代ギリシャの歴史家ブルタルコスも、その著書「英雄伝」ではこう言っている。「あまりおしゃべりだと、かりに本当のことを言っても疑われますよ。」

 おしゃべりと同様、説教について一言。「とかく説教したがる弱点」について。私も自分自身を反省するに、やや(かなり?)偉そうな話し方をする。いかにも知っているという話し方をする。職業上についた話し方だと自分を納得?させてはいるが。

 「あんたの考え方はなっちゃいないよ。もっと真実をよく見て・・・」私は偉くて、善い人でと
みられたくてしょうがない自分がいる。だから、「あんたはよくないんだよ」と、時には露骨に感情を伴ってお説教に夢中になる。自分の価値は他人が認めてくれてこそ価値なのに。自分を認めさせて仕方がない自分がいる。でも、よくこのことを振り返ってみると、自分で自分の価値を下げているのだ。忠告は誰も聞く耳を持たない。
 自分の言葉に責任を感じる。これは簡単そうで、なかなか出来ない。本当にその人を思う気持ちがどれくらい強いかということだ。心配してやっているのに!この言い方にすでに矛盾がある。本当に心配なら、真剣にそのことだけを思えばよい。人に何を言われようと、その人の事だけを考えていればよいのだ。これがなかなか出来ない。


 知ったかぶりは嫌われる。無駄なおしゃべりも嫌われる。人の価値は言った言葉ではなく、行った行動で決まる。言った以上やれよ、ということである。
高山(こうざん)に登らざれば、天の高きを知らざるなり。
 (高い山に登ってみなければ、天が本当に高いということに気がつかない。いろいろなことを勉強し、経験を積み重ねていくと、学問も人生も、とても幅が広く奥が深いものだとわかってくる。 
                                        荀子)

 人間の性格は「悪」であって、利益や楽しみを追い求めようとする側面をもっている。しかし、凡人であっても、努力さえすればこうした「悪」を克服できる。一生懸命学び続けることが大切なのだ。なんと生きる人に生きる勇気を与える言葉だ。結局は人間はどう生きてどう死ぬかだが、やっぱりしっかり生きていかねばと思う。

 親が子を愛し、子が親を殺す。そんなニュースが新聞にテレビにあふれている。生きる目的はカネとか快楽だけといった人々が、佃煮の小魚みたいに押し合いへし合いしている。やっぱり人間は性悪なのだろうか。しかし、人間は最後まで「悪」であるとは限らず、「悪」から「善」へと、意志と努力次第では変わることができる、人間変われなかったら、意志や努力という言葉は辞書にはない。

荀子は、「どんな凡人でも、禹(中国古代伝説上の聖人)になる可能性がある」とまでいっている。「高山に登らざれば、天の高きを知らざるなり」の前の文章は、「青い色は藍という草から作り出すが、もとの藍よりずっと青い。氷は水から生まれるが、水よりずっと冷たい」だ。
 荀子は二つ三つたとえ話をして「こうしたたとえと同じように、毎日自分の行為を反省し、学問に励めば、英知が増し、間違った振る舞いをしなくなる」と教える。
 説教も叱るだけではただの説教だが(誰も聞かないよ)、うまい言い方をされると「よし、やってみよう」と思うから不思議。説明じゃないんだ。納得するように話すことが何より大切。たとえ話の名人といえば荀子だ。経験と心がない人には話が出来ないのかもしれない。

 「高山・・・」の話の続きはこうだ。「深い谷を覗かなければ、大地がどんなに厚みがあるか気がつかない」「東西南北、どんな田舎に生まれた子供でも、生まれたときの泣き声に変わりはない。ところが成長するにつれて、地方地方の異なった風俗に染まって違うタイプの人間になっていく」。だから、一生懸命勉強しなさい。これが結論。私は納得してしまう。では私の結論。今日、誰かのために、そこへ行く、行動する。教育=今日行く、は大切だ。


人間は意志と努力で変わることができる、すばらしい存在なのだ。





浦島(うらしま)太郎(たろう)
御伽草子

 昔話、浦島太郎を読むといつも一つの疑問が出て来る。それは乙姫が「決して開けてはいけませんよ」と言って玉手箱を渡すシーンだ。そこで日本最古と言われる出雲の風土記の浦島太郎からこの疑問を迫ってみたいと思う。













 先ず面白いのは、亀=乙姫からプロポーズ。太郎も大人ですから結婚は考えていたでしょう。そこへ、願ってもないような理想の女性の登場、しかも乙姫のほうからのプロポーズ。二人の竜宮城での生活が始まりました。宝くじの7億円大当たり!の心境でしょうか。しかし、ここのところが少し問題。人間というのは何事においても努力が必要です。努力して自分の身につけた力は一生の宝です。ところが、何の努力もなしに7億円が現実のものになると、果たして結果はどうなるのでしょう。汗水垂らして稼いだ7億円と、宝くじで当たった7億円?さて結果はいかがでしょう。

 「開けてはいけませんよ」は何を意味する? 毎日贅沢三昧、果たして人はこのような生活にいつまで浸っていられるか? そう、やはり人間飽きが来る。おふくろさんも恋しい。家へ帰りたいなあ。そこで乙姫は玉手箱を渡す。寂しさに負けて家に帰った太郎。今更乙姫に会いたいとは言えない。言えないが乙姫には会いたい。再び宝くじ大当たり!の夢も見たい。エイ、開けてしまえ。ひょっとすると、乙姫に連絡がつく結果が待っているか? 改めて言うまでもないであろう。爺さんになって、顔を見ろ!しかし、最後の最後にやり直しのチャンスが待っている。ちゃんと救いがあるところがすばらしい。日本の昔話のすばらしさである。


 理想は来るものじゃない、自分の力でつかむものだ。挫折、失敗、しかし、やり直しのチャンスが残されているところがすばらしい。
尽(ことごと)く書(しょ)を信ずれば、則(すなわ)ち書(しょ)無きに如(し)かず。
 (本に書いてある事を無批判に受け入れるくらいなら、本など読まない方がいい。  孟子)

 高校生の時の卒業記念文集、活字で印刷されていた。これには感激した。エッ!どうでもいいことだって。自分の書いた文章が活字になったのを見たとき、なぜか、急に自分が偉い作家にでもなったような錯覚におちいった。よくよく考えてみれば、全員の文章が活字なんだから、私だけが作家になったわけではないが、とにかくうれしかったことを憶えている。

 人間という物は不思議なもので、「本はすごい、普通の人間では決して出せるものではない。多くの人に読んでもらえるだけの内容を持っている。新しい考えなどを広く世に問うなんて凡人が出来るものではない。わざわざ活字にするのだから自信があるのだ。」と、読む側は考える。少なくとも、私は本を出せる人はすばらしい頭脳の持ち主であり、学識豊かな人だと信じていた。

 しかし、20年以上前になるが、初めてパソコンを買った。テストの問題をパソコンで作った。なにか、問題が格調高く感じられた。手書きだって別に問題に変わりがあるわけではない。ただ、生徒の立場から言えば、下手な字で書かれた問題より読みやすくなっただけのことである。しかしである。活字は魔法なのだ。人間の感覚を狂わしてしまう。同じことが書かれていても、立派に見えてしまうから不思議である。

 個人的な文章や、テスト問題などは冷静に見ればただの文章だが、本となると違う。本にわざわざするということは、よほど正しいこととか、よほど研究されたこととか、よほど優れた文学だとか、と思ってしまうから不思議である。本屋の本棚を前に私は思う。私の文など決してこの棚には並ばないという自信?があるから、全部が全部正しいとはいえないまでも、「読んで知識を得なければ、新しい考えを学ばなければ」と、あせらせる魔力が本屋の本棚には潜んでいる。

 しかし、一つの説を信じるのではなく、他の説を比較しながら読んでいくと、案外どの本もいい加減というか、自信があるような顔はしていても、中身がないというか、学者の思い込みにすぎなかったりする本も多い、ということがわかってきた。ましてや、説を鵜呑みにして他人に得意げに話している人を見ると、やれやれと思う。私にもかつてそういう時代があった。ましてや人生なんて、という内容の本は、その通りに行えるわけはなく、本人が読んでその気になって、自己満足しているだけの代物である。100%信じるということは、100%信じないということと同じだと思う。


活字を読んだら立ち止まろう。立ち止まって、考えてみよう。



井(い)の中の蛙(かわず)大海(たいかい)を知らず。
(狭い知識にとらわれて、大局的な判断ができない。               荘子)

 ある時、蛙が東海の大亀に「私は全く愉快でならない。井げたの上でとびはねたり、中に入っては好きな場所で昼寝、気が向けば泳ぎ、泥遊びも自由気まま。赤虫や蟹やおたまじゃくしを見渡しても、私に及ぶものはないのです。その上、私はこの井戸の水をひとりじめして、破れ井戸を我物としているので、まったくこれ以上楽しいことはありません。全くこの世の中は私のためにあるようなものです。あなたもたまには入ってごらんになってはいかがですか。」と言って、大亀は井戸に誘った。
 ところが、東海の大亀がやってきて、いざ井戸に入ろうとしたところ、左足がまだ入りきらないうちに右の膝がもうつかえてしまった。そこで大亀は後ずさりしながら外に出て、蛙に海の話をした。「そもそも千里という距離も海の広さを形容するには足りない。千仞という高さも海の深さを言い表すには足らない。禹の時代に九回も洪水があったが、そのために水量は少しも増さなかった。湯の時代に八年間に七回も日照りがあったが、そのために水量は少しも減ったりはしなかった・・・。」蛙はこの話を聞いて恐れ驚き、ちぢこまって気抜けしてしまったということだ。鯨の話など聞いたなら腰を抜かしてしまったに違いない。

 人間って見えないんだ。他人には見えても自分には見えないんだ。何がだって、欠点だ。他人の欠点はイヤというほど見えるのに、自分はどこが悪いかと言われると、なかなか分からないものだ。イヤ、わかろうとしないものだ。他人の欠点が見えるほど、自分の欠点が見えれば、さっさと悪いところは直して、他人様のお役に立つことが出来るのだが。自分の欠点が見えないばかりに、イヤ自分の欠点を見ないばかりに、他人の悪口は言うは、ケンカはするはずである。

 それともう一つ困ったことがある。恰好だけは一人前で、中身の伴わない人が少なからずいる。理想理想と己を駆り立てて、無理矢理、出来もしないことをさもやったかのような顔をする。出来もしないことをさもやったかのような顔をすることほど恥ずかしいことはない。私もたまに?そんな顔をするときがある。出来ないことは出来ないで、それはなんら困ることではない。出来ないことを出来ると言うことほどみっともないことはない。人に褒めてもらうためにやっているわけではないのだ。
 認められようが、認められまいが、そんなことは私のやっていることと、やろうとすることと、何の関係もない。やれることをやれる範囲内で頑張ればいいのだ。本当に価値あることをやり通すことは孤独な戦いなのだ。でも心配することはない。頑張ってやり続けている人は、きっと誰かがほほえんで見ていてくれる。


蛙のようなこんな小さい世界しか知らない私でも、頑張り続ければ、きっと大亀のような、大海を教えてくれる人があらわれるに違いない。
蝦蟇(がま)日夜鳴けども、人これを聴かず
(おしゃべり、口数の多さ、調子に乗ったペラペラ。結構なことだ。喋っている本人は得意満面。でも、本気で聞いている人なんてまずいないんだよ。                墨子)

 ヒキガエルは昼も夜もひっきりなしに鳴くが、どれだけ頑張ろうが誰も聞こうとしない。ところが、ニワトリはちがう。一声「朝だよ!」と鳴けば、人びとはそれを合図に働き始める。意味のないおしゃべりは役にも立たない。お説教もたぶん一緒?

 2009年1月、バラク・オバマ第44代アメリカ大統領が誕生した。彼の選挙運動中の言葉は「チェンジ」だった。世の中を変える。しかし、簡単そうでもっとも難しいのは、自分を変えることである。自身の持つ欠点は誰も指摘してくれない。小さいときは「○○ちゃん、こういうことはしてはいけませんよ。これはあなたの良くない癖ですよ」とか、大人は教えてくれる。しかし、いい大人に「貴方はこれが欠点ですよ」と言ってくれる人などいない。言うのはかまわないが、百倍の罵詈雑言となってかえってくること間違いなし。それか、全く無視されるかのどちらかだろう。

 本当に自分を変えたいのであれば、その欠点に自分自身が気づき、身にしみて感じてこそ、初めて人は自分を改めることが出来る。人間は自身の欠点になかなか気づけない動物であり、気づいても知らんぷりをして通してしまう動物である。知行合一ではないが、行って、人が認めてくれてこそ、初めて変われたというべきである。頭が理解しても、体が理解しないのでは変わったとは言えないのである。

 書き言葉であっても、話し言葉であっても、言葉には命が宿っている。心のこもった言葉は、それを読む人、聴く人の心を打つ。真剣さにあふれた言葉を、人は真剣に読み、聴く。誠意を秘めた言葉に出会えば、人びとは誠意を感じとって姿勢を正す。対照的に、軽い言葉は、軽く受け取られる。内容が乏しければ、人びとは興味を示さない。ふざけた言葉として響く。

最近のテレビ番組のだらしなさといったらどうだろう。つまらないおしゃべりの類の話が多すぎる。つまらないからチャンネルを変える。おしゃべりを否定しようとは思わない。潤滑油として必要なことだってある。しかし、蝦蟇の鳴き声にしか聞こえないおしゃべりではむなしい。生命の宿った言葉が聞きたい。耳を傾けよう、私の悪いところを教えてくれる人がいる。目をこらそう、私の欠点を見せてくれている人がいる。見るもの、聞くものすべてが先生なのだ。そう考えれば腹は立たない。


言葉には生命が宿っている。心を込めて人に語ろう、そして聞こう。



君の読むところのものは、古人(こじん)の糟粕(そうはく)のみ。
(本は大切だ。言葉は大切だ。しかし、文章では、言葉で表すことができないことがある。それに気がつかなくては。春秋の覇者桓公と車輪づくりの職人扁さんの対話というところが面白い。
荘子)

 桓公(かんこう)が読書をしている部屋の外で、扁(へん)さんが車輪をつくっていた。扁さんが聞いた「殿さまが読んでいらっしゃる本にはどんなことが書いてあるのですか?」「昔の偉い聖人のお言葉だ」と桓公。「その聖人はまだ生きていらっしゃるんで?」と扁さん。「とっくに亡くなっておられる」「それでは殿さまが読んでいらっしゃるのは昔の人の残りかすですね」

 「無礼なことを言うな!」でも、扁さんはあわてない。「私は自分の経験から考えて申し上げているのです。車輪をつくるとき、削り方の加減がちょっとでも狂うと、心棒がきちんとはまりません。ところが、そのコツを息子にいろいろと言葉で説明してやるのですが、うまくいったためしがない。だから私はこんなトシになっても仕事を続けているのです。」

 扁さんの言葉は続く。「昔の偉い人の気持ちも、私と一緒だと思いますね。結局は言葉では伝えられないものと一緒に死んでいくしかないんですよ。殿さまが読んでいられるものが聖人の残り糟だと申したのは、そんな理由からですよ。」

 さて、扁さんが言いたかったことは何だろう? 扁さんは本の読み方を教えているのだと思う。大人や先生はよく口にする「できるだけ本を読みなさい。読書は大事だよ。」しかし、どんなふうに読めばよいのかを教えてくれた大人は先ずいない。たしかに若い頭の柔らかい時代にたくさんの本を読むことは大事だ。内容がドンドン入ってくる。

 読書の問題は内容をいかにつかむかだ。上っ面の言葉がどれほど美しくても、巧みでも、言葉は言葉でしかない。問題は言葉が持つ意味だ。言葉の陰に隠れている本当の意味だ。言葉を理解するということはその陰にかくれている本当の意味を理解することなのだ。鵜呑みにして、人に自慢するための知識を得る為の読書ではない。

 わかりやすく言えば、読んだら書いてあることについて、自分で考えて自分なりの言葉に置き換えることだ。アウトプットすることだ。自分はどう思うか、自分なりの言葉で意見を言ってみることだ。


鵜呑みはよくない。インプットしたら、つねにアウトプット(自分なりの言葉で話す、書く)することを心がけよう。

水を渡(わた)りまた水を渡り 花を看(み)また花を看る
(うららかな春。川を渡り、また川を渡る。道すがら、花を眺め、また花を眺めた。歩くのはナント楽しいことか。                             高啓の詩)

 ナントおおらかな歌だろう。春のうららの隅田川である。桜の花を眺めながら、堤防の上をのんびりのんびり歩く。「水を渡り また水を渡る 花を看 また花を看る・・・」声に出して歌ってみると気分そうかい間違いなし。

 私が子どもの頃、テレビはまだなかった。小学生の頃、電気屋さんの前でテレビを見ていたものだ。我が家にカラーテレビがみたのは東京オリンピックの時だった。バレーボールの女子を必死に見ていたことを覚えている。テレビゲームなんて勿論なかった。ゲームといえば「大富豪」だった。任天堂はトランプの会社だった。

 だから、遊びといえば路地裏で鬼ごっこや、メンコや、ビー玉遊びやその他諸々の遊びを考え出しては遊んでいた。もちろん独自のルールがあって、小さい子は特別にハンディを与えて仲間に入れて一緒に遊ぶのだ。大きい子も小さい子も皆一緒になって遊んだものだ。狭い空き地があれば野球だった。背番号3にはあこがれたものだ。ボールは雑巾を丸めたもの、バットはそこいらに落ちている木ぎれだった。

 外にいた時間が長かったというより、遊びといえば外だった。六年生ともなれば自転車で遠くの川まで魚釣りによくいったものだった。自転車というと聞こえがいいが、いまのそこいらに放ってある自転車よりはるかにボロだった。何故、外でばかり遊んでいたかというと、最大の理由は家が狭かったせいだ。狭い家でぎゅう詰めになって暮らしていた。私はその頃は兄弟がいなかったが、兄弟3・4人はざらだった。お古はあたりまえのことだったし、外で遊ばざるを得なかったというわけだ。

 今は全く事情が違ってしまった。子どもが少なくなり、一人に一部屋なんて家庭も増えてきた。家の中で過ごしても面白いことがいっぱいある。ゲームはいっぱいソフトがあって、どんなに長い時間を過ごしてもあきないだろう。あくる日、授業中居眠りする子、宿題もそっちのけの子も増えてきた。寒い日も暖かい部屋で遊べるんだから、我々の頃とは段違いだ。

 でも私は決して今の子どもたちを羨ましいと思わない。だって、損じゃないか。春の小川を渡って歩くことも、歩いていると色々な花が咲いていることも、外に出て歩いてみなければ分からないじゃないか。ケータイでも話はできるが、会って顔を見て話せば何倍も楽しいじゃないか。外に出れば、すばらしい歌を作るチャンスも生まれる。


諸君、ゲームをすてて外に出よう。花に会い、人に会おう。
蛾(が)を憐(あわ)れみて燈(ともしび)を点(てん)ぜず。
(蛾が火に飛びこむとかわいそうだから、ともしびをつけないでおく。そんなふうに、生きているものすべてに心を配ることが大切だよ。                    菜根譚)

 蛾の話の前に、原文では、ネズミの話が出てくる。「鼠のために、つねに飯をためる」=ネズミが飢えてはかわいそうだから、いつもご飯を少し残しておいてやる。そんな意味だ。菜根譚の洪先生は次のように自分の考えを記している。

 「私たちの先輩はネズミや蛾への心配りを教えてくれた。その通りだと私も思う。ネズミと蛾は一つの例え話であって、人間は、あらゆる生物に対して、つねに広々とした心で接しなければならない。そうした心を持てないとしたら、それこそ土や木と同じ程度の、何も考えない、セミの抜け殻みたいな存在になってしまう。」

 「そうか、動物愛護の精神か?」ちょっと違うかなあ。「木も花も大切にするということか?」ちょっと違うかなあ。きっと洪先生は「生命。いのち。大切なのはそのことだ。動物も植物も、みんな命を持っている。命そのものを大切にしなければいけないよ。」と教えているのではなかろうか。

 害虫というのはなにをもって害虫というかというと、人間にとって害をなすので害虫というわけである。蛾もネズミも、何も好きでそんな生活をしているわけでは無いだろう。これを広げて考えてみると、私達は自分の趣味、環境、仕事などなどで人を区別し、時によっては差別していないだろうか。それは少し考えなおさなければならない。

 人間や他の動物、植物に大きな害を及ぼすなら、ネズミは駆除しなければならないし、蛾がかわいそうだからといって燈火をつけないわけにはいかないだろう。しかし、これは人間の立場からの見方であって、そのこと自体はやむを得ないが、この地球で、すべての生物がそれぞれ幸せに生きていくためには、どうしても必要なのは譲り合いである。自分たちだけが幸せになればという考えは、果たしてそれでよいのだろうか。

 我々が生活していく中で、最も気をつけなくてはいけないことは、知らず知らずのうちに、自分の都合で人を見ていることではないだろうか。自分の人生のリーダーを務めるのは自分自身である。生命の大切なのをしっかり自覚し、偏った目で物事を見ないように極力気をつけていこう。


無差別平等、公平無私の目で人と接することが出来たら最高だ。自分の人生をリードするのは、自分自身だ。誰もが大切だという心で何事にも接しよう。

欲(よく)は従(ほしいまま)にすべからず。志は満たすべからず。
 (欲望を野放しにしておいてはいけない。望みは十分にかなえさせない方がよい。すべてを控えめにしよう。何もかも望み通りになるのは、よくないことだ。            禮記)

 「敖(おご)りは長ずべからず。楽しみは極むべからず。」と続く。傲慢な偉ぶった態度はそのままにしてはいけない。楽しみにおぼれていると、ロクなことにならないよ。

 原始の時代人間は火を手に入れ、利用することを覚えた。火はやがて戦いに使われるようになり、現在では人間は核兵器を持つに到った。進歩したのは技術、人間は大昔も現在もあまり変わっていない。

 ギリシャにアイソポスという人がいた。彼は鳥や虫たちを主人公にして物語を作った。
『冬のある日、蓄えていた食べものが湿ったので、アリがそれを乾かしていた。腹を空かせたセミが通りかかり、恵んでくれないかと頼んだ。「あなたはどうして夏のうちに食べ物を蓄えておかなかったんですか?」「歌を歌うのに熱中していて、暇がなかったんです。」アリがいった。「おやおや、それなら冬は踊りでも踊ることですね」・・・』もうわかったと思う。日本ではイソップとして知られている有名なお話しだ。その話は誰でも知っていると思う。

 あれ?その話、セミじゃなくてキリギリスじゃないの?セミの合唱は日本ではなじみ深い。だから世界のどこへ行ってもセミの大合唱だと思ったら大間違い。ヨーロッパではギリシャなど南の地方を除いて、セミはいない。イギリス・ドイツましてや北欧にはセミはいない。そこで、これらの国々ではセミをキリギリスに書き換え、それが日本に持ち込まれたというわけだ。

 アリは冷たすぎる。セミに食べ物ぐらい分けてやればいいのに。そう考える人は多いと思う。ましてや、助け合いが大切だと信じている人たちは特にだろう。しかし、これはどちらが大切かという問題とはちょっと違うと思う。アリが正しいと考えるのが普通だ。なぜなら、分けてもらったセミは安心して、次の夏もまた歌い続けるに違いない。人間にはそんな甘えたところがある。

 今も昔も人間の本質は一緒というところだろうか。しかし、日本には非常に良い言葉がある。「情けは人の為にならず」である。人の為に親切にしたことは、やがて自分に返ってくる。自分に直接返ってこなくても、子孫には返ってくる。人の為に行動することは結局は自分の為なのだ。くれぐれも言うが、甘やかすな、ではないよ。


人の為に行動すること・親切にすることは、甘やかすこととはまったく違う。

大器(たいき)は晩(ばん)成(せい)す。
(本当の大物は、若い頃は目立たないが、じっくり時間をかけて実力をつけ、やがて光を放つ。将来大物になるような人は、それまでは何の役にも立たない者のように見える。一説には科挙に落ちた人を慰める言葉とある。                            老子)

 もともとの意味は「本当に大きな器を作り上げるにはとても時間がかかる」とか、「とてつもない大きな器には、でき上がりはない」などの意味だった。
 老子には難解?な言葉が多い。「本当に明るい道は暗くみえる」「大なる音は聞こえない」「弱は強に勝ち、柔は剛に勝つ」「曲がったものの方が完全だ、ゆがんだものの方がまっすぐだ」「欠点を欠点とするから、欠点がない」「本当に平坦な道は険しく見える「天網恢恢疎にして漏らさず」などなど、数えあげればきりがない。

 「お前は大器晩成型だなあ」高校時代、たまにそう言われた。褒め言葉なんだが、なんだか褒められた気がしなかった。「大器晩成、大器晩成?お前いつになったら勉強するのだ」たぶん私はからかわれたのだろう。ことわざには、しばしば正反対の意味を持つものがある。例えばで言えば
「蛙の子は蛙」と「鳶は鷹を生む」とか、「酒は百薬の長」と「酒は百害の長」、ちなみに「大器は晩成す」の反対の言葉は「栴檀(せんだん)は双葉より芳し」(大成する人は子供の頃から優れている)である。

 そこで、私は「大器晩成す」を無理矢理信じて、そう思い込むことにした。へそが曲がってたんだねえ。「そうか自分は大器なのだ。だから晩成するのだ。現在はこんな程度だが、やがて私の本当の姿が見られる時が来るのだ」そう言い聞かせて、学校の勉強は怠けに怠けて、文学を読みふけった。言い訳はこうである。「将来大成するために、生きた漢字の勉強をしているのだ。若い柔らかい頭のうちに、美しい日本語をマスターするのだ」

 お陰でといおうか、中国の古典のことについては、自分で言うのも何だが、随分と詳しくなったと思う。もちろん、これが何の役に立っているのかと聞かれると???であるが。ハハハ。そうそう下らない戯言はこれぐらいにして、肝心なところを一つ。最初の(  )のところをもう一度、読み返していただきたい。じっくり時間をかけて実力をつける、ここが肝心である。

 我々はもう? やっと? 古希だから、晩成するためにじっくり時間をかけ、光を放つために日々をがんばろうではないか。


「大器晩成、大器晩成」とつぶやきながら、老人になってはいけない。



水清(きよ)ければ大魚(たいぎょ)無し
(澄んで汚れのない水には、大きな魚は棲まない。姿を隠せないし、栄養分もないからだ。人間も同じで、あんまり潔癖すぎて厳しすぎると、かえって人の信望を得られない。     後漢書)

 班超という将軍が、人の上に立つ者の心得を問われたとき、こう答えた。「透き通った水には魚がいない。わかりますね、厳しいやり方をすると人びとは付いてこないのです。のんびり、大まかに、小さい過失は許して、本筋だけをきちんとしなさい」
 江戸時代、老中・松平定信が「寛政の改革」なるものを行うのであるが、「もとの田沼の濁りぞ恋しき」と、庶民が皮肉を言ったことは誰でもご存知だと思う。

 人間には必ずある。と、自信を持って言うわけではないが、私にはこの傾向が強い。他人に対して、社会に対して、とにかく批判めいた言葉が先に立っていた。美点よりも欠点を数えたてる癖が強かった。自分のことを棚に上げることが得意だった?

 ただし、多少に弁解を許していただくと、人間というものは、若いころは一本気で純粋であることが多い。もちろんこれは美しい表現で、経験不足の未熟者と言い換えてもかまわない。とにかく何かにつけて「正義」を振りかざしたい時代だった。「許せる」「許せない」という純粋な物差しで他人や世の中を断じたくて仕方がなかったのだ。簡単に言えば「若気の至り」を発揮していたわけだ。

 だが、四・五十歳をさかいに「お前、ずいぶん丸くなったな」と褒められるように?なった。しかしである。還暦をすぎた現在、高校・大学時代の自分をたまらなく懐かしく思う時がある。あの頃に比較して、今の自分は何と小さくまとまってしまったのだろう? 話が分かるようになった、と言えば聞こえがいいが、妥協することを気にしなくなったのだ。もうしばらく?「若気の至り」を発揮してもよいのではないかと。

 青二才とは、若い経験不足の男をののしる言葉だが、けれど経験を積むことがそんなに貴重だろうか。積む必要のないくだらない経験もあるのではなかろうか。「清濁併せのむ」ということわざがある。正しいことばかりではなく、濁った悪いことがらも、両方受け入れるだけの度量の広さが必要だという。しかし、人間は大した修行?をしなくても、年とともに清濁併せのむことができるようになる。ということが十分に分かった。トシをとるって、そういうことなのだ。妥協することを覚えるのだ。「若気の至り」を失いつつある私はしみじみ思っている。「若気の至り」は貴重なもの。最高の宝物だ。もう一度青二才を発揮したい。行動する年寄りになりたい。


諸君、「若気の至り」をいつまでも存分に発揮しよう!


生徒主権(しゅけん)
 (学校は大切だ。生徒は大切だ。しかし、大切ということは決して、生徒を甘やかすことではない。いかに生徒の心を満足させるかということだ。                 A$O)

 私は4月の最初の学級の時間に桜を見に、チョイト校外に脱走する。何十年と担任をしたが、この桜見物を見破った学年が経った一学年だけあった。学校には普通桜の木が多い。春になって、ひょいと母校の近くを通ったとき人はどんなことを思うだろうか。「ああ、春だなあ~」「なんてきれい!」・・・でも私の桜見物の答は「私はこの学校を卒業したことを誇りに思う」です。そのつぶやきを、ほぼクラス全員の卒業生がつぶやくことです。桜の木は若いときにしっかり手を入れなければ立派な大木には育ちません。いつ手を入れるかで成長が決まります。
 この中学校を卒業したことに誇りを持たせる。これが先生という最も重要な仕事だと信じています。学校での最大の集約は生徒、決して先生ではありません。生徒がこれから社会へ出て行くのに何が大切で、何が欠けているのかを教えるのが学校であり、先生です。

 やらされて褒められる行事。満足しているのはごく一部の優秀な生徒だけ。これではプライドにはほど遠いのでは。では以下不良教員?の実践記録です。もちろんこれは私一人の力でできたわけではなく、全教員の協力、生徒の協力?保護者の協力があってこそできたことであることを最初にお断り申し上げます。

 教員というのはサービス業、生徒に何が足らないかを探しだし、それを自らの力で補わせていく。すべての生徒が心から満足してなんぼのモンだということです。プライドがない。おどおどしている。協力することが下手。協力してみんなでつくる喜びというものを知らない。さ、何とかしなくては。ユートピアプランと名づけ、学年全体でゴミ拾いに取り組みました。そこで合言葉は「誰もが班長、誰もが班員」です。

 班長になるとどこのゴミ拾いをするかを決め、班員はその指示に絶対に従う。いやはや、なかなかの学校で、中庭はゴミだらけ。給食のパンからジャムからまあ何でも落ちている。授業に行けば授業のはじめに配ったプリントがボールとなって返ってくる始末。一年目はひたすらゴミ拾い、45Lの袋が毎日いっぱい。二年目で「奥田隊」を結成。掃除の時間、ひたすらゴミ拾い。だんだん校内のゴミが少なくなり、校舎周りのゴミ拾いへと。さらに三年目、校舎の外からさらに一歩進めて団地の中へ、他の学年も参加してくれるようになり、清掃活動はいよいよ軌道に乗りました。新聞なども取り上げてくれるようになり、少し有名?になりました。人間というのは不思議なもので褒められると悪いことができなくなるもの。学校はナントか落ち着きを保てるようになりました。やがて、小学校も巻き込み、最後は団地の自治会まで巻き込む結果となり、運動は大きく広がりました。生徒全員誇りを持って卒業することができました。


自分の汗を流してつかんだものほど尊いものはない。それがプライドだ。
養(やしな)いて教えざるは、父の過(あやま)ちなり。
 (わが子を育てるのは、親として当然だ。でも、生きていく上で何が正しいのか、何をしてはいけないのかをきちんと教えなければ、親として失格である。教育するときに厳格でないのは、先生として失格である。                               三字経)

 お母さんとお父さんが子どものことを心配するのは、誰かに命令されたからではない。ごく自然にそういう気持ちになるからだ。しかし、現代という時代はそうは簡単には片付かない?極端な例で言えば、親がわが子の命を奪う事件が、時々起こる。新聞でもテレビでも月に一度はこの手のニュースでお目にかかる。子どもを愛していれば、殺すなんて残酷なことをするはずがない?ここのところをもう少し考えてみよう。

 年老いて病気になった母親が「自分が死んだら、体の不自由なわが子はどうなるのだろう?」と心配のあまり子どもを殺してしまう事件があった。この母親はわが子を愛していなかったのだろうか。いや、普通の人より何倍も愛していたに違いない。愛するあまり、不安なあまり、最悪の手段に出たのだ。では、この母親は悪い人なのだろうか? たしかに体が不自由でも幸せに暮らせる福祉施設がしっかり完備していたら、この母親はわが子を死なせるようなことをしなかっただろう。福祉行政の遅れが悲劇を生んだ、そう考えるべきだろうか?

 愛情には「かわいそう」という愛情もあれば、「しっかり生きていって欲しい」という厳しい愛情の二つがあるだろう。犠牲になった子どもがもし生きていれば、どんな生活が待っていただろうか。つらいつらい生活だったかもしれない。しかし、周囲の協力で、生きることが楽しいと感じられる暮らしが待っていたかもしれない。捨てる神あれば拾う神ありだ。そう考えると理由などない。この母親の愛情は間違っていたのだ。母親といえどわが子の命を奪う権利などないのだ。モンスターペアレントも親の愛情を間違えて使っている人なのだ。

 「自分が暮らしていくのに、子どもが邪魔になった」などと、身勝手極まりない理由で、わが子を殺した親がいた。愛情のかけらもない、大人としての責任感もまったくない。私はこんなニュースに接すると必ず考える。この親は、両親とどんな子ども時代を送っていたのだろうかと。モンスターペアレントの子ども時代は?そして、その親の子ども時代は? これから人間としてどんな生き方をしたらよいか。それを教えるのが親だ。教えるたって、教科書があるわけじゃない。自分が一生懸命生きる、間違ったことをしない。ただそれだけのことなのだ。


親を見て、子どもは学ぶ。命のリレーのバトンをしっかりわが子に手渡そう。


彼(かれ)を知り己(おのれ)を知れば、百戦殆(あや)うからず
 (敵の実情を知り、味方の実情を知れば、勝利を得ても危ない目には遭わず、天の時を知り、地の形を知れば、敵と戦って勝つことは極まりがない。                 孫子)

 「彼を知り己を知れば、百戦して殆うからず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆うし」である。

 軍備の優劣・兵士の数・君主と民衆の心が一致しているか、態勢を整えて敵の隙を突く、将軍が有能で君主があれこれ口をはさまない。そのような要因が在れば、戦いは必ず勝つ。「孫子」はそう断言している。

 もう少し詳しくいえば、将軍は、自分の軍が敵を攻撃する意欲満々の状態であっても、敵の方が十分に攻撃を迎え撃つという状態にあるのを知らなければ、勝ったり負けたりする。敵の方は十分に攻撃を迎え撃つ状態にあるのを知っており、味方も敵を攻撃する意欲が満々であると知っていても、地形上、敵と戦ってはいけないということを知らなければ、勝ったり負けたりする、だから、勝利の要因は敵の軍、味方の軍、そして地形に通じていなければならない。そして、一度行動を起こせば迷うことなく行動することが大切だ。そうすれば攻撃は困窮することはない。

 三国時代の魏の曹操といえば、「三国志演義」で有名な人物である。後漢の末期、黄巾の乱をきっかけとして起こった混乱の中で頭角を現し、後漢の献帝を擁して天下に号令し、屯田を開いて富国強兵を行った。冀州(きしゅう・河北省)の袁紹を官渡の戦いで破って、中原を統一するかに思われたが、208年、世に言う「赤壁の戦い」で孫権と劉備の連合軍に敗れたため、魏・呉・蜀で天下を三分する形になった。その後、息子の曹丕(そうひ)が後漢の王朝を滅ぼして魏王朝を開いた。魏志の倭人伝に邪馬台国が登場する。

 日本で孫子の兵法で有名な武将と言ったら武田信玄である。姉川の戦いで東海最強の徳川勢を赤子の手をひねるように破った。信玄といえば「風林火山」、これは正式には「孫子の旗」という。
「疾(と)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山のごとし」、風のように早く、林のように静かに、火のように攻め、攻められても山のように動かない、これが兵法の極意であり、わが軍はこのように闘うということでもある。本文は「疾如風徐如林侵掠如火不動如山」である。


いつでも、どこでも、いくつになってもチャレンジだ。




人間(じんかん)至る処青山(せいざん)有り

 (この世の中、どこへ行っても青々とした美しい山があるではないか。君が活動できる場所は、いたるところにあるんだよ。                            月性)

 その詩の前文は次の通りである。特に出だしの部分は「身をたて、名をあげ(=立身出世をめざせ)」の精神だ。

 男児志を立てて郷関を出ず/学若し成る無くんば復還らず/骨を埋むる何ぞ期せん墳墓の地/人間至る処青山有り(男の子が志を立てて故郷を後にしたからには、学問をきちんと身につけなければ二度と帰るまい。死んで骨を埋めるのは先祖の墓がある土地と限る必要はない・・・・・)

 アレ!と思うかもしれない。どこかで聞いたような台詞じゃないか?知らないかもしれないが、この歌の二番は「身を立て 名をあげ やよ はげめよ」とある。もうおわかりだろう。「仰げば尊し」である。「やよ はげめよ」は「おい、励めよ」のよびかけの声だと思えばよい。
 最近では「仰げば尊し」はあまり卒業式では歌われなくなったが残念、私にとっては淋しいことである。一部の歌詞だけで判断するのではなく、詩全体をよく見てほしい。

 それで、この詩は「・・・この人の世、どこへ行っても青々とした美しい山があるではないか」と続く。人間を「にんげん」と読むか「じんかん」と読むかであるが、「ジンカン」と読めば「この広い、人が住む世の中」という意味になる。人と人との間、みんな生きている。そんな意味にとらえたい。

 アメリカなど世界を旅すると、片田舎でその土地の人と結婚し、日本人など滅多に来ない土地で楽しく暮らしている人が案外いる。人と人とが生活するのだから、べつにどこでも誰とでもいいわけだ。男児志をなんて堅苦しい気負いなんてこれっぽちもなくて、人間らしい自然体の生活。案外プライド?を捨てれば簡単なことかもしれない。

 お金はなくとも、地位はなくとも、高級車を持てなくとも、いい家に住めなくとも、身体も心も健康で、子どもに恵まれ、孫に恵まれ、人に恵まれ、人の役に立つ仕事に、趣味に恵まれ、毎日を充実させて生きていければ、何も焦ることはない。


他人は他人、自分は自分である。悠然と行こうぜ。どこにでも青山はあるのだ。


山中(さんちゅう)の賊(ぞく)を敗(やぶ)るは易(やす)く、心中(しんちゅう)の賊を敗るは難(かた)し

 (授業で「大塩平八郎の乱」を教えていた時、教えるたびに「乱?」と疑問を感じていたことを今でも忘れない。 王陽明)

 農民のため、町民のため資材を投げ打ち、死を覚悟で戦ったことが何故「乱?」なのか? 確かに、かっての幕府の役人であり、全国に多くの弟子を持つ大先生が奉行所を襲い、大砲まで持ち出し、全国に檄を飛ばし、尋常ではない事件だった。しかし、「農民つまり世のため人のためにがんばった人が、何故逆賊で、何故乱なんだ」という疑問は消えなかった。腐敗した権力者の打倒と貧民救済のために、大塩平八郎は蔵書を売り払い大坂の庶民のために使っている。その額、何万両とも言われる。

 しかも、乱を?起こした理由は、大坂奉行が飢饉で苦しんでいる庶民をかえりみず、江戸に米を送っていい顔をしたことに立腹したからであった。大塩からいえば見るに見かねて行動に出たわけだ。なんといっても大塩平八郎は知行合一(知れば必ず行えるものであり、行ってこそ始めて知ったといえる)の陽明学の大家であったのだから。

 江戸時代では朱子学が主力だった。知識と行動を切り離して考える朱子学が幕府にとっては最も好都合の思想であったためである。主君に逆らわない、忠誠を尽くすことを教える朱子学、古い時代を良しとし、変革を受け入れないのが朱子学である。明治以降も、日本は西洋化することに全勢力を注いできた。知識に終始し、知識偏重を至上のものとしてきた。だからこそ日本の指導者たちは、知行合一の思想・陽明学を徹底して嫌った。知識と行動の一致を主張し、行動を何より重んじる陽明学を「疫病神」として避け続けてきたわけである。

 現在、我々は「心の死にやすい時代」に生きている。しかも平均年齢は年々延びている。ともすると、これからの日本には平八郎とは反対に「心の死するを恐れず、ただただ、身の死するを恐れる」という人が無数に増えていくことが想像される。

 我々のいう人命尊重のヒューマニズムは、ひたすら肉体の安全無事を主張して、魂や精神の生死を問わないのである。社会は肉体の安全を保証するが、魂の安全を保証しない。ただ身の安全のみを願う人ばかりならば、日本は確かに平和であろう。しかし、肉体の生死をものともせず、ただ心の死んでいくことを恐れる人が、今の時代、もっともっと必要なのではあるまいか。


自分の人生は自分が決める。自分の人生の主役は自分なのだ。



轍鮒(てつふ)の急と無用の用

 (中国の古い古いお話し。あるところに荘周という男がいた。彼は大変貧しかったので、友人のところへ出かけていき食糧を借りようとした。すると友人は快く?こう言った、「よろしいとも、私は近々、領地からの租税が手に入る予定になっている。その税が入ったら何百万円でも貸して上げよう。それでよいかな。」                          荘子・老子)

 これを聞いて荘周はむっとして顔色を変えていった、「私がきのうここへ来る途中、道で私を呼び止める者があった。あたりを見まわすと車輪の跡の水たまりに鮒がいた。私が『鮒よ、どうしたのかね』とたずねると、その鮒が言うには『私は東海の小臣です。どうか少しばかりの水で結構ですから、もってきて私を助けてください。死にそうなんです。』と言う。そこで私が『よろしいとも。わたしはこれから南方の王様に会いに行くのだが、その国に大きな川がある。その川の水を押し流してお前を迎えてやろう。それでよろしいかな。』と言ったところ、鮒はむっとした顔つきをして言いました。『私はなくてはならない水を今失っているので、いる場所がないんです。私に必要なのはただバケツ一杯程度の水なんです。それさえあればなんとか生きられるのです。それをあなたがそのように言われるのであるなら、帰ってきたらさっさと乾物屋の店先にでも行って私を見つけられたらよろしかろう。私は干物の鮒になってあなたをお待ちしています。』とね。」

 話は変わって、これも中国の古い古いお話し。車輪の30本の輻(や)はひとつの轂(こしき)の空虚な部分に集中している。その轂の空間部が軸を通しているからこそ始めて車輪はその働きを為すことができるのである。粘土を丸めて器を作る。その器は中の空間部があればこそ物を容れるという器の働きが果たされるのである。また戸の窓をあけて室を作るが、室というものは人を容れる空間部があればこそ、室としての働きをなすことができるのである。形ある物が人びとに利をもたらすには、無、すなわち存在しないもの、隠れたるものが働きをなすからである。

 我々はすでに還暦を超した。これからは悠々自適の生活が待っている?しかし、鮒にはすぐに水をやらなくてはならない。日本の将来は待ってくれない。悠々自適は聞こえがいいが何もすることがない?いやいや、「無用の用」だ。長年の仕事・生活から身についた経験値は何事にも変えがたい。伝えていかなくてはならないことはイヤというほどあるのだ。若者に教えていかなければならないことは、イヤというほどあるのだ。団塊の世代なくして明日の日本はない。それくらいの気概を持って悠々自適の生活を楽しもうではないか。将来の日本は乾物屋の店先に並んでいる鮒か、池で泳いでいる鮒か、どちらの鮒をあなたはとるかだ。


団塊の世代が頑張ってこそ、明日の日本はある。



歳月(さいげつ)は人を待たず

 (充実した時間を過ごそう。時の流れは人を待ってはくれないのだから。      陶淵明)

 「人の命は、ちょっとした風邪にも散ってしまう塵のようなものだ。だからこそ、みんなで杯を傾けよう。若い時代は二度とやってこない・・・」といった内容の詩だ。働くことを学ぶこと、その他いろいろの「存分」の意味に取ろう。

 「よく学びよく遊べ」という。ただし、私を含め先生たちは「勉強しろ」とはうるさく言ったが、「遊べ」とはあまり、いや全く言わなかった。我々は言われればしぶしぶ机に向かうけれど、遊ぶ方は言われなくても喜んで実行している?「梁塵秘抄」に「遊びせんとや生まれけむ/・・・遊ぶ子どもの声聞くば、我が身さへこそ動がるれ」という歌がある。遊んでいる子どもの声を聞くと、ああ、あの頃に戻りたいと思って心がふるえる。そんな歌だ。

 戻りたいと痛切に感じているのは、もちろん大人だ。大人になってしまうと、もう子どもの頃のように無邪気には遊べない。大人には仕事がある。朝起きれば仕事が待っている。今日が終われば、明日の仕事が待っている。

 子どもにも仕事がある。遊ぶことだ。遊ぶのが本来の子どもの姿だ。子どものうちは一生懸命遊べと。「よく学び、よく遊べ」は、もともとは西洋の言葉だったらしい。明治時代の教科書には、西洋のことわざとして「よく遊び、よく勤めよ」とあったそうだ。あれ?順序が入れ替わっている。などと野暮なことは言わないで、要するに「毎日を精一杯生きなさい。充実した生活をしなさい」と、とればいいだろう。

 大人になってしまった私には、とてもよくわかる。小学校も中学校も高等学校も大学も、ついこの間のことのような気がするが、とんでもないことだ。同窓会などに参加すると、ついつい高校時代に戻ったような錯覚に陥るのだが、遠い遠い過去のことなのだ。ああ、あのとき、ああしておけばよかった、と思うことがたくさんある。もちろん間に合うはずもないのだが。
 でも、六十歳を過ぎてもまだ間に合うこともある。過去はともかく、現在を精一杯生きること。誰にでもこれは間に合うと。と、言いつつも「昨日はこうすればよかった」の毎日ではあるが。
ハハハ・・・・・。


でも、やはり思う。今日を精一杯生きていこうと。こんな私でも、世のため人のため、きっとできることはあるはずだ。いかに人生が後悔の連続でもだ。
花咲爺

 「花咲爺、花咲爺、枯れ木に花を咲かせましょう」日本人で知らぬ者はないほど有名な昔話だ。死んだはずのものが、一挙に、見事に生き返る。すごいことだ。           御伽草子










 若さを保つ生き方を目指すのも悪くはないが、せっかく老人になったんだから、老いを経験しないというのはもったいない。老いとは、若者とは次元の違う豊かさをもったということである。壮年の大人は、人間社会のことに忙しすぎて、動物の声を聞いている暇がないが、老人となったらゆっくり構えて、若者には聞こえない声に耳を傾け、若者には見えない景色を楽しんではと思う。この爺さんは本当に老人らしい。自分の意思や意図で前進しようと努力していない。犬の声に従ってみたり、過去にこだわらず、思いがけない不幸をそのまま受け入れて、その流れに従って進んでいく。

 私の心の中では、少々妥協しても、自分はいい人でいたい、尊敬されたい、好かれたいという私と、社会の為、出来ることで少しでも役立ちたい、世間に妥協して、自分を殺して生きていくなんて真っ平だ、と主張する私が闘っている。私がいい人を望むなら、犬の声に従って、思いがけない成功を収めたんだから、決して犬を他人に貸すことはしない。ひたすら犬を大切にして生きていく。でも、生徒主権(生徒が心の底から満足できる学校)を主張する私は、犬が恩返しで出した宝を、臼から出た宝を、何に使おうか考える。独り占めはイヤだ。そう、この宝をみんなの為に使いたい。

私の願うこと、それは、人生の最後の最後でいい。大きな転換点が欲しい。死が再生するような転換点が欲しい。灰をまいて、枯れ木に花を咲かせたい。私は人生の経験と知恵をしっかりと次の世代に伝えたい、明日の日本に、より多くの、素晴らしい花を咲かせたい、それが私の願いであり、私の望む転換点である。

 いい人を演じて生きる。確かにそれも大切だ。しかし、心の本音に従わなければ、犬の墓もなければ、臼もない、まして灰もない。灰は確かに無である。しかし、それは有を生み出す無なのだ。その灰をまいて、枯れ木に生命を与え、一挙に花を咲かせる。他人のために少しでも役立ちたいと願い、行動する、その小さな一歩が、大きな転換点を生み出すのだ。花咲爺の話の極めつけは、最後のすばらしい転換点にある。私たちは、転換点の一歩手前で佇んでいるのではないだろうか。
 一度しかない人生。しかし、まだ古希だ。ひたすら犬を大切にして人生を終える老人か、枯れ木に花を咲かせる老人か、さあ、あなたはどちらの老人を選ぶか?


我々は「花咲爺」になるチャンスを、自ら摘み取っているのかもしれない。


































春秋(しゅんじゅう)に富む

 自分の年を一日の時間で表す計算方法というか、そういった考え方があるそうだ。簡単に言えば自分の年を3で割る。18歳=即ち高三の歳なら、18÷3=6。つまり午前6時。なるほど、まだ夜が明けるか明けないかという時間。これから一日が始まる時間。ちょっと眠いけど、顔を洗えば元気が湧いてくる時間。勉強でもスポーツでも時間はたっぷりある。まさに人生これからの年齢である。                                     史記

 20歳、成人式を迎える人なら午前6時40分。前途洋々、まさに人生これから。「論語」でいう不惑の年、40歳なら午後1時20分。社会人なら修行の時期を過ぎ、自信にあふれ、仕事に通じているベテラン。この計算方法、なかなかいい線をいっている。古希を迎える年齢ともなれば、69歳だから69÷3=23  午後11時。夜も更けて、さあ明日に備えて寝ようかという時間。では、3で割った答えが24になる年齢は? そう72歳。エーツ、一日が即ち72歳で終わってしまう?人生は72歳で終わりなのか。後は生きる化石なのか??? いやいや、平均寿命は延び80、90歳はざらになりつつある。では、この計算方法、どう考えるか? 簡単だ。73歳からは、明るく日が始まったと思えばよい。2日目、初々しく?若者になって人生を楽しもうではないか。

 「春秋に富む」は若い人を指す言葉だけど、古希を迎える我々には前途は全く洋々としていない?まてよ、私は思い出す。すごく荒れた中学校に赴任した時の話だ。「生徒主権」でも書いたが、私はこの荒れた学校を何とかしようと考えた。そこで私は毎日、毎日学校のゴミを拾った。たった一人で黙々と。それを見た生徒が協力を申し出るようになり、学年の先生が全員賛同してくれるようになり、やがて、学校全体の先生が協力してくれるようになり、地域の小学校、自治会までも巻き込んでいった。新聞にも紹介され、荒れたその中学校は文科省から表彰され、生徒は胸を張って卒業していった。

 ひとつ「一日一善」でいってみよう。ちっぽけなことでいいんだ。例えば、私のようなゴミ拾い。一日一つでいい、ゴミを拾おう。一日一つ、ゴミを拾おうと心がける人が、一人から二人そして三人・・・やがて百人、千人となれば、街からはまたたく間にゴミはなくなり、すばらしい街に変身すること請け合いだ。たかがゴミ拾い、されどゴミ拾いなのだ。まだまだ世のため、人のために働ける歳だ。古希をきっかけに「一日一善」といこうではないか。
 我が母校は大きな家庭のような学校だった。生徒主権のすばらしい学校だった。我々は胸を張って母校を卒業したのだ。これからも胸を張って生きていきましょう。


春と秋は年をとっても、公平に巡ってくる。朝は18歳(気分)で起きよう。18歳を3で割ると6、朝の六時、即ち人生の一日は始まったばかりだ。
積善(せきぜん)の家には必ず余慶(よけい)あり

 (善い行いをしよう。できれば一日に一つ、一日一善。すると、自分だけでなく周りの人も、よい感じになる。                                  易経)

 善い行いをすると、自分だけでなく、必ず子どもや孫までよい報いがある。また悪い行いを続けると、本人だけでなく子どもや孫までにまで必ず害が及ぶ。だから、言葉使いや、行いはふだんから気をつける必要がある。

 「棚からぼた餅」というが、そもそも棚にぼた餅が置いてあったからこそ、落ちてきたのであって、はじめから置いてなければ落ちてきようがないのである?「転ばぬ先の杖」というが、転びそうになってから杖を買いに行っても?間に合わない。
 親が善い行いをして、それが子どもや孫の時代に巡り巡ってよい報いとなってかえってくる。見返りを期待する善行はあまり感心しないが。悪いことも同じで、巡り巡って、子どもや孫に報いがかえってくる。しかし、よい方はともかく、悪い方は納得できないだろう。だって子どもからいわせれば、自分は何も悪いことをやってないのだから。ここが人生難しいところ?

 では、善い行いとは何かを考えてみよう。トイレのスリッパを出るとききちんと揃えて出る。すると、つぎの人はそのままスリッパを履けばよい。電車に乗った。誰かが飲んだジュースの缶が床に捨ててある。電車が揺れると缶はあっちへコロコロ、こっちへコロコロ。いやだなあ。イライラする。そう思ったら片付けよう。降りる駅に着いたら缶を持って、どこかのゴミ箱へでも捨てよう。ケータイが鳴った。しまった!マナーモードにするのを忘れていた。そうしたら応対せずにケータイを切ろう。次の駅で着信をチェックして、必要ならばかければよい。

 善い行いとはそんな程度のことで十分だ。そりゃあ、人助けだの立派なことができれば、それはそれですごいことだが。要は自分以外の人が気持ちいいように、と行動すればよいことだ。家族だけでなく自分以外の人たちの人たちが気持ちよくなるように、と行動することだ。

 そんなちっぽけなことをしたって意味がないって?そう考える人も多いだろう。でも、よ~く考えよう。「一日一善」を心がける人が一人から二人、そして三人・・・やがて夫悪人、千人と増えていけば「一日一善」は「一日千善」となる。それだけ気持ちの善くなる人が増えるということだ。ゴミがいい例だろう。一人が一日一つ拾ったって、ゴミの山は変わらない? でも、ゴミを拾う人が二人になり、三人になり、やがて百人、千人となればどうだろう? 街からゴミはまたたく間になくなり、気持ちのよい、誰彼となく案内したくなるすばらしい街に変身することは請け合いだ。


善い行いをする、気持ちがよくなる、悪くないね。やってみよう。

愚(ぐ)公(こう)、山を移す。

 (大きすぎると思うほどの目標でも、一生懸命に立ち向かえば、少しずつ、少しずつでも、目標に近づくものさ。それどころか、目標に到達できることだってあるよ。         列子)

 二つの大きな山があった。山の麓に「愚か者」という九十歳に近い男が住んでいた。二つの山があると、どこへ出かけるにも不便でしょうがない。
 愚か者は家族に相談した。「力を合わせて山を平らにしようではないか」。みんな賛成したが、妻だけが反対した。「私たちの力では、ほんの小さな丘だって崩せませんよ。それに、出てきた土や石をどうするんですか?」「遠い海の中に捨ててもいいし、地の果てのもっと向こうでもいいじゃないか」愚か者も、その息子も、そのまた息子も、みんなで大作業にとりかかった。隣の家の息子も「賛成」といって手伝った。けれど、土を掘り石を拾い、それを捨てに行くと一往復で半年もかかってしまう。

 そうした有様を見て、「利口者」という名の老人が笑った。「なんと馬鹿げたことを。老い先短いお前さんには山の一かけらだって崩せまい。」
 愚か者は「やれやれ」とため息をついた。「お前さんの方がよほどの分からず屋だ。私が死んでも息子がいる。息子には息子、つまり私の孫がいるし、孫にはまた子どもをつくる。そうやっていけば、子孫代々、作業は受け継がれる。ところが山は、今以上には高くはならない。そうすれば、いつかは崩せるさ」

 山々を司っている神は、愚か者の言葉を聞いて、そら恐ろしくなった。(この男、とことん頑張るんじゃないか)と。そこで天の神に訴えた。天の神は愚か者の熱意に感動し、神々に「二つの大きな山を背負って、遠くへ移動させよ。」と命じた。これからあと、愚か者の一族が住む一帯には、小さな丘さえなくなったとさ。メデタシ、メデタシ。

 なんだ、ウサギとカメの競争の話と同じじゃないかって? のろまなカメは休まず進み、先にゴールイン。人間努力が大切だ。努力をすれば必ずご褒美がある。そんな教訓だ。でも、ちょっと違う部分がある。
 きちんとした目標(崇高な理想?)をめざして努力する自分は、あなたは、孤独だろうか。もう一度「山を移す」の話をよ~く読み返してほしい。努力は子から孫へ・・・と受け継がれる。そして、やがてきちんと花が咲く。我々は古希を迎える。一生懸命生きてきた経験を、知恵をこれからの時代に伝えよう。まだまだ、やらなければならないことは山ほどある。そのために一生懸命生きよう。一生懸命伝えよう。


努力する自分は一人ぼっちじゃない。だから未来を伝えよう。

おわりに

BC5世紀~BC3世紀、中国は戦争に明け暮れていた。いわゆる戦国時代である。戦いに敗れた国の一つ、燕の昭王は優れた人を招き、その協力を得て国力を回復しようと考え、郭隗という死四季人に相談した。郭隗は「まず私を指南役として採用し大切に扱いなさい。私のようなつまらぬ者でも厚遇されることが知り渡れば、全中国より優れた人材が集まるでしょう。」王は実行し、燕は強大な国になった。

 デンマークの軍人が「絶対に戦争を絶滅できる法案」を考えた。「各国の政府は、戦争が始まって十時間以内に、最前線に送って戦闘に参加させる者を次の順序にすると取り決める。1番目は国家元首、2番目は元首の男子親族、次に総理大臣、国務大臣、国会議員・・・」
 大賛成である。実現すれば効果は間違いなし? 自分が嫌がることは、他人も嫌がること。自分の好きなことは、他人も好きなこと。そう考えて、実行していくことが大切だと思います。


何事も始めるのに、決して遅すぎるということはないのです。


最後にこの冊子を皆さんに読んでいただくにあたって、同窓会を陰になり日向になり、一生懸命支えていただいた幹事の皆さん、久野藤雄君、二村正明君、奥村美佐子さん、沢田和子さん、横山良子さん、誠に有り難うございました。なお、幹事の皆さんには、この「苦楽吸人つれづれ日記」の制作にもご協力いただきました。重ねて厚く御礼申し上げます。幹事全員の熱意で完成した冊子です。是非、最後まで読んでいただければ幸いです。もう一つ、この「苦楽吸人つれづれ日記」の最も熱心なる愛読者、同級生の赤池憲彦君にも改めて厚く御礼申し上げます。貴重な感想、大変参考になりました。幹事の皆さん、赤池君、ご協力本当に有り難うございました。

平成29年(2017年)8月25日  古希の誕生日を記念して
苦楽吸人こと奥田政吉








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最終更新日時:2019年06月18日 20時35分
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