主な活動場所
飯能市市民活動センター

 学習する悦び

2018-09-17
最近は機会あるごとに友田先生と学んだ学習場面を思い出す。

「何も教育されたくて生まれてきた人間など一人もいない。人間は本来的、本質的に学習者。人間が人間となるための基本中の基本とも言うべき体験は「学習する悦びである」(友田記)

論語に「学んで時にこれを習う、また楽しからずや」という言葉がある。

「カウンセリング場面を体験して私なりに合点する事を端的に言えば学ぶとは、フト意識するとか、俗にいう、アタマをかすめるとかいう現象を言うのでありましょう。」(友田記)

このフト意識するとかアタマをかすめるとかいう現象を私たちとても見逃している事が多い。でも日常でも実はよく起こる現象で「あの時まずいなと思いながらやっちゃった」とか「あの時、チャーンと思っていたけど、ずるずる流されてしまった」とかあると思います。

先日書いたブログの中でも仕事中にふと「我慢」という言葉が浮かんで「いくつかの仕事のうち、我慢しなくて済むのはどれだとうと選択肢が浮かんだ事ををお伝えしました。

それから、事あるごとにこの我慢がふとアタマに浮かび、我慢しなくてよい行動を現に今さかんに行っている、これが学習の習うという方向だと思います。

フト意識するとかアタマをかすめるという「学び」がないと「習う」という行動にはならない。

学ぶかがいかに大切か。自助グループではこの学びを沢山経験してもらいたい。同病者が発する言葉は自分の姿と重なり「はっ」と思う事が多いはずです。

「はっ」とした学びをどうつなげていくか、学びが起きれば後は習うという行動が待っています。

学習には特別の悦びがあります。自助グループは、学習グループに成長してほしいのです。

それにはまず自分が学習者になる事が必要でしょう。