主な活動場所
森佐鉄道株式会社 [旧大平鉄道] (架空鉄道)サークルスクエアー

 1.17阪神淡路大震災について 大平学校の教員の一言

2026-01-17

今日は1.17 阪神淡路大震災の日です。
今から31年前5:46に日本で初めて震度七を観測した地震でした。
当時は大平鉄道ないでした。

今回のブログは僕が教員だった時のことについて話したいと思います。
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1995年1月17日、午前5時46分。激しい突き上げとともに、私の日常は一瞬で崩れました。窓から見えたのは、闇夜に上がる火の手と、言葉を失うほどの街の姿でした。
 夜が明け、私が最初に向かったのは勤務する学校だった。道は割れ、家々は横倒しになり、見慣れた景色はどこにもなかった。頭をよぎるのは、教え子たちの顔だ。一人ひとりの顔を思い浮かべながら、「どうか生きていてくれ」と祈るような気持ちで、瓦礫の間を縫うように歩いたことを、31年経った今も昨日のことのように思い出す。
 避難所となった体育館で再会した子供たちの、恐怖に引きつった表情。そして、幼い命が失われたという報せ。あの時、私は「教育」という言葉の無力さを痛感した。教科書の内容を教えることなど、何の役にも立たない。凍えるような寒さの中で、毛布を分け合う。教師としてではなく、一人の人間として彼らと寄り添うことしかできなかった。
 しかし、あの極限状態の中で私を支えてくれたのも、また子供たちだった。大人たちが途方に暮れる中、進んで水を運び、自分より小さな子の面倒を見る彼らの姿に、私は「生きる力」の本質を見た。教えるべきは学問だけではない。どんな困難にあっても、他者と手を取り合い、一歩前へ踏み出す強さを育むこと。それこそが、私の本当の仕事だと教えられたのだ。
 31年が経ち、震災を経験した教師は少なくなった。しかし、あの日、崩れた校舎の片隅で子供たちと誓った「命を何よりも大切にする」という決意は、どの学校にもあり得る。31年前の悲しみと、そこから立ち上がった人々の強さを語り継ぐことは、あの地獄のような朝を生き延びた私の、一生の責務であると感じている。