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 ケン・ウィルバー ナロパーセミナーでの誘導瞑想

2020-02-10
それでは、まず私たちの周囲の世界に気づきを向けることから始めましょう。向こうの空を見て、ただ頭を休ませて、頭と空が混ざるようにします。空に雲が漂っていることに注意を払います。そうするために、あなたの側には努力する必要がないことに注意を払ってください。あなたの現在の自覚、すなわち雲が漂っているという自覚は、非常に気楽な、努力の必要がない、自発的な自覚です。あなたは雲に関する努力の必要がない自覚があることにただ気づくでしょう。同じことが、あそこの木、鳥、石についても言えます。あなたは単純に、そして努力の必要なしに、あれらを〈観照〉するのです。
今度は、あなた自身の身体の感覚を調べてみましょう。あなたは何らかの身体感覚が存在することに気づくでしょう 座っているところの圧力かもしれませんし、おなかのあたたかさかもしれませんし、肩のこりかもしれません。しかし、たとえそうした感覚が堅苦しく緊張したものであっても、あなたは容易にそれらに気づくことができさます。そうした感覚は、あなたの現在の自覚の中に生起します。そしてその自覚は非常に単純な、気楽な、努力の必要がない、自発的なものです。あなたは単純に、そして努力の必要なしに、それらを〈観照〉するのです。
頭に浮かぶ思考を見てみましょう。あなたはさまざまなイメージ、象徴、概念、欲望、希望、恐れが、自発的に自分の自覚の中に生起することに気づくでしょう。それらは生起し、少しとどまり、そして去っていきます。そうした思考や感情は、あなたの現在の自覚の中に生起します。そしてその自覚は非常に単純な、努力の必要がない、自発的なものです。あなたは単純に、そして努力の必要なしに、それらを〈観昭照》するのです。
さて注意してください。あなたは雲が漂っていることを見ることができます。なぜなら、あなたはあの雲ではないからです--あなたはあの雲の観照者なのです。あなたは身体感覚を感じること
ができます。なぜなら、あなたはそうした感覚ではないからです--あなたはそうした感覚の観照者なのです。あなたは思考が流れていくことを見ることができます。なぜなら、あなたはそうした思考ではないからです。あなたはそうした思考の〈観照者〉なのです。自発的に、そして自然に、そうしたすべてはそれ自体で、努力の必要がない現在の自覚の中に生起します。
さて、あなたは誰でしょうか?あなたは向こうにある対象ではありません。あなたは感覚ではありません。あなたは思考ではありません--あなたは努力の必要なしにそうしたすべてに気づきます。だから、あなたはそれらではありません。あなたは誰あるいは何でしょうか?
このように自分自身に言ってみてください。私は感覚を持っている。しかし私はそれらの感覚ではない。私は誰だろうか? 私は思考を持っている。しかし私はそれらの思考ではない。私は誰だろうか? 私は欲望を持っている。しかし私はそれらの欲望ではない。私は誰だろうか?
こうして、あなたは自分自身の自覚の源に立ち戻ります。あなたは〈観照者〉の中へ立ち戻り、〈観照者〉の中で休息します。私は対象、感覚、欲望、思考ではないのです。
しかし、人はたいてい大きな間違いを犯します。〈観照者〉の中で休息するとき、本当に素敵で特別な何かを見たり、何かを感じしたりすると考えてしまうのです。しかし、あなたは何も見ないで
しょう。あなたが何かを見るならば、それは単なる別の対象|別の感情、別の思考、別の感覚、別のイメージ--にすぎないのです。それらはすべて対象であり、それらはあなたではありません。
そうではありません。あなたが〈観照者〉の中で休息するとき--私は対象ではなく、私は感情ではなく、私は思考ではない、と認識するときl、あなたが気づくことは 〈自由〉の感覚、 解放〉の感覚、〈救済〉の感覚だけになるのです。あなたは、そうしたちっぽけな取るに足らない有限の対象、ちっぽけな身体、ちっぽけな頭、ちっぼけな自我との同一化によるひどい窮屈さから解放されます。それらはすべて見ることができる対象であり、そのためそれらは本当のあなたである、真の〈見る者〉、真の〈自己〉、純粋な 〈観照者〉ではありません。
ですから、あなたは特に何も見ないでしょう。あらゆるものが生起することは構いません。空に雲が漂い、身体に感覚が流れ、頭に思考が浮かびます--あなたはそれらを努力の必要なしに観照することができます。それらはすべて、あなた自身の現在の、気楽な、努力の必要がない自覚の中に、自発的に生起するのです。そしてこの観照する自覚それ自体は、あなたが見ることができる特別な何かではありません。それはまさに広大な、背景にある〈自由〉の感覚--あるいは、純粋な〈空〉--なのです。そして、あなたであるその純粋な 〈空〉の中で、すべての顕現世界が生起します。あなたこそが、その 〈自由〉、〈広がり〉、〈空〉なのです--あなたは、その中で生起するちっちゃな何かではありません。
その空なる、自由な、気楽な、努力の必要がない観照の中で休息するとき、自分の自覚の広大な空間の中に雲が生起することに気づくのです。雲はあなたの内側に生起します--だからこそ、あなたは雲を味わうことができ、あなたと雲は一つになり、あたかもそれがあなたの肌のこちら側にあるように、とても近しく感じられるのです。空とあなたの自覚は一つになり、空に浮かぶすべては、努力の必要なしにあなた自身の自覚の中を漂います。あなたは太陽に口づけをし、山を飲み込むことができます。それぐらい近しいのです。禅は「一口で太平洋を飲み込め」と言います。内側と外側がもはや二つではなくなり、主体と客体が非二元になり、見る者と見られる者が〈ワン・テイスト〉になるとき、それはとても簡単なことなのです。分かりますか?

ケン・ウィルバー 〈ワン・テイスト〉ケン・ウィルバーの日記 より抜粋