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北海道エリアの文化&ボランティア団体が書いたブログ一覧

 今年度の日常活動が始まりました。昨年度との大きな違いは、討論を中心として、月変わりのテーマで時間をかけて議論をすること。知識は宿題で培い、勉強会の場では深く考えることを促す「反転授業」形式の仕組みを作ること。

 最初の課題は「生きる力」です。

 今取り沙汰されている「生きる力」がなぜ問われているのかを理解した上で、学生たち自身が「生きる力」に関して自分自身の自己認識を深めることができれば本望。そこまでいかなくても、毎回の勉強会の中でたくさん人と関わって、たくさん頭を働かせることができたらそれで十分、という気持ちもある。
 たぶんここに集まる学生に限らず、今を生きる若い人たちは、直接交わす言葉の数がものすごく減っていると思う。何か不満があっても直接その人には言わずにSNSで垂れ流して気持ちを収めたり、二次元の世界に逃避して日常のトラブルは自分の中ではなかったことになったり。言葉そのものもすごく短くなってるらしい。「り」とか「そま」とか。私も最近知ったんだけど。言葉そのものというよりも、言葉のまえにある「感情」を表現する場そのものが極端に減っているということか。だから、週に1回でも直接出会って言葉を交わせたら、そのときに自分のもやもやした気持ちとか考えとかを、少しでも言葉に置き換えて考える経験ができたら。それでOKなんじゃないか。

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「豊かな人間性」ってなんだろう。
 理想で言えば、自ら律する心を持ち状況を巧みに判断しながら人と協調しあえる柔軟性を持ち、なおかつ自らの内に湧き起こる思いを自由に表現できる感受性を持ち、エトセトラ、エトセトラ、と限りなく広がっていくけど、実際に問題にしなければならないのは、そういう理想を持ちながらもその自分を生きられない現状をどう見つめるか、なのではないか。そんなことを考えた。
 ちょうど「潜在能力を発見しよう」というコンセプトで取り組んだ自分のゼミで、「あなたの行動を妨げている心のブレーキは何か」という話題を提供したばかりであったこともあり。

 自分の思考習慣が気づけば拵えていた「心のブレーキ」をどう外すか。あるいは、外さなくてもいいからどうつきあうか。
 試しにこの日の参加メンバー全員に聞いてみると、やはりそれぞれが抱えている「自分の理想とする人間性を自由に発揮できない自分の中の足かせ」としての心のブレーキは人それぞれだった。簡単に外せそうなブレーキから、かなり根深いのかなと思うブレーキまで。
 
 まずはここに集う一人ひとりの可能性を思いながら、それぞれの「ここに気づけばブレーキが外れるぞスポット」を探してみようと思う。そういう互いが抱える現実の足かせに気づきあうことが、「豊かな人間性」の議論としてもっともふさわしいという..

 最近は、自分の住む世界っていったいいくつあるのだろうかって考える。
 普通に生活していて教師として見ている世界もあれば、母親視点からの世界もある。
 文学を教える教員として作品の解釈をしていても、日常生活のレベルの世界から普通に考えるときもあるけど、私の場合は気づけば精神世界からモノを見てる。形而上視点? 神様じゃないけど神視点? だからなかなか人に理解してもらえないんだきっと(神様、ごめん)…

 誰かと話をするときは特にめまぐるしい。このたくさんの世界がものすごい早さで交錯するイメージ。
 友人でも学生でも、彼、彼女は何を思ってこの話をしているのだろうと考えると、私の中ではとたんにたくさんの世界が動き始める。いろんな立場の私がその人と話をしてる。

 私っていったい。どれが本当の私?
 自分に迷っていた頃の私だったらそんな悩みに苦しめられたけど、今はもうそういうのはない。みんな私、なのだ。

 でそういう自覚があるからこそ、自分以外の人もまたそれぞれ住む世界があるんだなってわかる(そう思って接したいと思ってる)。
そうなると、たとえば模擬授業で学生の立ち居振る舞いや授業内容に対するアドバイスもいきおい個別的になる。
 その内容にはマニュアルもないし、規準も基準もその人による。
 客観性は担保できない。というかむしろ外す。主観..

 久しぶりに本屋へ行ったら、聞き手川上未映子・語り手村上春樹という、その名前を聞いただけでワクワクするような対話記録が書籍化されていた。早速購入。騎士団長殺しはまだ読み終わっていないから、最初の一章だけ読んだ。

 村上春樹という名前を聞くだけで敬遠する大学生が増えていて、おもしろいのになーと思いながらその理由を考えてみると、学生たちがよく言う「性的描写に耐えられない」以外にもっと根本的な問題もあるのかなと、この対話集を読んで思った。

 彼の創作は、一度書いたものを、そのリズムを「耳で確かめながら」、何度も何度も書き直すという。最初にいい音楽だなと思うときにその物語内容(音楽だったら歌詞?)を確かめてからその世界に入り込む人はあんまりいないと思うのだけど、それと同じで、村上春樹を頭で読んだら、たぶんその時点ですでにワクワク感はやって来ないだろう。知識基盤社会の申し子のような現代の若者たちだったら、リズムで読むって言われてもピンと来ないのかもしれない。だからわりと内容がソフトでわかりやすくて言葉で説明されている世界観がはっきりしている小説の方に人気が集まるのかもしれない。

 試しに、音楽を聴くように、村上春樹の小説を読んでみたらどうだろう。なんかいい音楽だなと思ってよく歌詞を確かめてみたら意外とおもしろい世界が広がっていたってい..

 KAP48選抜メンバー!? 神7!? ちょっと違うか…なんて名づけてよいかわからないけどとにかくベテラン勢の集まる集中勉強会、2日目。交わされる話題が何かと上級の域、のかなり深さのある勉強会となりました!

 2日目は模擬授業中心だったので、先生としてのふるまいのようなところに議論が集中したように思う。前時の復習をどう簡潔にわかりやすく生徒に示すか、などという具体的な内容検討から、先生の一挙手一投足、にじみ出る先生の人間性が、授業をどう動かしているのかなどの本質的な議論まで、4時間くらいだったけど正味その3倍ぐらいに匹敵する密度の濃い時間を過ごした。終わりの1時間は、座談会と称して全員で自由トークも展開した。
 私としては、その存在をまるごと受け入れて「安心」を与えるべき生徒と「厳しさ」を示して突き放すという仕方でエールを送るべき生徒との線引きをどこでするか、というのが自分の中で旬な話題だったので、深く考えさせられた。「今ここ」にいるその存在をゼロ地点として、完全でない部分も含めて「そのままの君でいい」というスタンスを示してその子がゆっくり育っていくのを見守るか、その逆として、「それではダメ」と明示して、いったん突き放すことで自分のふるまい方を自ら考える機会を与える、「愛する我が子を谷底へ突き落として這い上がるのを待つ」系のスタンスに向か..