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東京都の音楽団体が書いたブログ一覧

郵政事業と楽団

昭和40年代から50年代にかけて、郵政事業の労使関係は極度に緊迫し、労働組合から官制レクリエーションが否定されたこともあり、楽団もその影響を少なからず受け、一時期じり貧状態ともなりました。しかしながら、紙谷氏の献身的指導の下、労使間の軋轢を超えて楽団の活動は展開されていきました。
更に、昭和50年代中盤以降、産業構造の変化とともに新日鉄などの名門職場吹奏楽団が廃部されていくのを目の当たりにし、紙谷氏の提唱により、郵政事業とともに歩む吹奏楽団づくりが進められ、郵政事業のPRや営業に結び付いた活動の機会が次第に拡大されていきました。(ちなみに、紙谷氏は永年にわたるこれら職員育成への功績等により、平成6年の逓信記念日に郵政大臣から感謝状が授与されました。)
その間、昭和55年6月には郵政省の事情から紙谷氏に対する講師請負契約(このころには、講師嘱託は「技術嘱託」(職員として採用))から「請負契約」へと変更されていた)の打ち切りや飯倉分館の改修工事に伴う「楽堂」(屋上専用練習場)の取り壊しなど、楽団はまさに運営上最も厳しい時代を迎えたが、その後数年間の自主的な郵政事業へのPR活動等の貢献が関係者に評価され、「講師謝礼」として郵政省からの補助の一部が復活されました。

現在は、国立市の郵政研修センターを借りての練習となっています。(飯倉..

紙谷先生の就任

春日氏の後任については、斎藤秀雄門下の指揮者で、当時は東京都中学校吹奏楽連盟の理事長の職にあった村方千之氏に相談したところ、斎藤秀雄指揮教室の助教を務める紙谷一衞氏が紹介され、巽久(元楽団理事長、元東京都職場吹奏楽連盟理事長)、大和田正(元楽団理事長・名誉団員)の両名が自宅を訪ね、「立派な楽団にしてほしいとは申しません。立派な吹奏楽団にするための下地を作りますから、最低10年は指導して下さい。」と指揮者就任を要請しました。
昭和38年10月、紙谷氏が郵政省の技術嘱託として採用され郵政中央吹奏楽団の指揮者に就任すると、翌年6月には早速、新宿厚生年金会館小ホールにおいて一般の方を対象とした第1回演奏会が開催されました。これは、それまでの演奏の機会の多くが郵政部内に限られていたことを考えると極めて大きな転換でありました。
更に、昭和40年には第5回東京都吹奏楽コンクールに出場し、自由曲「キージェ中尉」(プロコフィエフ/紙谷一衞編曲)を演奏し第2位に入賞。翌昭和41年には第1位を獲得し、宮城県民会館で行われた第14回全日本吹奏楽コンクールに出場しました。この時の自由曲も「バレエ組曲 牝鹿」(プーランク/紙谷一衞編曲)を取り上げるなど、既に吹奏楽の枠を超えた取り組みが始められていました。
以降、紙谷氏の数多くの楽団のための編曲作品と指揮によ..

前回は、いついつ楽団が出来て…と言うことだけでした。
今回は、現常任指揮者の紙谷先生の前任、春日学先生が就任した頃の話です。

昭和25年から指揮者に就任した天辰三男氏は、昭和28年に引退されました。
天辰氏の推薦により、横須賀海軍軍楽隊出身の春日学氏(後の全日本吹奏楽連盟理事長)が、大臣官房人事部の技術嘱託職員として郵政省に採用され、郵政吹奏楽団の指揮者に就任しました。

昭和29年には、関東吹奏楽連盟の吹奏楽祭に出場。同年、関東吹奏楽連盟主催の第10回コンクールに出場。課題曲「行進曲 忠誠」自由曲「音楽詩 ガラスの靴」を演奏し、第3位に入賞。
以降、郵政省吹奏楽団は関東大会において昭和31年には第2位、昭和32年には第1位(全国大会第2位)。昭和34年にも、日本管楽器㈱(現ヤマハ)、東京電気通信局(現NTT)を破り第1位、昭和35年にはシードとなり、昭和36年にも再度第1位を獲得するものの、翌37年には、ソニー、日本管楽器㈱に破れ第3位。

昭和38年7月には、春日氏の指揮者就任10周年を記念する演奏会が盛大に開催されましたが、この頃になると春日氏と団員とのめざす方向性とに齟齬が生じ、同年8月17日の楽団総会における指揮者信任投票において、春日氏は不信任となり(不信任18票、新任9票)遂に更迭されるに至ったそうです。

昭和33年7月2日、春日氏が指導をされていた関係で、..

楽団は今年で70周年!
発足当時を誰も知りませんから、この長い歴史を50周年記念誌をもとに紹介していきます。

昭和16年10月26日、これは70年よりもっと前の話ですが、日比谷公園大音楽堂にて、第6回吹奏楽競演會(関東吹奏楽連盟及び東京市主催、朝日新聞社後援)が開催され、一般の部に東京簡易保険局音楽部が出場しました。
これが郵政関係の吹奏楽団が初めて出た大会のようです。

昭和24年6月に、逓信省が郵政省と電気通信省に分離したのち、郵政中央吹奏楽団が生まれることとなります。
郵政省が編纂した続逓信事業誌に「昭和24年12月、職員の勤労意欲の高揚と明朗な職場の樹立を目的として、郵政吹奏楽団が郵政本省に設けられ、以来、逓信記念日等の行事において演奏するなど盛んに活躍している」との記載があるそうです。
この郵政省吹奏楽団が翌昭和25年1月に、陸軍軍楽隊出身の天辰三男氏、二宮久男氏を講師に迎え活動を開始しました。
そして昭和26年12月には、本省吹奏楽団、東京地方簡易保険局、東京地方貯金局、近隣の郵便局職員も含めた吹奏楽団として郵政省吹奏楽団となりました。
郵政省吹奏楽団から郵政中央吹奏楽団に変更されたのは、昭和30年。
昭和20年代後半から、地方でも職場のレクリエーションサークルとしての吹奏楽団が創設されてきたことからの変更でした。
会社自体も、もともと内閣にあ..