能ある鷹のサムネイル

2016-03-06
その時、販売促進部の責任者・S本拡光の鉛筆は迷いなく
A3の白い紙の上を走りだした。

百貨店は、モノを売るだけのハコではない。
人を通じて、モノを通して、個と個のつながりを作っていく。
こんな時代だからこそ…

2011年、2月。
「くまもと阪神」は「県民百貨店」へと屋号を変えた。
毎週月曜日の夕刊一面を飾ってきた5段広告を新しいシリーズに変えるのか、
それとも「一生青春」シリーズを継続するのか。
当時の舞台裏を
某人気ドキュメンタリー番組風に
筆者の想像を交えてお送りします。m(__)m


「つながりは 尊く 美しい」

キャッチコピーは、これしかない。

メインの写真は、数年前に一大ブームを巻き起こしたフジッコの「カスピ海ヨーグルト カスピア」。
「塩こんぶ」や「おまめさん」でおなじみの、フジッコである。
ある意味、カスピ海ヨーグルトは「おふくろの愛」と言っても過言ではなかった。

S本と「カスピア」との出合いは2005年に遡る。
「熊本岩田屋」を継いだ「くまもと阪神」の食品売場大改装の目玉の一つとして
「『カスピ海ヨーグルト』の情報発信基地」であった阪神百貨店からの紹介で初登場。
健康志向の高い熊本の顧客からもすでに高い支持を得ていた。
しかし、それから6年。
特に話題性の高い商品とは言えない。
H川やHらの販促チームメンバーは顔が曇った。
MJ社長が首を横に振るかもしれない、とー。

それでも、S本の信念は強かった。
そのヨーグルトは「株分け」できたことで
家族や友人、近隣コミュニティの手から手へ拡がっていった経緯がある。
健康を願い、お互いに年齢を重ねても心から元気でいたい、という
「一生青春」と共通するイメージがある、と
自信をもって推挙したのだった。

「これで、『一生青春』第2章のスタートが切れる…!」
S本は、描き終えたサムネイルを手に、社長室へと、向かった。
※サムネイル…「親指の爪」の意。発想を伝えるために描くアイデアスケッチ。

2011年4月18日 熊日夕刊掲載 県民百貨店「一生青春」シリーズ1

※クリックすると拡大できます

のちに、写真担当のH川はこの広告を「やっとの思いで再スタートした」と語っている。
実はこの2月、販売促進の部内は大荒れだった。
もともと、メンバーは5名という弱小チーム。
スーパーパート・H美のスピーディーかつ細やかなフォローで何とか運営できていた。
屋号変更に伴い、装飾担当のW田は
エプソンのプロッターとキャノンのレーザープリンターをフル稼働し
店内の新しい看板やPOPを作り続けた。
売場からは、大量の「ワントゥワン」と呼ばれる、
顧客へ送る手作りのハガキ作成依頼が殺到していた。
隣の部署のS本拓也は、いつの間にか販売促進の一員になっていた。
デュプロのデュースリッターhttp://www.duplo.co.jp/ds_416.htm
ひたすらハガキをカットし続けた。
販促の長であるT口と、電波(テレビ・ラジオ)をはじめマルチなベテラン女子W邉は、組織変更に伴い1日付で異動。
S本拡光が販促に復帰し、子供服売場からN村が加入。
そんな激動の最中、チラシ・ハガキや「一生青春」のコピー係でもあるHが
2月8日の「お得意様の日 特別ご招待会」の午後、緊急入院している。

県民百貨店のオープンまで時間がない。
スタッフは売場と事務所までの階段を一日に何往復も駈けた。
新人のN村は、強くなるしかなかった。

S本のサムネイルは、MJ社長のOKをもぎ取った。
「しかし、コピーはどうする。Hは、あと2年は戻って来んぞ」
「はあ、それなんですが…」
「…Hに、ベッドの上でできるか聞いてみろ」
「社長…?!」
「あいつは、書くことで力が湧く奴だ。聞いてみろ」

それから、メールでの打ち合わせや校正のやり取りが始まった…



再開の日。
4月18日、月曜日の夕刊には
県民百貨店のコーポレートカラーに刻まれた「一生青春」の文字。
そして広告の右上には「夢は続く」の文字が入っていた。

〈プロジェクト・エ~ッ・・・〉

そして現在。
フジッコの「カスピ海ヨーグルト カスピア」は
2015年末に「粘りが少なくなった」と自主的に販売を一時中止していた。
研究と改良ののち、この2月末から西日本も順次販売を再開しているのだが
とにかく品薄でファンもなかなか手に入らない状況が続いている。

お買物の途中、「カスピ海ヨーグルト」の種菌を見かけたら、
この機会に手に取ってみてはどうだろう。
牛乳を注ぎ足して増やせる「長寿の国」のヨーグルト。
おふくろの愛が、伝わるかもしれない。

~エンディングのテーマソングが流れはじめる~


今日、S本は阿蘇の現場にいた。
県の砕石業協同組合連合会の事務局長に就き
新しい仕事に熱意をもって取り組んでいる。

その姿勢は、あの頃と何一つ変わってはいない。
「やるべきことが見えてくると、そこへ向かって進もうと夢中になる。忙しいよ」
S本は目を細くして、屈託なく笑った。


~~おしまい。元上司の皆さん、失礼いたしました~~


お口直しに、熊本岩田屋時代に地階「中央催事場」でよく出店いただいていた
「わらべ」のたい焼きを。
奇をてらわない、頭から尻尾の先までびっしり詰まった小倉あん。
社員食堂でA定食を平らげた後でも美味しい、別腹・ザ・スタンダード!
現在は、「ゆめタウンはません」1階に売場を構えておられます。



S本さんスペシャルは、次号へつづく!