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会報;懇話会創立40周年記念特集116号 抜粋

2020年07月24日
協同組合懇話会 会報 116特別号

内容=目次
 協同組合懇話会創立40周年特別企画:協同組合懇話会40周年を迎えて代表委員;今尾和実/ 祝辞;JA全中会長;中家徹,日本生協連会長;本田英一/ 歴代代表委員の巻頭言から 中原純一、原田康/ 歴代代表委員一覧/ 定例研究会・現地研究会等一覧/ 懇話会外史
 166号 一般記事: コロナ禍で図らずも気づいた「日本の今」;日向志郎/ コロナ禍と研究会テーマ;長岡満男・ 安居院庄七/民衆の側から「報徳」の組織を作る;若槻武行/ 須田勇治さんの近著「宮脇朝男の生きざま」;吉川俊/ 懇話会2020年度役員
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協同組合懇話会40周年に寄せて
                   代表委員  今尾 和実


 昭和55年(1980年)に再発足した協同組合懇話会が令和2年で40周年を迎えました。会員・賛助団体の皆様で盛会に行おうとしていた総会が新型コロナウィルスの猛威の影響で開催出来ないという誠に残念な事態であります。
 新型コロナウィルスの蔓延はSARSの時とは比較にならない広がりです。経済偏重のグローバル化が地球環境の破壊、貧富格差・貧者の拡大に拍車をかけ、地域社会を破壊してきましたが、今度は世界中に感染症蔓延リスクをもたらした一因ではないかと思います。 
 我が国でも「国を開く」といって自由貿易協定が促進されてきたものの、食の安全や人々の暮らしが豊かになる保証はなく、ひと握りのグローバル企業が世界中から稼ぐ条件が優先的に整備されてきたのではないかと考えます。
 感染防止のため外出自粛、経済活動の一時停止を余儀なくされています。「働き方改革」の美名の元で非正規雇用が制度的に広められてきたことも相まって、勤労者の収入が大幅に減り、生活が圧迫されています。先進国では大規模な財政出動で乗り越えようとしているものの、財源の多くが後年度負担として国民にのしかかります。途上国においては財政的にも医療・衛生面でも脆弱で蔓延の広がりが懸念されます。
 Social Distanceが必要であってもそのことは「人々はふれあい、助け合う存在」という人間の本性と真逆で、今後差別・偏見が広がり、民族や国家間の対立が深まらないか懸念されます。従って、SDGsの世界的取り組みは新型ウィルス禍を経て一層強化されなければならない状況になっていると考えます。
 今こそ経済一辺倒のグローバル化のあり方を見直し、人間性尊重・倫理感を伴った経済活動を行っている協同組合的経済が求められているのではないでしょうか。地球資源を過度に略奪せず、自然と共生する。富を外部に持って行かずに地域内で循環する経済活動を増やす。そのための知恵をSNS等活用して世界の人々で共有し合う。そうしたグローバルな連帯が必要ではないでしょうか。こうした価値観と行動原理を懇話会の仲間で広げて行けたらいいなと思います。
 有効な治療薬やワクチンが開発され、インフルエンザなみの脅威に収まるには1・2年はかかるという専門家の見立てです。懇話会活動は当面制約されたものにならざるを得ませんが、パソコン・スマホなどによる会員間の情報連絡手段を活用した活動のあり方も検討し、活動を会員相互で展開していきたいと考えます。会員の皆様との一日も早い再会を願うともに皆様のご健勝とご活躍をお祈りします。とりわけ、賛助団体のご繁栄と変わらぬご支援・ご指導をよろしくお願い申しあげます。
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祝 辞  一般社団法人 全国農業協同組合中央会 
                   代表理事会長  中家 徹 


 協同組合懇話会が1980年に再発足されてから、今年で40周年という新たな節目を迎えられますことに、心よりお祝いを申し上げますとともに、先輩同志の皆様方のこれまでの大変なご努力に、深く敬意を表します。
 はじめに、新型コロナウイルスにより影響を受けられている皆様に、心からお見舞い申し上げます。また、医療・福祉をはじめ国民の健康やくらしを守るため、日夜奮闘されている皆様に、衷心より感謝いたします。
 各地の協同組合において、医療・福祉、食の生産・供給をはじめ地域のくらしと経済を支えるため懸命な努力が続けられております。農業をめぐっては、学校給食の中止や飲食店の営業自粛などで需要が大きく減退した品目があり、JAグループをあげて、国産農畜産物の消費拡大運動に取り組んでいるところであります。
 長期化するコロナ禍からの再生にあたっては、協同組合同士がさらに連携を強め、地域社会から期待されている役割を果たしていく必要があります。
 また、今年は国際協同組合同盟(ICA)設立125周年であり、1995年採択の「協同組合のアイデンティティに関するICA声明」から25周年を迎えます。これらを記念して2021年3月に韓国・ソウルで、「協同組合のアイデンティティを深める」をテーマにICA大会が予定されています。
 一方、国内では、協同組合が連携強化し、地域で果たす役割・機能を広げていくため、2年前に「日本協同組合連携機構(JCA)」をスタートさせており、JCAではこの機会に、協同組合のアイデンティティの再確認とあわせ、協同組合らしさを発揮してSDGsの達成に貢献していくことを確認・発信していくため、ICAが毎年7月の第1土曜日に制定した「国際協同組合デー」の日本独自のテーマに「アイデンティティとSDGsへの貢献」を掲げました。
 各地の協同組合が、コロナ禍から生きることを懸命に支える取り組みは、SDGsが目指す持続可能な社会づくりへの貢献であり、人びとの参加と協同により、共通のニーズや願いを実現する組織、地域社会の持続可能な発展のために活動する組織である「協同組合のアイデンティティの発揮」に他なりません。
 これら情勢のなか、「ヒズミを是正し、人間尊重を母体とした自主自立、連帯と協調の生き甲斐のある社会を築く」を設立趣旨に掲げる、協同組合懇話会の果たすべき役割はこれまで以上に大きく、協同組合運動に情熱を有する同志の益々のご発展を祈念申し上げ、お祝いのご挨拶といたします。
 

祝 辞  日本生活協同組合連合会
                  代表理事会長 本田 英一


 協同組合懇話会の創立40周年にあたり、心よりお祝いを申し上げます。
 先ずもって創立から40年となる歴史を積み重ねてこられた皆様のご努力に対しまして心より敬意を表します。
 協同組合懇話会は、さまざまな協同組合に集う人をつなぐ組織として発展されてきました。
 創立30周年にあたる2012年は、国連の定める「国際協同組合年」でした。以降、2016年にドイツの協同組合が申請した「協同組合の理念とその実践」が「ユネスコの無形文化遺産」となるなど、国際的に協同組合が評価される動きが続きました。日本では2018年に、幅広い各種の協同組合の連携組織としてのJCA(日本協同組合連携機構)が発足しました。JCAは、日本国内の主要な協同組合が参加し、協同組合どうしの連携をさらに強めていくための組織です。
 今、日本は格差の拡大や子育て、まちづくり、防災、医療・福祉、消費者保護など社会課題が山積みされています。さらに、少子・高齢化に伴う急速な人口減少、そして新型コロナウィルス感染症の拡大など、いまだ世界のだれも経験したことがない社会を迎えています。このような情勢のなかで今後、協同組合同士が手を結び、さまざまな課題に立ち向かっていくよう連携がますます求められてくると思います。
 日本生協連では2018年「コープSDGs行動宣言」を通常総会特別アピールとして採択したことをふまえ、今後もSDGsを共通言語として、生協や協同組合に限らず、行政・諸団体と手を携えて取り組んでいくことを呼びかけました。
 生協だけでなく、各協同組合が行ってきた取り組みの多くはSDGsそのものです。それぞれ事業の領域や組織の成り立ちは異なる協同組合ですが、協同組合原則を尊重し、より良い社会を作ることをめざしていることは共通しております。今後も皆様とも更につながりを深め、協同・連携の活動を広げ、ご一緒に未来を切り拓いてまいりたいと存じます。
 結びに40年の歴史の重みにあらためて敬意を表しお祝い申し上げますとともに、協同組合懇話会の今後一層のご発展を祈念申し上げます。 

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歴代代表委員の巻頭言から

 当懇話会は、わが国の政治・経済情勢が変遷するなかにあって、協同組合の基本理念と原則を守るべく会員相互で研究・研鑽活動をすすめ、会報の発行を通じて協同組合各組織をはじめ関係先へ発信してきた。特に、歴代の代表委員が「会報」の巻頭言などに貴重な見解を発表してきたことが、それに寄与したと考えられる。そこで30周年記念号にならい、同誌に掲載した以降の代表委員の論考の一部を巻頭言集として取りまとめた。なお、年号は西暦に統一している。

第8代 中原 純一  会報第92号 2012年6月10日
     幽学の里から国際協同組合年を思う


 今年も5月の連休に、大原幽学が170年前に開田した旭市長部の田んぼに子供たちの笑い声が響いた。あいにくの雨模様だが菅笠姿のお婆ちゃん・田植えガールズの手植えの所作は年季ものであることに感じ入った。
 早や7年になるこの地での都市農村交流事業は、IYC(国際協同組合年)実行委員会からの認定事業となった。山間では鶯が囀り、黄色いエプロン姿の食育ボランティアが竈炊きご飯と豚汁のお世話をする。「幽学先生」の紙芝居は記念館のお姉さんの学芸員が演じているので、大勢の子供達が真剣な眼差しでみてくれる。
 放射能が気になると参加されない生協も出て日程を短縮したが400名を超えるご参加があり、防災対策の提携先市川市の子供会、首都圏の4つの生協グループ、地元から申し込みで参加されたご家族と賑やかである。
 協同組合懇話会でも、国際協同組合年に向けて山内前会長の音頭で、協同組合憲章作りを巡って、パネラーに生協、信金そして農協から会員を迎えて、憲章草案にあった「新しい公共」と切り口に喧々諤々やった。それが、V,ペストフ氏が提起した「社会的経済の役割と協同組合への期待」へと議論が引き継がれていたものの、あの「幽学の里」のような心が触れ合う空気が流れていないのは、なぜだろう。
 懇話会では、引き続き小川泰子いきいき福祉会専務を講師に迎えて「共に生きる社会づくり」をテーマに定例研究会を開催した。こちらは多くの皆さんがご参加くださり息を吹き返した。しかし残念ながら、我が懇話会には女性の会員がまだ少ない。定例の常務委員会や月例の研究会には、おじさんばかりが集まって議論を繰り返していても、協同組合が今日の地域や食の現場から求められている声に応えていく情報を発信できないままでいるのだ。
 この際、女性の参加を呼びかけ、常務委員もお願いしよう。そこから今まで描けないでいた課題解決への道も解していくことが出来るかもしれない。

第9代 原田 康    会報第107号 2017年7月3日
    「JA」よりも「農協・のうきょう」の方が落ち着く


 JA・ジェイエイにはどうも違和感がある。平成4年、1992年頃から使うことになったが、いまだにしっくりこない。単にJAというと単位農協を指すことが多いが組織全体をさしていることもある。JA〇〇になると連合会や関連の会社もある。JAバンクシステムの総本山である農林中央金庫にはJAはついていない。
 農協関係者であれば会話や文章にJAとあればどの組織を指すか見当がつくので困らないが、外部の人には区別がつかないがJAとはどこかを確めたり聞き直すのは躊躇するのでよく分からないままとなる。
 JALなど、似たような略称があるがJapan Airlineであることが判る。JRもJapan Railwayで国鉄が民営化されたのでいささかこじつけではあるが鉄道・RailwayのRが入っている。JAは一番肝心な協同組合CO-OPのCが入っていない。JACとするとジャックとなって「ジャックと豆の木」となってこれもうまくない。
 使い始めてからもう25年になるがどうもしっくりこないのは、ジャーだけで協同組合が抜けているせいであろう。
農協改革の提言や意見を言っている人たちのほとんどは、農協の各組織が機能を分担して具体的にどのような仕事をしているかを調査もせずに発言している。このような提言や意見に回答するために貴重な時間やエネルギーを割くのはもったいないので適当にあしらっておけばよいが、よい機会なので「JA」を「農協」に戻す機会にしたらどうか。
 一般的に、世界各国の農協は品目毎の専門農協で連合会組織もないのが多い中で、日本の農協は総合で、単協の事業を連合会が補完をして農家の所得の確保と地域社会の振興にも大きく貢献している。このことをもっと多くの人に理解してもらうためにも「農協」がふさわしい。
 少なくとも単位農協や連合会の正式の会議などには「JA○○」とせずに「○○農業協同組合」、「○○農業協同組合連合会」の正式な名称を使うべきではないか、長い、短いの問題ではなく、基本を大切にすることである。

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歴代代表者・代表委員


第1代  宮城 孝治   共栄火災、 1980(昭和55年)1月~1985年2月
第2代  窪田 角一   農林中金、 1985(昭和60)年2月~同年9月
第3代 森  晋   全農・全中 1985(昭和60)年9月~1989年3月
第4代 榊  春夫  全農・全中・農林年金 1989(平成元)年3月~1997年3月
第5代 日下 孝之  農林中金  1997(平成9)年3月~2001年3月)
第6代 松旭 俊作  農林中金・全中 2001(平成13)年3月~2009年3月
第7代 山内 偉生  全中・農業新聞 2009(平成21)年3月~2012年3月
第8代 中原 純一  農林中金    2012(平成24)年3月~2013年3月
第9代 原田 康   全農、     2013(平成25)年3月~2019年3月
第10代 今尾 和実  全共連、    2019(平成31)年3月~



定例研究会・現地研究会等一覧  2012年1月~2020年

◆食料、農業政策
「大変貌したNZの草地酪農からわが国農業進路を考え」
  在NZ畜産コンサルタント農学博士 川辺 泰幸 氏    340回2012年7月
「農と共に歩んで~コメと農地の農政経験を踏まえて~」 ◇総会・協同組合日記念
  農林水産技術会議 会長 小林 芳雄 氏         369回2016年3月
「担い手問題の諸相と農業経営大学校」  ◇愛友会共同企画
  農業経営大学校 教授 堀口 健治 氏          370回2016年6月
「酪農問題を語る ~生乳の指定団体制度について」
  蔵王酪農センター 理事長 小原 實 氏          372回2016年9月
「八ヶ岳中央酪農4実践大学校を訪ねて」◇現地研究会、愛友会共同企画
  農村更生協会 会長 浜口 義廣 氏           373回2016年9月

◆農業の新しい展開
「儲かる農業論~エネルギー兼業農家のすゝめ~」
  食と農のアナリスト、法政大学研究員 武本俊彦 氏   356回2014年10月
「太陽エネルギー産出現場を群馬県下に見る」 ◇現地研究会 357回2014年10月
  榛東村 自然エネルギー推進対策室長 中島由美子氏 ㈱白子 白子工場長
「六次産業化を検証する~支援機構の歩みから見た展開過程」
  農林漁業成長産業化支援機構社長 大多和 巌 氏    358回2014年11月
「布マルチ稲作と小さな農業~掛川市・学園花の村からの報告」 368回2016年2月
  学園花の村 学園長 藤本 将 氏
「種子法廃止と遺伝子組み換え問題から解決策を考える」 ◇愛友会共同企画
  日本の種子を守る会 アドバイザー  印鑰  智哉 氏  385回2018年5月
「家族農業10年、農民の権利宣言とわが国農業に求められるもの」392回2019年5月
  金沢大学、九州大学 名誉教授 村田 武 氏  ◇愛友会共同企画 
「日本の農業・農村をどう再構築するか」
  ㈱農林中金総合研究所 客員研究員 石田 信隆 氏    393回2019年7月

◆農業協同組合の事業と経営
「経済事業運営と協同活動の両立へ向けて」 ◇納めの会
  JA全農 代表理事専務 吉永 正信 氏        343回2012年12月
「国際協同組合年を振り返って」
  千葉県JAちば東葛前 副組合長 加藤 久雄 氏     344回2013年2月
「グリーンツーリズムへの誘い~新しい農村体験旅行へ期待するもの」
  農協観光協会地域振興部 副部長 清水 寿一 氏     346回2013年5月
「地産地消を掲げ食農文化を推進する都市型JAを見る」  ◇現地研究会
  千葉県船橋市 JAちば東葛管内             349回2013年11月
「協同組合の危機と『農協改革』への対応」
  JC総研代表理事理事長 富士 重夫 氏          378回2017年7月
「農協自己改革の実情を現地に学ぶ」 ◇現地研究会、愛友会共同企画
  JA水戸 組合長 八木岡 努 氏             380回2017年10月
「協同労働と協同組合」 
  協同総研 代表理事理事長 岡安 喜三郎 氏       379回2017年9月
「全農の自主改革と今後の展望」  ◇納めの会
  全国農業協同組合連合会 代表理事理事長 神出完一 氏 382回2017年12月
「JA自己改革を巡って」   
  JA全中 専務理事 比嘉 政浩 氏           386回 2018年7月
「農業を基軸とする持続可能な地域づくり」 
  ふくしま未来農協 代表理事組合長 菅野孝志 氏    388回2018年11月
「自然災害とJA共済の取り組み」
  JA共済連 代表理事専務 秋元 雅博 氏        390回2019年2月
「農協改革を組合員とともに」 ◇現地研究会 
  厚木市農協 代表理事組合長 大貫 盛雄 氏       387回2018年10月
「JAグループを取巻く情勢について」  ◇総会、協同組合の日記念
 JA全中 常務理事 山田 秀顕 氏           391回2019年3月
「持続可能な食と地域づくりに向けて」 ◇納めの会
 JA全中 代表理事会長 中家 徹 氏          397回2019年12月

◆生協、漁協、各種協同組合
「クラブ生協はこう活動してゆく 私が協同組合人に訴えたいこと」 ◇現地研究会
  生活クラブ生協連代表理事会長 加藤 好一 氏     350回2013年12月
「浜の活力再生プラン ~ 水産日本復活に向けての挑戦~」
  JF全漁連浜再生推進部 部長 高浜 彰 氏        363回2015年7月
ワーカーズコープの目指すものと先進国の状況~真の協同の発見
  日本労働者協同組合連合会国際部主任 中野 理 氏     364回2015年9月
「わが国林業・森組問題諸相」
  農林中金農林水産環境統括部森林部長 逸見 尚人 氏  365回2015年10月
「林業・森組問題の諸相に迫る」 ◇現地視察         366回2015年11月
  秦野市森林組合代表理事専務 今井 栄 氏 神奈川県森連常務理事 谷 善造 氏
「生協運動の現状と今後の課題」 ◇納めの会
  日本生活協同組合連合会専務理事 和田 寿昭 氏    367回2015年12月
「森林法改正とその問題・課題」
  元全国森林組合連合会 代表理事副会長 岩川尚美 氏  395回2019年11月
「漁業法改正と漁業協同組合の行方」
  帝京大学経済学部地域経済学科 教授 加瀬 和俊 氏  396回2019年11月

◆協同組合の在り方と運動
「怠れば廃(すた)る・農協運動心得66か条」
  元鹿児島県信用農協連 常務理事 八幡 正則 氏     337回2012年1月
「大転換期における新たな協同の創造」  ◇総会記念講演
  JA全中 副会長 村上光雄 氏             338回2012年3月
「共済に対する米国の意見と韓国の共済制度の改変」 
  JA共済総合研究所理事長 今尾 和実 氏        341回2012年9月
「いま『協同』が創る 2012年IYC全国集会」◇現地研究会3 42回2012年11月
「私の考える協同組合の人づくり」 ◇総会記念講演
  JAマスターコース塾長 童門 冬二 氏         345回2013年3月
「私の考える農協運動のあり方とこれからの農協」  ◇納めの会
  前三次農協組合長,元全中副会長  村上 光雄 氏    374回2016年11月
「流れに抗する知恵と術」 ◇総会、協同組合日記念
  哲学者 内山 節 氏                  384回2018年3月
「協同組合とSDGs」 ◇納めの会記念講演
  明治大学 教授 中川 雄一郎 氏           389回2018年12月
「報徳社活動に学ぶ」 ◇現地研究会            394回2019年10月
  JAはだの 企画部長 三瓶壮文氏 小田原市内 尊徳記念館・尊徳博物館学芸員

◆福祉・税制・社会問題
「今を結び、次代へ繋ぐために~家族、地域そして言葉」
  社会福祉法人いきいき福祉会 総合施設長 小川 泰子 氏 339回2012年5月
「相続を争族にしないために」
  全国相続手続き支援センター本部 米田 貴虎 氏     347回2013年7月
「特例年金の問題について」 ◇東京都受給者連盟との共同企画
  農林漁業団体共済組合常務 早川 弘司 氏        353回2014年5月
「高齢社会をよくするために何が必要か」 ◇総会記念講演
  高齢社会をよくする女性の会理事長 樋口 恵子 氏    361回2015年3月
「豊かな老後は自分でつくる~高齢社会を生きる知恵」 
  青梅慶友病院開設院長/よみうりランド慶友会病院会長 大塚宣夫 氏
     ◇都受給者連盟協同企画              362回2015年5月

◆グローバリズムのなかで
「アフリカの今~独立とは果たして何だったのか」    
   明治学院大学国際学部教授 勝俣 誠 氏       348回2013年10月
「年金問題を考える~厚生年金・国民年金を中心に~」
  元日生協厚生年金基金理事 伊藤 良彦 氏        351回2014年2月
「中東情勢の今を読み解く」 ◇総会記念講演 
  千葉大学教授 酒井 啓子 氏             352回 2014年3月
「国際協同組合運動が目指すもの~ICAのブループリントを読み解く~」
  生協総合研究所 理事 栗本 昭 氏           354回2014年7月
「農業の在り方と協同組合の価値~2014年国際家族農業年の中で考える~」
  農村金融研究会 専務理事 原 弘平 氏         355回2014年9月
「今この国の在り方を問い直す~日本の政治はどこへ向かうのか~」 ◇納めの会
  政治評論家 森田 実 氏               359回2014年12月
「協同組合法制の世界的潮流 ~ 協同組合は今どこへ向かっているのか」
  農林中金総合研究所客員研究員 明田 作 氏       360回2015年1月
「アメリカ大統領選挙~ヒラリーかトランプか」        371回2016年6月
  東洋英和女学院大学教授 中岡望 氏  ◇東京農林年金退職者連盟 共同企画
「TPP破たんでも日本農業解体の要求に応じるのか」
  元農林水産大臣、弁護士 山田 正彦 氏         375回2017年2月
「グローバル資本主義の本質と協同組合の役割」 ◇総会、協同組合日記念
  法政大学法学部 教授 水野 和夫 氏          376回2017年3月
「日米貿易交渉 トランプの狙いはなにか」
  東洋英和女学院大学大学院 客員教授 中岡 望 氏    377回2017年5月
「異常気象と農業」 
  農中情報システム 監査役 気象予報士 田家 康 氏     381回2017年11月
「金融危機から10年、グローバルバンクの現状と課題」
  元東京三菱銀行副頭取 JPモルガン証券CEO 森口隆宏 氏 383回2018年2月

※ 2019(令和元)3月 総会記念講演 コロナ禍で中止

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懇話会外史  懇話会と協同組合運動の同志たち

 1947(昭和22)年11月、農業協同組合法が 公布され、戦時下から続いた農業会が廃止となる。各地に農協及び農協連合会が設置された。平和と民主主義の時代になり、協同組合運動の再建と健全な発展の願いが、全国に広がっていた。 協同組合懇話会の発足は、農協法公布の翌 1948年11月。その少し前の夏、家の光協会会長・宮部一郎と共栄火災社長・宮城孝治が「協同組合運動の健全な発展」を求めて動き出す。 二人とも敗戦後の民主化が進むなか、要職に就任したばかりだった。
  二人の呼びかけに応えて「家の光熱海寮」に集まった「同志」は、北海道・宮本平八郎、福島・鈴木六郎・佐久間慶一、山梨・中込寅一や、宮部や宮城の影響を受けた農協全国機関の森 晋、小林繁次郎、また、賀川豊彦直系の黒川泰一、家の光協会の奥原清、高橋芳郎らだった。 こうして11月に発足を確認し、事務局は家の光協会に置いた。
 この懇話会に結集したのは、戦前、全国各地で肥料商や穀物商、医師会などの「反産運動」に抗して運動した「産青連」の盟友たちが多かった。若い同志たちは戦争が終わって復員し、幹部職員となり、 新たな農業協同組合の再構築を模索していた。
  会議で東京へ来ると盟友と酒を酌み交わし、 熱く語り合うのが楽しみだった。 活動は「会員の相互研鑽と親睦」のための 懇親と研究会だった。研究会の講話は印刷物 にされ、配布された。そこから協同組合懇 話会編「千石興太郎傳」1954(昭和29)年刊、小平権一氏訳「スイス農業法」1960年刊を出版した。
 この当時、都道府県の協同組合運動者で中心的存在だったのは、長野の北原源蔵と京都の吉田秀雄の他、北海道の永井治平、岩手・ 岩淵長五郎、群馬・原安則、愛媛・竹葉久雄、福岡・南里勝、山形・皆川清輝、福島・鈴木六郎、 愛知・宮川清、山口・金子隼太らがいた。彼 らはこの頃ヒットした映画の題名にちなんで「七人の侍」と呼ばれていた。しかし、人数は 7名を超えている。地方によってメンバー構成が違うので、増えたようだ。
    *   *
 こうした動きは全国的ではあったが、どうしても東京中心の活動だった。そこで家の光 協会の宮部は職員・森田只夫が1955年、同会大阪支所赴任するとき、「関西協同組合懇話会」の結成を厳命。京都の吉田、香川・山地晴広、高知・山本勹慶らが各地の同志に呼びかけ、学者の桑原正信、嶋田啓一郎が積極的に協力、森田は事務局長となった。関西懇話会は後に「近畿農業協同組合研究会」に発展し、今日も 続いている。
 この後、東京の懇話会は停滞する。1956(昭 和31)年、宮部と宮城がブラジル視察で4か月留守にした。当時は南米への農業移住が始まったばかりで、移住者は貨客船で片道最短2か月半もかかる時代だったが、その様子を知っている者にとっては、飛行機を使ったとしても長旅とは言えない。さらに帰国の翌年、宮部・ 宮城の音頭で新たに「農協愛友会」が結成され、こちらの活動にもエネルギーが裂かれるようになる。
  当時の懇話会の活動は、家の光協会に事務局が置かれ、当初は総務部長が事務局を担当。その後、退任した役職員が代表や事務局長を担った。ただ、会員の登録は明確でなく、会 費も集めていない運営だった。 一方、全国農協中央会では毎年3月6日の産組法公布記念日前後に通常総会や都道府県中央会専務・常務・参事会議を開き、全中の他、 家の光協会や新聞連も出席していて、懇話会はそれに合わせて学習会や懇親会を行なっていた。
     *   *
 1964(昭和39)年、産業組合法公布65年(公 布は1900年)の「産業組合記念の日」行事が開催され、宮部の音頭で、森田が事務局長となり懇話会再結成がすすめられ、趣意書・会則作成し準備にとりかかる。 1980(昭和55)年1月、協同組合法制定80 周年を機に組織を整備し、農協の各事業連や生協・漁協・信組などの協同組合組織にも結集を呼びかけ、本協同組合懇話会を再出発させる設立総会を開催。顧問・宮部、片柳真吉、代表委員・宮城、常務委員・窪田角一、森晋 らが選任された。日本生協連会長の石黒武重、中林貞夫も顧問・常務委員を務めている。
  同80年3月6日に「産業組合法80周年記念集会」を開催した。それからは毎年3月6日頃 に「懇話会通常総会」と「協同組合法記念日の集い」を開催し、その前後に会合を持っている。
 なお、この後の1983(昭和58)年、参議院
選挙の全国区が比例代表制に変わり、それに 関連して選挙事務所の問題が起こり、協会退 任役員で事務局の高橋、板垣晋吉は家の光協 会から懇話会事務所の移転を迫られた。幸い、 共栄火災が引き受けることになり、事務所を 移転し、今日に至っている。  (まとめ編集部)

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コロナ禍で図らずも気づいた「日本の今」
                   日向 志郎  (日本農業新聞OB)

 

 肉親との別れを許さぬ非情さもつウイルス
 COVID-19というウイルスの恐ろしさは感染者の8割は軽症か無症状と油断させておき、時にひとり病床に伏せていた感染者が急激に悪化し誰を呼ぶ間もなく孤独死に及ぶなどの非情さが目立つことだ。とくに60代以上の高齢者は重症者や死亡者も多くなり、さらに呼吸器系や高血圧、糖尿病などの持病を持つ人は特に重篤化しやすい。持病ありの当方にとっては真に恐ろしいウイルスである。

 グローバル社会の転機迫る?
 さて、1月16日に初めて感染者が確認されて約4か月(5月7日現在)、いくつかこの間に気づいた点がある。第1はグローバル社会や経済への強烈な警鐘ということである。日本で初の感染者は発症もととされる中国武漢帰りの神奈川在住30代男性だった。武漢と言えば中国中部地域の工業、交易、文化それぞれ活発な人口1100万人近い大都市。北京、上海ならずも世界と通じており、ヒトやモノ、カネが国境を頻繁に超え行き来する。
 要は先進国や中国などのグローバル企業を中心に、安い労働力や効率化で原材料の調達―部品の組み立てー完成品の販売といった流れが地球的規模でチェーンのようにつながる体制(グローバル・サプライチェーン)だ。感染力の高いウイルスはこの流れに乗って一気に世界に拡散してしまったのだろう。日本の食料自給率はこのグローバル化の貿易至上主義で極端に低い状態にある。コロナ禍は果たして現在のグローバリゼーションのままでいいのか問いただしているように思う。

 効率化一辺倒で病院減らすとしっぺ返し
 二つ目は都市の集中や効率化一辺倒の行政だ。都市の集中は言うまでもなく人から人への感染に格好の状態だということ。とくに満員電車は感染症の専門家によると病原体を箱に入れて拡散する様子の実験箱とそっくりだとの指摘があった。また、行政の効率化は長年、経済成長と企業の利益を重視してきた一方で、近年、国民皆保険の経費削減を念頭に全国の病院や病床の削減を狙ったり、感染症対策予算の削減を政府が進めてきた経過があり、こうした動きが今回の流行で大きなしっぺ返しを受けている気がする。

 貧困・格差は深刻
 三つ目は格差・貧困化の進行。かつて新自由主義を信奉し、「格差結構」と国会で大見得を切った小泉純一郎元首相が思い出されるが、いまや貯金もなく日々自転車操業の如く日銭稼ぎで食いつないでいる人が多くいることが営業自粛や操業自粛、学校休校などで炙り出されるように、この度表面化している。家賃が払えない人々は住処を出て車中暮らしや臨時施設に入ったりと思わぬ事態に困惑。アルバイトをできなくなった大学生は5人に1人は中退を検討していると言う。自分が学生の頃も確かに貧しかったが、これほど追いつめられるほどではなかったかなと思うが、ある調査ではコロナ禍が長引くほどに歴史的な大不況が襲い、自ら命を絶つ若者や市民も増えるのではないかとの予想も出ている。
 ただし、こうした窮地立つ人たちに対し真逆の人もいる。米国のシンクタンクの調査では3月後半から4月上旬までのわずか20日余りの間に2200万人が失業する一方で、試算10億ドル以上の億万長者の資産合計は2820億ドル(約30兆円)も増加した。アマゾンのべゾス最高経営責任者(CEO)は今年1月1日時点より4月15日時点で250億ドル(約2兆6800億円)増えたという。コロナ禍による外出制限で需要が増大したため。ほかに電気自動車メーカーのマスクCEO、ズーム創業者のユアンCEOら8人が「パンデミック・プロフィテイアーズ」(感染症爆発で暴利をむさぼるもの)と命名された。格差是正がいよいよ必要。

 心配なのは最後は食
 4つ目は食の問題。コロナ禍による一斉休校は学校給食やこども食堂を直撃。牛乳や野菜等の食材の行き場を奪い、子供たちの貴重な食の確保機会を揺さぶった。とりわけ母子家庭、男親家庭など経費的にも給食や子供食堂に依存してきた子供たちは親子で一気に追いつめられた。当然、食材を供給してきた農家も困惑したが、さらにレストランなどの外食業者、加工業者の営業も大打撃。卸業者もかつてない痛手を受けている。NPO調査では全国の9割の子供食堂が自粛で休止。わずかに月一度に回数を減らした都内の食堂では仕事をなくしたシングルマザーや高齢者など初めて訪れる人が増加中。「生活に余裕がない。助かる」との声も。ユニセフなどによると休校で給食を食べることができなくなっている子供が3億7000万人に上るとか。
 また、ただし、食の問題はまだこれから。WFP(国連世界食糧計画)によるとコロナ禍で年末まで食料危機に直面する人が昨年より倍増し2億5000万人になると発表。さらにFAO(国連食糧農業機関)、WHO(世界保健機関)、WTO(世界貿易機関)が3者連名で国際貿易と食料のサプライチェーンの混乱で食料不足の恐れを警告したことはご存じの人も多いでしょう。世界最大の小麦輸出国のロシアなどで輸出規制を始めたことを暗に非難したとみられます。ですが日本が輸入を依存する米国ではメキシコなどからあてにしていた農業労働者の手当てがつかず作付削減の恐れがあることや欧州でも東欧や北アフリカなどからの労働力が確保できず作付が減る恐れがあると聞いた。そうなると回り回って自給率の低い日本に跳ね返りかねないということになる。新聞の投書欄にマスク不足から「食の安全保障は国の責任」「メデイアはもっとお日本の主食である米を食べるよう奨励し、日本の農産物を少々高くても買って、農家を支えることが大切だ」との提言。涙が出る。

対応の差は一国のリーダーの姿勢
 最後の五つ目。やはりコロナ禍という国民的危機に対する一国のリーダーの姿勢について。中国武漢を発信源とする新型コロナウイルスの初めて日本国内で確認されたのが今年1月16日。韓国は同20日、台湾は同21日、ドイツ27日、イギリス同31日。これら諸国は日本より感染確認が遅いのに早収束したか、しつつあり、まだまだ予断の許さない日本と大きな差異が生じている。原因は色々あるだろうが主因はこれに対応するリーダーの姿勢だろう。中国はもとより各国が検査体制をフル稼働させ感染者発見と隔離に全力傾注させ、ロックダウンや行動自粛のための例えば休業補償や生活保障、隔離した場合の食事や医療関係者へのケアなどを次々打ち出していったのにこの間何をしていたのか。
 例えば中国の周辺国が中国からの入国制限を開始したのに、4月予定していた習近平主席の国賓来日が3月初めまで決まらず湖北省以外の入国制限を決めなかった。また、何と言っても頭の中で最大の懸案だった東京五輪延期が3月24日まで決まらず、どうもコロナ対策どころではなかった気がするのは大方の見方だ。確かに2月25日大甘の基本方針を出し、どうも国より早い北海道の緊急事態宣言に影響を受けたか、菅官房長官や文科相にも相談しないまま臨時の小中高の一斉休校をやったが、あまりに突然の思いつき指示に全国から大ブーイング。4月に入って「アベノマスク」やネット動画に投稿したアベノコラボで優雅にコーヒーか何かを飲みながらゆっくりとホームステイを呼びかけたが、休業が失業となって路頭に迷うような人も出る中、これまた大ヒンシュク。要するにコロナに喘ぐ庶民、国民に日頃の口先と違って全く寄り添ってないばかりか、国民の大危機の中でも経済だけは別にして、やる気が感じられないのである。
 肝心のPCR検査も口ではすぐに2万件はできるなどとぶち上げても現場は全く動かずじまい。やっと10万円の特別給付金を決めたが、これも与野党の突き上げで補正予算案を土壇場で組み換えと言う醜態を示した。だいたい消費増税で庶民から巨額のカネを巻き上げておきながら大変な国難ともいう時に自分たちは国民と言う金ずるにしがみついていながらできるだけ出したくないというのは、単なる寄生虫政治家としか言えない。

 医療関係、農家、清掃員、配送員らはエッセンシャルワーカー
 これに比してドイツ・メルケル、イギリス・ジョンソン両首相などは休業補償などにも迅速な手厚い対応をして国民を安心させている。ドイツに留学中のあるバイオリニストはパソコンで申し込んだら2日後には5000ユーロ(約60万円)が口座に振り込まれていた。対して日本は企業が従業員の雇用を維持するための補助金である雇用調整助成金(1日8330円)という少ない資金でさえ、書類準備が面倒すぎてとても当面の緊急事態に対応できない。平時感覚の姿勢のままだ。フランスのマクロン大統領は4月13日の演説でトラック運転手、農家、教職員、配送業者、ごみ収集員、レジ係、清掃員、警備員、患者の治療にあたる医師、看護師などを上げ「エッシェンシャルワーカー」(社会を支える不可欠の仕事を担う人たち)として「(コロナ禍の中)みな社会生活が続くことを可能にしてくれた」と感謝したという。また、韓国の文大統領は、4月30日、コロナ対策の全世帯への「緊急災害支援金」の財源確保のため、F35ステルス戦闘機、海上作戦ヘリ、イージス艦の購入費用など軍事費の支払いを先送りするための補正予算案を可決した。軍事より国民の生活を優先したという。トランプ大統領にかしづく安倍総理にはできない芸当だ。
 感染すれば自らも死に直面しかねない中、懸命に治療にあたる医師や看護師ら関係者が十分なマスクやガウンや消毒薬、手袋などが不足しているなら他国のリーダーのように政府が企業に資金を提供して製造に緊急に当たらせたり、隔離のための病床確保に首相の力量を発揮したりと色々活躍の場があるはずだが、プロンプターを見ての説明にはその本気度は伝わらない。どこかの自治体首長のほうがよほど休業要請、休業補償などで評価を上げている。これには「この政権が国民の生命や財産を守ることに真剣に取り組んだことなどただの一度もない」(政治学者、白井聡氏)、「いつも大企業の顔色しかみていない」(経済評論家、荻原博子氏)と続き「わが国の最大の不幸は、この危機的状況の中で、公共的精神を軽侮する人間が最高権力者だという点にある」(山口二郎法政大教授)と安倍首相を厳しく評価する声が目立つ。仕方ないところか。

 コロナが都市と農村の架け橋役に
 とかく重い話となったが、コロナ禍で埼玉県のある子ども食堂ではそれまでの給食が中止なって困る人が増えるので、プレート方式から弁当に切り替えると、母子家庭親子など地元一般家庭との交流が活発化し、野菜の地産地消運動が高まっている。また、コロナ禍を契機に都会からの移住相談が増えており、オンラインでの移住セミナーの開催の動きが広がっている。都会の密集に不安を感じる若者がでているためだ。コロナが意外に少しでも都市と農村の橋渡し役となれば、面白い。

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現地視察報告2019.10.7 小田原市(3)
安居院庄七/民衆の側から「報徳」の組織を作る
                      若槻武行(家の光OB)



 江戸時代後期、遠州を中心に二宮尊徳の「報徳」を広めた人に安居院庄七(あぐいしょうしち:1789~1863)がいる。尊徳は権力者・幕府の側から、飢饉で困窮した農村の建て直しを指導したのに対し、庄七は農民・民衆の側から地域の建て直しを行い、相互扶助の組織結成に尽力している。庄七が居なかったら、尊徳はこれだけ有名にはならなかったといってよい。

協同の大切さを今に
 東京から私鉄・小田急で 80分の神奈川県秦野市に、秦野市農業協同組合(JAはだの)がある。大型合併農協ではないが、「組合員の満足度・日本一の農協」を実践し、優良事例として知られている。組合員・役職員教育には特に力を入れ、毎年7月第1土曜日の「国際協同組合デー」前後に記念の研修会を開催。市内の生協・森林組合など他の協同組合関係者や、南米などの研修生も招待する。
 農協本所玄関前に「一人が万人のために、万人が一人のために」を世界各国の言葉で刻んだ石碑がある。この協同組合のスローガンを大切 にしている姿勢が伝わってくる。
 この石碑の隣にもう一つ「乱杭(らんくい)の長し短し/人こころ/七に三たし五に五たすの十」の歌碑もある。これを詠んだのが、秦野生まれの安居院庄七、その人である。
「乱杭」は川辺に立てた杭で、長短いろいろあり、それらが水の流れをうまく調節し勢いを和らげている。人間の心は各々違っても、お互いが特長を出し合い協力することで成果が上がることを教えている。まさに協同組合の原点「相互扶助」を説いた道歌である。

尊徳にお金を借りようと下野へ
 庄七の生家は近くの大山の修験道の法印の朝田家(後に神成に改姓)で、安居院家に婿入りする。苗字は読み難いが、秦野市周辺では「あぐい」と読み、静岡では「あごい」とか「あごいん」と読んでいる。また、遠州では庄七の名を「義道」と言われていた。
 安居院家は秦野の街の米屋だった。当初、商売は順調だった。しかし、50歳を過ぎるころから、米相場に手を染め、失敗を繰り返し、財産をなくしてしまう。
 そのころ同郷の小田原生まれの二宮尊徳が下野(しもつけ)国桜町(栃木県二宮町と真岡市の一部)の陣屋にいて、低利で金を貸していると聞き、訪ねてみた。しかし、会えないまま何日かが過ぎる。その間、立ち聞きした尊徳教えや、門人たちの話から、「報徳」とは何か理解していく。
 「徳」には「仁・義・礼・智・信」の「五常」があり、論語の「怨に報ゆるに徳を以ってし、徳に報ゆるに徳を以ってす」が報徳。二宮尊徳は徳の道として、「道徳と経済は一体、物と心の調和」を挙げる。武士や農民、陰と陽など違うものでも互いの徳を出し助け合うのが「一円仁」。それをさらに協同・共生させるのが「一円融合」。
 疲弊した村を再建する「仕法」としては、「至誠・勤労・分度・推譲」を説く。この内「分度」とは自分をわきまえ慎み節約すること、「推譲」とは自分の子孫だけでなく、他人や社会のために譲ること。
 「そこが人間と畜生の違うところだ」と庄七は思った。初めは金貸しの親方ぐらいに思っていた尊徳が、窮民の救済、村の復興、世のため人のために尽くしている偉大な人だと、庄七は気付く。それに比べ、自分は「人道を無視し、私利私欲に凝り固まった鳥獣同然であった」ことを恥じ、一度死んだ気持ちで生まれ変わろうと決意する。

商売を立て直し村を復興させる
 結局、庄七は尊徳から直接教えを受けないまま25日間滞在して、秦野に帰った。しかし、得たものは大きかった。秦野では、人が変わったように商売に励む。それも「売っても喜び、買っても喜ぶ、双方喜ぶのが極意」「報徳につき諸品安売り、現金懸値なし」という「報徳商法」を実践する。傾いた安居院家の米屋は、1年で建て直した。
 庄七はさらに、飢饉で苦しんでいた自分の実家の近くの村で「報徳」を説き、倹約と副業を奨励し、相互扶助に取り組むよう指導し、村を復興させている。

 弟と共に旅に出て報徳を広める
庄七は各地を見聞し、報徳をもっと広めたいと思った。そこで、実弟・浅田(朝田から改姓)勇次郎と旅に出て近畿・東海を回る。旅の先々では、その土地の農業を見聞し、技術や経営について習得した。
 1847年、困窮にあえぐ遠州・下石田(現・浜松市)の農民に、報徳社創立を指導し、ここに報徳社を創立。「朝夕精進して縄をない、わらじ作等怠らず……」「出来たものは積み立てる」「積立金は大切に守り、困った人には無利息で貸し、返済後に礼金を払う……」と、耕作の仕方、肥料の作り方など、村のためになることを話し合わせるよう指導した。
  今その浜松市には「遠州報徳社発祥の地」の碑が建っている。下石田に報徳社が結成され、成功を収めていることは、すぐに遠州の各地に広がっていく。報徳の仕法のほか、農業の新技術の導入、新田開発、洪水対策の土木工事、さらに「諸品安売り、現金懸値なし」の報徳商法、村の建て直しを考えている人たちの心を引き付けた。
 その情報は同じ遠州掛川・倉真村の大庄屋・岡田佐平治(号は無息軒)の耳にも入った。48年3月、庄七兄弟、佐平治とその息子・良一郎(後に尊徳の高弟四天王の一人となる)の運命的な出会いが実現する。庄七は佐平治に尊徳の次の歌を示し、その感想を問うた。
 梅の木は 根も梅なれば 花も梅 実も梅なれば 枝も葉も梅
 その意味するものは、「梅の木からは桜はできない。それぞれ立場、役割、力量、分度に応じて生活しなければならない」ということ。また、「梅の木は、根も花も実も枝も葉も、全部で成り立っている。どれが欠けても梅にならない。この世は、武士も庄屋も百姓もみんな同じ人間で変わりはない。みんなで助け合っているから成り立つ」という「一円融合」の内容もある。     
 村の再興は、「各々が分度をわきまえた生活をすること。そのうえで、いろいろなタイプの村人が、それぞれの徳を出し合って、一体となっていかなければならない。その覚悟があるのか」と問い質すのだった。
 佐平治はすぐにそれを読み取り、意気投合する。その年の12月に「乙星耕地報徳社」(後の「牛岡組報徳社」で、「大日本報徳社」となる)が結成された。その後も、庄七兄弟は佐平治、良一郎とともに、遠州だけでなく、今の静岡県全域、愛知や三重、山梨の村々の要請を受け、報徳の教えを各地に広げようと歩き回った。
 弟の勇次郎は常に兄の庄七を助け、一番の協力者として共に行動していた。庄七が遠州や駿州などで報徳を広めることができたのも、勇次郎がいたからだった。51年、勇次郎は兄と別れ、単独で伊勢(三重県)を回っていた。その最中、松坂(現・松阪市)で病に倒れ、帰らぬ人となる。享年55だった。

遠州七人衆と庄七が尊徳に会う
 庄七や佐平治たちは「報徳社」を名乗っていたけれども、「報徳」の創始者・二宮尊徳から認知された組織ではなく、直接教えを受けていた訳でもない。当時は農民が集まっただけでも警戒され弾圧を受けていた。尊徳が認知したことは、幕府が公認したことにつながる。ここはどうしても尊徳に面会して、直接教えを受けたいと思っていた。
 一方、ある日尊徳は、岡田左平治の知人にこう伝えた。「遠州には報徳の道を説く者がいると聞いている。ただ、報徳には決まりがある。それが正しく伝えられるよう、遠州の世話人たちと会いたい。代表者にそう取り次いでほしい」
 53年、代表として佐平治ら「遠州七人衆」と庄七は、ようやく尊徳と面会を果たす。遠州の30余りに増えていた報徳社について詳しく説明。尊徳は注意深く聴き、書類を点検した後、各報徳社を高く評価し、細部にわたって丁寧に助言する。そのうえで、遠州のすべての報徳社を自分の直系の報徳仕法組織として認知した。
 その後も庄七は報徳の普及に各地を回るが、1863年、浜松で病に倒れ客死する。享年75だった。同市の玄忠寺に埋葬され、故郷の秦野市の妙相寺にも墓石がある。

庶民的でわかりやすい道歌
  庄七は報徳の指導に道歌を示したことを紹介したが、そのほかにも次のものがある。いずれも身近な事例で判りやすく、報徳や相互扶助を説いている。――「世の中の貧富は己が勤めより/蔵を建てるも蔵を売るのも」「よき道の教えは数多(あまた)ありぬるを/得がたきものは誠なりけり」
 倹約を説いた歌は――「春みづ菜/夏は魚に秋大根/冬は豆腐に葱を交えよ」「餅もつかず/雛もかざらず/たこあげず/かかるる家にも福は来にけり」 「福徳は日々の勤めのちりほこり/いつか木の葉の積もる思いを」……どんな小さなことでも、毎日の努力が大切と「積小為大」を説いている。
 夫婦喧嘩を仲裁した歌では――「待てしばし/これは夫婦の二た柱/双方共に/おきをつけやれ」――
 火鉢の中の火箸で、赤い炭火をつまみ上げて、この歌を詠んだ。「しばし」は「しばらく」と「火箸」を掛け、「おき」は「お気」と「炭火のおき」を掛けている。
     
日本の協同組合の起源に
 1863年、庄七は浜松で客死した。「あさがおの葉ごとにおける露の身も/また来る朝の花ぞ待たるる」――庄七の「辞世の歌」で、何度も生まれ変わって、人々を救済したい気持ちが込められている。この歌と前述の「乱杭の歌」の二首は、浜松の「安居院先生頌徳碑」の裏面に掘られている。
 庄七は浜松市の玄忠寺に埋葬され、立派な墓が作られた。故郷の秦野市の妙相寺にも墓石がある。また、本町小学校前にも石碑がたてられている。
  ヨーロッパでは、1844年にイギリスでロッチデールの「公正先駆者組合」、48年にドイツでライファイゼンの「救貧組合」など、世界各地に協同組合が誕生する。庄七らの下石田の報徳社は、西欧の先駆的2組合の中間の47年に誕生している。それより少し前の44年にはロッチデール公正開拓者組合と、世界各地に協同組合が誕生している。
 二宮尊徳、安居院庄七の教えは協同組合の思想そのものだった。庄七の生地・秦野市では郷土の偉人・庄七の業績を顕彰し、農協の歌碑の他、同市立本町小学校前にも石碑が建っている。     
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事務局だより

◆本年度会費徴収について
6月初旬のEメールによる全体委員会で、今年度の正会員会費2,000円とその手続きについて協議。減額する理由は、コロナ禍により活動が計画どおり実施できないため。正会員の年間会費5,000円は会則で明記されており、総会に変わる全体委員会で確認し、監事の承認も受け、念のため直近に開かれる総会で会費減額と経過を報告し了解を得ることとしました。
 
◆ホームページ「サークルスクエア」の開設
 この会員制ホームページ(HP)には、掲示板、アルバム、ファイルフォルダ、名簿、スケジュール、ブックマーク、つぶやきなどがあり、慣れれば楽しく便利です。現在、会員登録したのは懇話会の常務委員・監事・顧問はほぼ全員ですが、委員、会員もまだ数名だけです。
 今後、より高度で有効なホームページを目指して研究します。ただ全員が素人です。
このHPの管理は自宅でも操作できます。会員のどなたか、やってみようという気がある方、大歓迎です。事務局までご連絡ください。
※ HP「サークルスクエア」参加もメルマガ受信にも、会員諸氏のEmail Address登録が不可欠です。事務局に連絡いただければ、HPから登録の連絡があり、参加の手続きが簡単にできます。

◆「メルマガ(メールマガジン)」を発信中
 この「メルマガ」はメールアドレスを登録された会員のみ、月1回以上、発信しています。「メルマガ」は「会報」に変わるものではなく、補完するものです。
 スマホでも見れる「スマホ版」と、パソコンの大きい画面で見れて、印刷も可能な「パソコン=PC版」があります。両版とも内容は同じですが、PC版は写真や図が入っています。
 記事は常時、募集中です。内容は、研究成果の論文や随筆、協同組合運動や時事解説、詩・短歌・俳句などの文芸作品、近況報告、絵や工芸作品の写真・記録写真など自由です。
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協同組合懇話会 会報  2020.7.15
懇話会創立40周年記念 第116特別
発行 協同組合懇話会 代表 今尾和実
事務所〒105-0003東京都港区新橋1-18-6 共栄火災ビル内 電話03-3593-0488
※ただしコロナ禍等の事情により事務局・若槻へもご連絡ください。
  携帯電話080-8725-8360  Eメール:take.wakatsuki@gmail.com
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須田勇治さんの近著「宮脇朝男の生きざま」
                      吉川 駿(元日本農民新聞)


 須田勇治さん(元日本農業新聞報道部長・論説委員室長)が、標題の一冊を全国共同出版から上梓された。「経営実務」に5年余63回連載されたものを加筆訂正したものである。
 宮脇朝男さんと言えば、昭和40年代、わが国の農業、農政の大転換期に全中の会長として政界・官界・財界にと渡り合いながら、農協の進むべき道を切り拓いていった「農協界のドン」「中興の祖」として知られる。
 須田さんは、執筆動機を「私も含め多くの人が、わが国農業のあり方が問われる現在、宮脇さんならどう判断し、行動しただろうかと思うこともあり、改めて氏の考え方や活動を整理してみた」という。
 連載の執筆を始められた少し前の2013年には、元家の光の大金義昭さんの筆による「評伝 宮脇朝男」が出版されている。大金さんも素晴らしい文筆家であるが、この評伝は、資料と関係者の取材をベースにしておられる。おそらく記者として宮脇さんと身近に接しられ、面会謝絶の病室に招じ入れられた須田さんは、「生(なま)」の宮脇さんを書きたいという衝動に駆られたに相違ない。「情勢判断の的確さ、洞察力とそのスケールの大きい行動力、人脈の広さ、多くの業績、人間味あふれた、不世出のリーダー」と宮脇さんを評しているが、その実際を記者として見聞きしたことから、宮脇評を浮き彫りさせたかったのだろう。だから全中会長時から亡くなられた時まで、記者として氏に接した時に限定された記録としており、生涯を描く「人物伝」ではない。
 盛り込まれている内容を目次で追えば、「50代の若さで全中会長に就任」「米価運動と食管制度」「政財界との交流」「国際交流と農産物自由化反対闘争」「国際農産物価格高騰と畜産対策」「農協教育と組織整備」「病との闘いと全中会長辞任」「全中会長辞任後の活動」「最後の時」である。これら目次の大区分の中に、農業情勢、宮脇さんの考えと行動が詳述されている。
 宮脇さんの全中会長時代は、生産調整等コメ政策や農産物貿易自由化など農政の大転換、この事態に対応する農協組織の転換(全販連と全購連の合併=全農の創設、単協の全国連直接加盟、協同組合短大の中央協同組合学園への改編等)の時であった。須田さんは、宮脇さんのこれら諸問題への対応を記者として追い、その模様をヴィヴィッドに描き出している。
 さらに亡くなるまでの記録が続く。それは、「すべての役職をやめ、農民の相談相手になりたい」という宮脇さんの心に須田さんが魅かれていたからであろう。「発想の柔軟さ、大胆な行動力、さわやかな弁舌、豊かな包容力などの人間性」とも宮脇さんを評する須田さんであるが、取材と豊富な資料をベースにした客観的な叙述ゆえに訴求するものがある。
 エピソードもある。「全国農業協同組合連合会」=「全農」という名称の名付け親が宮脇さんだったということを、私自身初めて知った。組織の統合では、名称を何にするか難しい。いろんな議論の中時、「全国農業協同組合連合会が良い」で一件落着。「全中」より上を行くような「名称」をさらっと言いのけるところに宮脇さんの凄さがにじみ出ている。

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最終更新日時:2020年10月12日 16時55分
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