主な活動場所
平常時は、①「研究会」として講演会やシンポジュウムを、共栄火災株式会社本社ビル等で開くほか、②協同組合運動の現場を視察、会報を発行。この5月から、メールマガジン=メルマガも発信しています。

 協同組合懇話会の概要

2020-07-15
協同組合懇話会の概要


*沿 革*

 協同組合懇話会は、1947(昭和22)年11月に農業協同組合法が公布された翌48年に社団法人家の光協会・宮部一郎会長、共栄火災海上保険相互会社・宮城孝治社長の両氏によって提唱され、戦後の協同組合運動の再建と健全な発展を願う全国の有志に呼び掛けて発足 した。
 当時の懇話会の活動は、会員相互の親睦・ 情報交換・学習研鑽を図るため、定例的な懇談の場を設け、協同組合問題等に関わる講演会を開催するとともに、出版事業(注1)にも取り組んできた。
 この懇話会は1956(昭和31)年に活動を休止することになった(注2)。しかし、1964年には産業組合法公布65周年を記念して有志による「産業組合記念日の集い」が創設され、爾来、産業組合法公布の1900(明治 33)年3月6日に因んで毎年3月に定期的に開催されている。
 さらに、産業組合法公布80周年を迎えるにあたって、この集会の実施主体の必要性に加 えて、協同組合運動に携わってきた同志たちの親睦・交流を強めたいとの機運が高まってふたたび組織づくりが目論まれ、1980年1月に本懇話会の設立総会が開催されて再発足した。 その初会合は、同年3月6日に「産業組合法公布80周年記念集会」として開催されている。
 注1:主な発行図書 ◇協同組合懇話会編 「千石與太郎傳」1954年刊 ◇小平権一氏 訳「スイス農業法」昭和30年刊 ◇協同主 義研究会編「協同組合叢書(全6冊)」1955 〜56年刊 ◇阿部信彦編著「協同組合“100 年の軌跡”」2000年10月刊(在庫があり、希望者には特別価格にて頒布中)
 注2:「協同組合懇話会」の名称で講演会 や懇親の集まりは行われてきたが、会則は なく、会員は明確ではなかった。本誌掲載「懇 話会外史」を参照されたい。


*組 織*

⑴ 会員および賛助会員
 本会の会員は、正会員と賛助会員をもって 構成されている。 2023年3月現在の正会員数は122名となっている。近年正会員数は高齢化等によって漸減しつつあり、各組織にも働きかけて入会勧誘に努めているところである。
賛助会員は、2019年に1団体増えて次の17 団体(順不同)。
 全国農業協同組合中央会、全国農業協同組 合連合会、全国共済農業協同組合連合会、農 林中央金庫、全国厚生農業協同組合連合会、 ㈱日本農業新聞、家の光協会、㈱農協観光、 農林漁業団体役職員共済組合、全国森林組合 連合会、全国漁業協同組合連合会、日本生活 協同組合連合会、全国労働者共済生活協同組 合連合会、日本コープ共済生活協同組合連合 会、全国信用金庫協会、共栄火災海上保険㈱、 JA共済総合研究所

⑵ 役員・事務局
 2023年3月現在で役員の総数は24名、うち 代表委員1名、監事2名、委員21名で構成されている。委員のうち、日常の会務を執行する常務委員は10名である。事務局は2016(平成16)年から複数体制とし、常務委員の2名がこれにあたっている。


*活 動*

⑴ 研究会の開催

 本会の基幹事業である研究会活動は、発足 以来の43年間に、協同組合記念日の記念講演を含めて415回を数える。 研究会は、原則として隔月開催の定例研究 会と、視学学習を目的とした年1回の現地研 究会とに分けられるが、時局的な研究会も随 時開催している。

⑵「協同組合記念日の集い」の開催
 「産業組合記念日の集い」は、1964(昭和 39)年以降、毎年開催されてきた。 1988年3月に至って、戦後の協同組合法が40 年を経過したこともあって「協同組合記念日の 集い」に改称し、本会の恒例として、年次総会 にあわせて式典と記念講演を行っている。

⑶ 会報・資料等の発行
 会報は、研究会記録を中心として、現在年3回発行を原則としているが、2023年3月までに123号が発行されている。また、講演資料等は必要に応じて資料集として取りまとめている。
 近年、会員の高齢化等による活動の停滞等があったことから、その対策と今後の会の運営をさぐるため、2018年に刷新委員会を設置して検討をすすめ、同年10月に提言を受け、その具体化への取り組みを続けてきた。 2020年に入り新型コロナの蔓延で対面の活動が制限されたことも有り、「メールマ ガジン=メルマガ」PC版・スマホ版の配信、会員用ホームページの開設、ZOOM会議などのオンライン活動を導入、会場参加が難しい会員にも参加いただくなど、刷新委員会提言に沿った形で組織の活性化が具体化されつつある。


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懇話会外史 懇話会と協同組合運動の同志たち

 1947(昭和22)年11月、農業協同組合法が公布され、戦時下から続いた農業会が廃止となる。各地に農協及び農協連合会が設置された。平和と民主主義の時代になり、協同組合運動の再建と健全な発展の願いが、全国に広がっていた。 協同組合懇話会の発足は、農協法公布の翌 1948年11月。その少し前の夏、家の光協会会長・宮部一郎と共栄火災社長・宮城孝治が「協同組合運動の健全な発展」を求めて動き出す。
 二人とも敗戦後の民主化が進むなか、要職に就任したばかりだった。 二人の呼びかけに応えて「家の光熱海寮」 に集まった「同志」は、北海道・宮本平八郎、福島・鈴木六郎・佐久間慶一、山梨・中込寅一や、宮部や宮城の影響を受けた農協全国機関の森晋、小林繁次郎、また、賀川豊彦直系の黒川泰一、家の光協会の奥原清、高橋芳郎らだった。
 こうして11月に発足を確認し、事務局は家 の光協会に置いた。この懇話会に結集したのは、戦前、全国各地で肥料商や穀物商、医師会などの「反産運動」に抗して運動した「産青連」の盟友たちが多かった。若い同志たちは戦争が終わって復員し、幹部職員となり、新たな農業協同組合の再構築を模索していた。会議で東京へ来ると盟友と酒を酌み交わし、熱く語り合うのが楽しみだった。
 活動は「会員の相互研鑽と親睦」のための懇親と研究会だった。研究会の講話は印刷物にされ、配布された。そこから、協同組合懇話会編「千石興太郎傳」1954(昭和29)年刊、小平権一氏訳「スイス農業法」1960年刊を出版した。
 この当時、都道府県の協同組合運動者で中心的存在だったのは、長野の北原源蔵と京都の吉田秀雄の他、北海道の永井治平、岩手・ 岩淵長五郎、群馬・原安則、愛媛・竹葉久雄、 福岡・南里勝、山形・皆川清輝、福島・鈴木六郎、愛知・宮川清、山口・金子隼太らがいた。彼らはこの頃ヒットした映画の題名にちなんで 「七人の侍」と呼ばれていた。しかし、人数は 7名を超えている。地方によってメンバー構成 が違うので、増えたようだ。
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 こうした動きは全国的ではあったが、どうしても東京中心の活動だった。そこで家の光協会の宮部は職員・森田只夫が1955年、同会大阪支所赴任するとき、「関西協同組合懇話会」の結成を厳命。府県農協中央会の京都・吉田、香川・山地晴広、高知・山本勹慶らが各地の同志に呼びかけ、学者の桑原正信、嶋田啓一郎が積極的に協力、森田は事務局長となった。関西懇話会は後に「近畿農業協同組合研究会」に発展し、今日も 続いている。
 この後、東京の懇話会は一時停滞する。1956(昭和31)年、宮部と宮城がブラジル視察で4か月留守にした。当時は南米への農業移住が始まったばかりで、移住者は貨客船で片道最短2 か月半もかかる時代だったが、その様子を知っている者にとっては、飛行機を使ったとしても長旅とは言えない。さらに帰国の翌年、宮部・宮城の音頭で新たに「農協愛友会」が結成され、こちらの活動にもエネルギーが裂かれるようになる。
 当時の懇話会の活動は、家の光協会に事務局が置かれ、当初は総務部長が事務局を担当。その後、退任した役職員が事務局長を担った。ただ、会員の登録は明確でなく、会 費も集めていない運営だった。
 一方、全国農協中央会では毎年3月6日の産組法公布記念日前後に通常総会や都道府県中央会専務・常務・参事会議を開き、これには家の光協会や新聞連も出席していて、懇話会はそれに合わせて学習会や懇親会を行なっていた。
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 1964(昭和39)年、産業組合法公布65年(公布は1900年)の「産業組合記念の日」行事が開催され、宮部の音頭で、森田が事務局長となり懇話会再結成がすすめられ、趣意書・会則作成し準備にとりかかる。
 1980(昭和55)年1月、協同組合法制定80 周年を機に組織を整備し、農協の各事業連や生協・漁協・信組などの協同組合組織にも結集を呼びかけ、本協同組合懇話会を再出発させる設立総会を開催した。顧問・宮部、片柳真吉、代表委員・宮城、常務委員・窪田角一、森晋らが選任された。日本生協連会長の石黒武重、中林貞夫も顧問・常務委員を務めている。
 その直後の同年3月6日に「産業組合法80周年記念集会」を開催した。それからは毎年3月6日頃 に「懇話会通常総会」と「協同組合法記念日の集い」を開催している。
 なお、この後の1983(昭和58)年、参議院選挙の全国区が比例代表制に変わり、それに関連して選挙事務所の問題が起こり、協会退任役員で事務局を担当していた高橋、板垣晋吉は家の光協会から懇話会事務所の移転を迫られた。幸い、共栄火災が引き受けることになり、事務所を移転し、今日に至っている。