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 「手掘り日本史」わが村と幕末

2017-02-25
   「手掘り日本史」わが村と幕末

 盤石と思えた徳川幕府が長州ごときに何故破れたか・・・・

長州征伐の命を受けた親藩紀州公は長州征伐の準備にかかります。

 しかし、藩は借金まみれ、軍資金が無い。

 やむなく、藩内に御用金の割り当てがありました。御用金とは現在の国債みたいなもので無利子・10年間据え置きです。

 日置川筋にも、古い記録が残っています。



 日置浦(現在の白浜町日置 日置川の下流)
     三本六右衛門     80両
     広本松太郎 他15名  99両
 市鹿野(いちかの)私の故郷
     岡本 儀助       3両
     その他で       10両
 竹垣内(たけのかいと) 市鹿野より更に10キロあまり山奥
     日下磋一郎      80両
     日下勇次郎       5両

 大瀬・上露 各3両       6両

日置川筋だけでも300両・・・紀州藩全体でどれほど集めたか・・・

慶応元年(1865)紀州公は幕軍の総督となり長州征伐に出陣!

 しかし、連戦連敗  その2年後に徳川幕府は崩壊 債権は紙くずに・・・

 名門、日下家は無理して十津川方面から14%(月)の金利で金を集めていたのでした。
    
将軍川(将軍川は日置川の支流にあたり、30年ほど前に九葉良さんとアマゴ釣りに行ったことがある。紫外線にやられてか・・・ダウンして動けなくなった)



 やがて、日下家は破産、一族離散 故郷を捨て北海道へ新天地を求めたようです。
 私の同級生に、その末裔であろう日下(くさか)姓の女性がいました。

 「野球と戦争は金のある方が勝つ」鉄則やな・・・ 打倒巨人!