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横浜市鶴見区社会福祉協議会の
団体交流室

 真理47

2024-04-29

皆様、真理に精通しましょう。真理が貴方の未来を左右するからです。
「列王記第1」の次は「列王記第2」です。その後のイスラエル国とユダ国の王たちの歴史です。列王記はすべて「歴史の書に書かれている」と文を結んでおり、後代に書かれたようで預言者のエレミヤではないかと言われています。ここでも作者は自らの著作とはしなかったようで、真の作者は神であると言いたかったのかもしれません。
ここで、注目したいことは預言者エリヤのことでしょう。「王記第1」で真の神からバアル信仰に傾いていて多くの預言者と称するものがいたようです。そしてエリヤは一人でバアルの預言者450人と対決します。牛をいけにえにするにあたり火を天から下させる方こそ本当の神だということです。バアルの預言者は朝から夕方まで祈り続け、自分の体に傷つけて叫びだしても何も起こりません。エリヤは祭壇を築き3度も水浸しにしてから神に祈ります。すると、神の火が下り全てを焼き尽くしたのです。ここでそこにいた人々は「ヤハウェが神です。」とひれ伏して言います。その後、バアルの預言者は全員殺されます。
「列王記第2」はイスラエル国がアッシリアに滅ぼされたことが書かれていて他の歴史の事実に符合します。さらにユダ国も新バビロニアに滅ぼされますが、これも歴史の事実です。
「列王記」はイスラエル民族の興亡が示されています。ダビデ王は神から油注がれた王でパレスチナ地方にイスラエル民族を定着させ、ソロモン王はその栄華が頂点にあったと言ってよいでしょう。しかし、その後は多くの王が擁立されますが神の教えに従いません。それで、何人かの王は神の教えの徹底を図るのですが、その後の王がまた異教の教えを広めてしまいます。
真の教えにある、神は見えないので偶像をつくらないようにという教えですが、人々はどうしても見えないものを信じようとせず、見える偶像を信仰の拠り所にしてしまうようです。今でもキリスト教にも偶像がいたるところにあります。現在は旧約の教えが必要な訳ではなく、新約の教えに基づいて信仰をしてゆくことが必要だとは思います。しかし、旧約の教えが全て否定されているのではなく、その根底に流れる思想は大切にしてよいと思います。新約でもパウロは「偶像から離れていなさい」と言っています。
いずれにしても、旧約も新約も神との契約のことで、神は不変ですから、その思想も不変です。変わらない神は、その時々に必要な契約を人々としたということでしょう。大切なのはその愛するという精神です。「神を愛しなさい」「隣人を自分のように愛しなさい」とイエス・キリストはこの2つだけを一番大切な教えだと言いました。
これは旧約の教えですが、イエス・キリスト自身、この教えを捨てることは考えていなかったことがわかります。そしてこの教えを守らないと苦難を経験するのです。バビロン捕囚は歴史でも学ぶと思いますが、日本でいえば、東京が全滅して日本人全員が大陸に捕虜として連れていかれることになるのでしょうか?考えたくないことですが、神の愛から離れるとそうなるかもしれないのです。