主な活動場所
飯能市市民活動センター

 冷凍庫にしまっていたもの

2018-08-24
この冷凍庫、実は私の心の中にあります(笑)
かなり大きな冷凍庫なんですけどね(笑)
以前は満杯状態でした。
今はスカスカです。
って、何なの?って話ですよね(笑)

私、例会やブログの中で、カウンセリングが大きな力になったとお話ししています。
それに関係する話なんですけど(笑)

2度目の離婚を真剣に考え始めた時、自分はどこかに欠陥のある人間じゃないかと思いました。
今、何とかしないと一生このままだ、って思ったんです。
いろんな本を読んでいたのですが、やっぱり実際にカウンセリングを受けようと決めました。

私が初めてカウンセリングを受けたのは、2006年の11月です。
本当にすっきりしてきたのは、ここ2〜3年のことですから長くかかりましたね。
とにかく根本から徹底的にやらなきゃダメだろうな、とは思ってました。

最初は頭の中が混乱していて、うまく言葉にするのも大変でした。
以前、再婚前に少し相談した知人から「あなた、一番言いたい大事なことは最後の最後にならないと出てこないのよね」と言われたことがあります。
自分ではそんなこと思ってなかったので「えっ?」という感じでしたが、実際その通りだったのでしょう。
人に弱みを見せることができなかったから…
それは敗北ということで、悪いことだという価値観ですね。それも生育歴の中で植え付けられたものですが。

嫌な思いをした経験、思い出したくもない出来事など、ぜ〜んぶ巨大な冷凍庫に放り込んで頑丈な鍵をかけたような状態でした。
カウンセリングを受けるということは、その中身を引っ張り出すと言うことです。
まず鍵を開けなくてはいけないのに、ひどく錆びついててなかなか開けられない。やっとこさ鍵を壊して中身を出してくるのだけれど、カチカチに凍ってる。
それを一つずつ丁寧に解凍して、適正に処理する。
延々とその作業の繰り返しだったように思えます。
何年もかけて、やっとその冷凍庫がほとんど空っぽになった。
そんなイメージなんです。
カウンセリングを受けなければ、そんな労力のいる作業、一生やらなかったと思います。

引っ張り出したエピソードの中から一つ。
高校生の頃、私はノートに日記をつけていました。
人生についてとか、演劇部のこと、好きな男の子のこと、初めてセックスしたことなど、本当に正直に書いていたのです。
高校2年の終わり頃から私は登校拒否を起こしました。
親も周りの大人も大っ嫌いでした。
正面から私と向き合おうともしないくせに、見栄や世間体ばかり大事にして、私を説得しようとする。
ある晩、いつものように日記を書こうとノートを広げてみたら…
母親が私の日記に書き込んでいたのです。
「お母さんはあんたのことが心配で言ってるんだよ」という調子で何ページも…
それを見た時の自分の気持ちを、なんて表現すればいいでしょうか?
それ以来、1文字も書かなくなりました。
真夜中になると母親が部屋に入ってきます。
あれ以来、私は母親の気配に敏感になり、すぐ目を覚ますようになりました。
引き出しを開けて、日記を盗み見るのです。でも1文字も書いていないものだから、諦めて引き出しにしまう。
その母親をベッドの中からずっと見ていました。
「何してるの? 私、起きてるよ」と何度も言ってやろうかと思いました。
でも、こんな母親には何を言っても無駄だろう。そんな諦めの方が強くて、結局黙ったままでした。
周りの大人に打ち明けたところで「それはあなたの事を心配してるんだから、許してあげなよ」みたいなことを言われるのがオチだろうと思いました。
だから誰にも言わずにいたのです。

カウンセラーの金盛浦子さんにこの話をした途端、「なんてひどいことを!」と大きな声で言ってくれました。
そうだよね… ひどいよね…
いくら親だからって、子どもの心の中に土足で踏み込んで荒らすなんてこと、やっていいはずないよね。
親が日記を盗み見たという話は耳にしますが、書き込みまでしたなんて、聞いたことがありませんから。
やっと分かってもらえた…
涙が出そうでした。

カウンセリングって、人を信用して心を開く練習でもあるのかな、と思います。
親さえ信用できないのだから、他人なんか信用できるはずがない。
本当に信用できるのか、わざとカウンセラーを試すようなことを言ったりもしました。
そんなこんなの繰り返しです。

「心を開く」のは人間関係を作る基本のキ。
私、そんなこともできなかったんだな…
この頃は「冷凍庫にぶち込んで鍵をかけてしまいたい!」という事もなくなりました。

今、冷凍庫に入れたいものは…
美味しい美味しい、アイスクリーム!
ね、そうでしょ?(笑)

(大西 アンリ)