サイエンス・ファクト?

2023-09-23
最近、「サイエンス・ファクト 科学的根拠が信頼できない訳 ガレス レン (著), ロードリ レン (著), 塚本 浩司 (監修), 多田 桃子 (翻訳)」という本を読みました。この本では、いかにして科学が、時に誤った方向に進むか?が、様々な事例を含めて紹介されています。それでも、長い目で見れば、社会全体としては、科学は正しい方向へ進んできているのですが、その時々では、陰惨な状態になっていることが多いというのも事実と思います。とくに、誤った説に固執する権威(と学会)に対して、立ち向かった若い研究者が、その後、学会で評価されず、やがて研究者をやめてしまうくだりは、とても心に残りました。

先月末、私の学生が、とある講習会に参加しました。その講習会の資料を見せてもらったのですが、その中に、市販PBPKソフトの使用事例が掲載されていました。
1つは、難水溶性薬物、もう一つは、徐放性製剤の例だったと思います。
もちろん、例にもれず、シミュレーションは完ぺきで、PBPKは有用という結論です。徐放性製剤の例では、大腸からの吸収がかなりの割合を占めていました。

ところが、その資料には、
小腸溶液量: 40% (およそ 600 mLに相当)
大腸溶液量: 10% (およそ 300 mLに相当?)
と記載されていました。これは、市販ソフトのデフォルト値です。

この講習会は、生物薬剤学に関するものではないため、参加者の多くは専門家ではありません。
また、学生がシミュレーションの詳細について質問したところ、講師の方も専門家ではなく、「社内の他の方が行ったシミュレーションなので詳細は知らない」、ということでした。

一方、これまでに小腸溶液量の実測値として報告されている値は、およそ40-200 mLの範囲です(おそらく約100 mL)。また、大腸は、約1~15 mLです。
市販ソフトのデフォルト値とは何倍も違います。
(以下に詳しく説明しましたので、ご興味がある方は、ご覧ください。)

しかし、講習会で、ソフトは正しいと説明されたら、何十名かの受講生は、デフォルト値を(そしてソフトウェア自体を)そのまま信じてしまうのではないでしょうか?
これはまさに、上記の本に記載されている、間違ったサイエンスが広まる典型例です。
残念ながら、PBPKについては、同じような状況が頻発しているようです。(今月末の、某学会も注意しましょう。)
結果として「PBPKは完ぺきだ」という幻想が広まってしまっています。なかには、実験研究者が人員削減される事態にまで陥っている企業もあります。

過去数十年間、多数の「市販PBPKプログラムは完ぺき」であること示唆する(あるいはそう主張する)論文が洪水のように出版され、世界中の学会で喧伝されてきました。デフォルト値を用いた「(偽りの)完璧な予測」が、これまでにたくさん論文化されています。しかし、ほとんどの場合、パラメータフィッテング(逆算)後のシミュレーションが「予測」と偽って報告されています。また、パラメータフィッテング前の、外れた「予測」は、ほとんど報告されません(隠蔽されています)(Publication bias)。最近では、パラメータフィッテング(逆算)自体も、巧妙なレトリックで隠されています(例えば、recover, adjust, optimize, software estimated。。。最後のは論文の読者を騙しているとしか思えませんが。。。)。そもそも、市販ソフトの詳細が公開されていませんので、しっかりとした査読や再現は不可能です。

ところで、フィッテイングと予測の違いをどれだけの人たちが、しっかりと理解しているのでしょうか?特に専門外の人(例えばマネジメント層)にとっては、見分けが難しいのではないでしょうか?

このままでは、サイエンスが終わってしまいます。
Sugano, K. (2021). Lost in modelling and simulation?. ADMET and DMPK, 9(2), 75-109.

このブログを読んでいる皆さんには、是非、お気を付けいただくと共に、できれば勇気を出して、なるべく正しい方向へサイエンスを進めるのに、ご協力いただければと思います。

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小腸溶液量について
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小腸溶液量について、古くは1950年代に200 mL程度という論文があります。

F. Gotch, J. Nadell, I.S. Edelman, others. Gastrointestinal water and electrolytes. IV. The equilibration
of deuterium oxide (D 2 O) in gastrointestinal contents and the proportion of total body water (TBW)
in the gastrointestinal tract. J. Clin. Invest. 36 (1957) 289–296.

以下には最近のMRIを用いた論文を示します。

Schiller, C., Fröhlich, C. P., Giessmann, T., Siegmund, W., Mönnikes, H., Hosten, N., & Weitschies, W. (2005). Intestinal fluid volumes and transit of dosage forms as assessed by magnetic resonance imaging. Alimentary pharmacology & therapeutics, 22(10), 971-979.

Mudie, D. M., Murray, K., Hoad, C. L., Pritchard, S. E., Garnett, M. C., Amidon, G. L., ... & Marciani, L. (2014). Quantification of gastrointestinal liquid volumes and distribution following a 240 mL dose of water in the fasted state. Molecular pharmaceutics, 11(9), 3039-3047.

2つ目の論文が最新データです。アブストラクトをDeepL翻訳すると、
”....12名の健常ボランティアが、240mL(8液量オンス)の水を飲む前に、上腹部および下腹部のMRI検査を受けた。飲水量、検査対象、絶食条件は、健常ボランティアにおけるBA/BE検査の国際標準と一致させた。画像は、胃および腸の総水量、ならびに0.5mLを超える個別の腸内水ポケットの数と容積について処理された。....絶食状態の小腸の安静時水分量は43±14mLであった。水を摂取してから12分後、小腸の水分量は最大値94±24mLまで上昇し、それぞれ6±2mLのポケット15±2個に含まれていた。45分後、コップ一杯の水が胃から完全に空になったとき、腸内の総水量は77±15mLで、それぞれ5±1mLの16±3ポケットに分散していた。”
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また、MRIによる測定では、MRIでは見えない結合水(小腸壁の非攪拌水層)があるのではないか?という主張もあります。
これに対しては、薬物の溶解に寄与する実効水分量を推定した研究が4件あります。
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はじめの2件は、経口吸収の投与量依存性から推定したものです。
これらの研究では、薬物として
(1) pHや胆汁ミセルの影響を受けない(in vitro溶解度 = in vivo溶解度、が信用できる)
(2) 低投与量ではDo < 1で、溶液投与と同じとみなせる
(3) Fa < 1である。
など、上記の目的に合った薬物を、複数選んでいます。
結果、小腸水分量は、116 ~ 130 mLと推定されています。

Sugano, K. (2011). Fraction of a dose absorbed estimation for structurally diverse low solubility compounds. International journal of pharmaceutics, 405(1-2), 79-89.

Maharaj, A., Fotaki, N., & Edginton, A. (2015). Parameterization of small intestinal water volume using PBPK modeling. European Journal of Pharmaceutical Sciences, 67, 55-64.
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また、トランポータの阻害濃度から、逆算することもできます。
トランポータの阻害濃度から、Apical側の濃度と細胞内濃度が仮に等しいと仮定した場合の、阻害濃度から逆算すると1.6 Lになります。
しかし、実際には濃度勾配があるので、阻害剤の細胞内濃度は、Apical側の1/10になります。したがって、この結果からは160 mLとなります。

Tachibana, T., Kitamura, S., Kato, M., Mitsui, T., Shirasaka, Y., Yamashita, S., & Sugiyama, Y. (2010). Model analysis of the concentration-dependent permeability of P-gp substrates. Pharmaceutical research, 27, 442-446.

Sugano, K., Shirasaka, Y., & Yamashita, S. (2011). Estimation of Michaelis–Menten constant of efflux transporter considering asymmetric permeability. International journal of pharmaceutics, 418(2), 161-167.

実際、DDIガイドラインでは、消化管水分量を250 mLとした際の薬物濃度の「1/10」が、阻害の推定に用いられています。
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さらに、消化管内に直接溶液投与した際の、析出開始濃度からは130 mLと計算されています。
Sutton, S. C. (2009). Role of physiological intestinal water in oral absorption. The AAPS journal, 11, 277-285.
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結合水(小腸壁の非攪拌水層の水)の影響は、溶解度-上被膜透過律速(SL-E)と溶解度-非攪拌水層透過律速(SL-U)とで異なる可能性があります。これについては、以下の論文で詳細に議論しています。

Akiyama, Y., Matsumura, N., Ono, A., Hayashi, S., Funaki, S., Tamura, N., ... & Sugano, K. (2023). Prediction of oral drug absorption in rats from in vitro data. Pharmaceutical Research, 40(2), 359-373.
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最後に(そしてもっとも大切なことですが)、実際、小腸溶液量を130 mLを用いて、Bottom upでヒトFaを予測できます。
(これは、コンソーシアムでの検証結果なので、様々なバイアスが少ないと思います。)

Matsumura, N., Ono, A., Akiyama, Y., Fujita, T., & Sugano, K. (2020). Bottom-up physiologically based oral absorption modeling of free weak base drugs. Pharmaceutics, 12(9), 844.

Matsumura, N., Hayashi, S., Akiyama, Y., Ono, A., Funaki, S., Tamura, N., ... & Sugano, K. (2020). Prediction characteristics of oral absorption simulation software evaluated using structurally diverse low-solubility drugs. Journal of Pharmaceutical Sciences, 109(3), 1403-1416.

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大腸吸収について
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現在(というか、むかしから)、大腸内の水分量は、非常に少ないとされています。以下、最新の論文です。

Murray, K., Hoad, C. L., Mudie, D. M., Wright, J., Heissam, K., Abrehart, N., ... & Marciani, L. (2017). Magnetic resonance imaging quantification of fasted state colonic liquid pockets in healthy humans. Molecular pharmaceutics, 14(8), 2629-2638.

アブストラクトをDeepL翻訳すると、
”....絶食状態の結腸には(平均±SEM)11±5ポケットの静止液があり、総容量は2±1mL(平均)であった。....”

ところで、上記の講習会で示された製剤の例では、実際、臨床において6時間程度まで吸収が持続しており、大腸吸収があることを示しています。
ただし、これは、この薬物の溶解性が極めて良好で、かつ、膜透過性も良好なためです(なお、私が昔いた会社の薬物です。)。
しかし、そうではない薬物では、大腸溶液量として10%を用いた場合、大腸吸収を過大評価してしまいます。
(大腸にほとんど水が無いからこそ、OCASという製剤技術が有効な訳です。製剤研究者は良くご存知ですよね?)

また、当該市販ソフトウェアでは、脂溶性薬物の大腸の膜透過速度がとても高い値に計算されます(ASFがそう計算されます)。
私の記憶が正しければ、たしかUsshing chamberにおける結果から、そのような計算式が導かれていると思います。これは、とある先生から伺ったのですが、Usshing chamberでは、筋層の除去の具合により膜透過性が変わるそうです。大腸は筋層をはがしやすいので、上皮膜律速ではない薬物(=脂溶性が高い薬物)では、膜透過係数が高くなるそうです。In vivoでは、上皮膜直下に血流が流れているので、筋層の影響はありません。
また、ヒトにおいて大腸の膜透過が遅いという報告は複数あります。膜の構造を考えても、襞構造や絨毛がないので、膜透過が低くなります。

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サイエンスって、なんだろう?
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それでは、40%(600 mL)という市販ソフトのデフォルト値は、何を根拠にしているのでしょうか?
以前、その市販ソフトでは、100%(1500 mL)が用いられていました。その後、40%(600 mL)に変更されました。10年以上前に、この理由をメーカーに尋ねたことがあるのですが、1500 mLから急に100 mLにすると、既存ユーザーが困るから。。。という説明でした。

もちろん、サイエンスである以上、間違いはつきものです。私自身にも、きっと、確証バイアス(confirmation bias)があると思います。
将来的に実は600 mLだった、ということになる可能性も、ゼロではありません。今後、より多くの実験データが出てくることを期待したいです。

そこで大切なのは、後々、第3者が再現性を確認できるように、論文を書くことです。PBPKであれば、すべての数式とパラメータを公開することです。
これは、サイエンスとしての最低条件です。

このサイエンスの規範は、STAP細胞事件においてすら、守らていたことです。
(STAP細胞の事件では、プロトコールが公開された結果、科学の自己修復機能が働きました。)

現在のPBPKは、果たしてどうでしょうか?