主な活動場所
横浜市鶴見区社会福祉協議会の
団体交流室

 真理11

2024-01-31

皆様、真理に精通しましょう。真理が貴方の未来を左右するからです。
これまで、過去の偉人の言葉を考えてきました。そしてそれらが確かに真理であると思うのですが、皆様はどのように感じているでしょうか?偉人だから言えることで自分には関係ないと思うでしょうか?過去と今とは違うし参考にならないと考えますか?
何故、偉人たちの言葉が現在まで引き継がれて来たのかを考えれば、自ずと答えは出てくるでしょう。過去の人も現在の人も、生活してゆくのに苦しい思いをしていたからではないでしょうか?人間の本質は変わっていません。ですから悩んだり苦しんだりするわけです。
古代中国で母猿断腸という言葉がありますが、子猿を連れ去られた母猿が遠く追いかけて遂に死んでしまい、その腹を見ると腸がずたずたになっていたという故事で、断腸の思いの語源です。母猿が子猿を思う思いで腸が千切れるほどの苦しみがあったとされています。猿でもそのように不幸な目に合えば苦しく感じるようです。ましてや人間であれば、生活上の苦しみ、悲しみ、怒りとかの感情が起きてもおかしくありません。それでも、そうした感情はどちらかというとネガティブな感情です。一時的には起きたとしても、長くその感情を続けていると心身ともに悪くなるでしょう。そう、深い悲しみで腸が千切れて死んだ母猿のようになるかもしれません。
それで、そのような感情を上手くコントロールできるかどうかで、その後の生き方も変わるかもしれません。悲しみや苦しみは持続しがちです。そうすると脳はそうしたネガティブな感情に支配されます。そうすると新しいことをしようという意欲もなくなり、明るく生き生きと生活できないでしょう。そのことは多くの問題をさらに増やすことになります。ネガティブな感情があることは否定しません。そのような感情も時に必要です。愛する人がいなくなれば、誰でも悲しくなります。でも、その悲しみに引きずられ過ぎてはいけないでしょう。ある時点で、悲しみを乗り越える必要があります。そのために必要なのが、人生の哲学です。ある知識かもしれませんし、偉人の言葉かもしれません。
多くの宗教では、人の死に対して何らかの回答を出しているようです。ヒンデュー教では輪廻転生ということで、死んでも魂は永遠であると教えています。仏教は死ぬのは当たり前のことで、死なない人はいない、誰もが経験することだから今を懸命に生きろと教えています。キリスト教は死んでも新しい世に生き返ることができるのだから心配するなと教えています。
これらの教えは、どれが正しいと結論づけるのは難しいかもしれません。それぞれ各自が自分の生き方で、この考え方なら納得できると思えば、その考えを支持すれば良いのです。いずれにしても、苦しみを軽減するのは、各自で決めることになりますが、明るい未来を志向している考えが良いのではないでしょうか?それで、未来は誰にも分からないのです。明るい未来を意識すれば、未来は明るくなると思います。