PBPK modelと科学実在論とスケーリングファクター

2022-05-21
今回のお話は、すこし抽象的かもしれません。しかし、PBPK modelについて深く理解するには大切な議論だと思います。
(自分は、科学哲学の専門家ではないので、間違っていたらすみません。。。)

一般に、科学においてモデル(理論式)をどのように評価するか?には、2つの立場があります(1)。
(I) 科学実在論 (scientific realism)
(II) 道具主義 (instromentalism)

科学実在論は、科学の目的は真なる理論の発見にある、という立場です。
一方、道具主義は、科学的推論の目的は真なる理論の発見にあるのではなく、「予測」の正確な理論を見つけることである、という立場です(既存データの「記述」ではない点に注意。モデルによる「予測」と「記述」の違いについては、以前のブログをご参照ください。)。

おそらく、多くの方にとって、科学と聞いて思い浮かべるのは、(I)科学実在論ではないかと思います。
「科学の目的は真なる理論の発見にある」というのは、一見問題なく見えますが、実は、非常に難しい問題です。
なぜなら、モデル(理論式)は、現実世界に対して近似(理想化)を行っているからです。すなわち、すべてのモデルは「偽」です。
そうすると、予測値と実験データの比較(=予測性)から判断できるのは、2つのモデルを比較して、どちらが「より真に近い」か、ということだけになります。
しかし、ここで問題となるのは、偽りのモデルの方が、真に近いモデルよりも、予測性が高い場合があることです。
例えば、プトレマイオスの天動説モデルは、初期のコペルニクスの地動説モデルよりも、「惑星の位置」の予測性は高かったようです。
現代では、人工知能による統計的予測の方が、ある特定の予測ターゲットについては、予測性が高い場合も多いでしょう。
したがって、現実問題に対処するという観点からは、モデルの目的として、(II) 道具主義が正当化されます。

ところで、16世紀当時、なぜ地動説モデルがなぜ指示されたかというと、ガリレオによる望遠鏡観察で、金星の満ち欠けが発見されたことが大きいです。すなわち、ある特定の予測ターゲット(例えば惑星の位置)に関する予測という意味では、道具主義が良い場合もありますが、より広範な実験事実を対象とする場合は、科学実在論に立脚するモデルの方が良いのかもしれません。

それでは、PBPKモデルは、どちらの立場なのでしょうか?

Physiologically-basedと言うのですから、もちろん、PBPKモデルは、(I) 科学実在論に立脚しています。
対照的に、コンパートメントモデルは、(II) 道具主義に近いのではないかと思います。
実際、PBPK modelの謳い文句として、食事の影響や個体間差など様々な状況を予測できると言われています。

それでは、PBPKモデルに対するスケーリングファクター(SF)の導入はどうでしょうか?(2)

強硬な科学実在論の立場からは、PBPKに対して、生理学的な実体のないSFを導入するのは、容認できないということになります。しかし、すこし立場を軟化させれば、「予測性」を向上させるために、道具主義的なSFを導入してもよいのかもしれません。
ただ、ここで肝心なのは、SFがどの範囲で適切なのか?です。特に、SFを個々の薬物について、ある特定の臨床データから逆算した場合(parameter fittingする場合 = local middle-out approach)(3)、その同じSFの値がどの範囲まで適切なのか?には大きな疑問が残ります。(通常は、内挿の範囲内です。)
この疑問に、信頼できる形で答えるには、(i) SFのparameter fittingの方法を標準化した上で、(ii)バイアスの無い多数薬物を用いて、(iii)個々の予測タ―ゲットについて、予測性の検証を行う必要があります。しかし、残念ながら、local middle-out approachに関するそのような報告は、これまでみたことがありません(4)。逆に言うと、このような検証が行われ、予測性が十分実用的であるならば、道具主義的観点からは、SFは容認されえるのではないかと、僕は考えています。
(ただし、予測はあくまで予測であり、医療におけるエビデンスとは、臨床試験データであることは、強調しておきたいと思います。)

また、本来であれば、PBPKモデルによる予測が外れた場合、なにか見逃しが有ったり間違いがあったりするはずなので、その研究に繋がります。すなわち、予測が外れるということは、決して「失敗」ではなく、むしろ、科学が進歩するチャンスなのです。しかし、それをSFで済ませてしまったら、このチャンスを逃してしまいます。そうしないためには、SFをfittingする前の、外れた予測を、正直に論文に掲載することが必要です。しかし残念ながら、外れた予測が、誠実に論文報告されることは、ほとんどありません(特に、市販ソフトを使用している場合。ソフトメーカーから脅迫されることを恐れているのでしょうか???)。

現在、ソフトウェアメーカーと主に海外の製薬企業が中心となって、local middle-out approachを推進する大きな政治的な力が働いています。また、企業の研究者は、本能的に(失礼ですが。。。出世のために?)、実測とぴったりと合うように見える予測(実際には、fittingしているので「記述」)を、上司に見せたいのかもしれません。実際、企業に勤務していたころは、そういうのをよく見ました(涙)。

しかし、PK予測は人命にかかわる予測です。今一度冷静になって、local middle-out approachについて、しっかりと検証すべきなのではないでしょうか?PBPK modelやlocal middle-out approachの手法が、標準化されていない現状では、製薬企業の研究者は、自社に(あるいは自分に)有利な予測結果を採用するということになりかねません(実際、企業による予測は、DDIをunderpredictする傾向があることを示唆する論文があります。)。
また、PBPK modelのlocal middle-out approach以外にも、予測法はあるのですから、それらも並行して実施すべきです。
例えば、DDIに関するCR/IR法は、とても優れた方法で、しっかりとした検証も行われています。

製剤学の分野では、溶出試験法やBCS biowaiverスキーム、IVIVCスキームなどは、すべて標準化されています。
PBPK modelについても、同様に標準化されるべきなのではないでしょうか?

アカデミアは、一般的に科学実在論者の方が多いと思いますので、local middle-out approachの導入に反対する方が多いと思います。
一方で、企業研究者は、予測性の方が大切なので、道具主義的にPBPK modelを捉えている方も多いと思います。

僕自身は、local middle-out approachに100%絶対反対、ではありません(99%反対ですが。。。危険なので、手を出さない方が無難です。)。
ただ、道具主義としてlocal middle-out approachが容認されるには、上記の問題点を解決する必要があるように思います。
同時に、本来、PBPK modelは科学実在論に立脚するのですから、その発展のため、科学的実在に関する研究(生理学的パラメータやメカニズムの研究など)に、もっとリソースを掛けるべきです(ので、僕の研究を応援してください)。

(1) エリオット ソーバー 科学と証拠 統計の哲学入門 頻度主義とベイズ主義の比較など、とても面白い本です。
(2) なお、SFのfittingと、生理学的パラメータや薬物パラメータのfittingは、数学的に同じことです。(SFは各パラメータに掛かっているため、ひとまとまりになりますので。。。(SF X Peff = Peff'としてfittingするのと同じこと))
(3) 以前のブログ参照。Global middle-outに関しては、通常その適応範囲を明確に意識して導入されます。
(4) 個々のケーススタディー、あるいは、その集合では、出版バイアスがあるので検証になりません。