主な活動場所
横浜市鶴見区社会福祉協議会の
団体交流室

 良いニュース22

2023-12-27

皆様、良いニュースです。そして悪いニュースです。
智→義→信→礼ときて仁です。仁は人と人とが対等に公平に関わることを示しています。つまり相手のことを自分のように愛することでしょうか?「医は仁術なり」という言葉があるように、他者を助けたいとか、救いたいとかの気持ちが「仁」にあると思われます。ここまで来ると、武士道とかの範疇を超えて人間道とかの領域のようにも思います。
前回、「武士の情け」でも話しましたが、武士は戦闘マシーンのように冷酷で冷血な行動はしません。むしろ、武士だからこそわかる感情があるのです。
例えば、戦争は武士同士が戦うものと定義していますから、農民や商人が困るようなことはせず、誰もいないような野原で戦闘をするようにしていました。大陸では皆殺しの戦闘が多く、女性も子供も容赦なく殺害していました。これは戦闘ではなく虐殺ですね。
日本の武士はそのような思考はしませんでした。武力によって自らの支配を正当にする目的があるので、戦うのは武士だけです。武士でも昔は12歳で元服していましたから。12歳で戦場に行くこともあったのです。明治維新の頃の薩長連合と会津藩士との戦いでは10代の武士が最期を遂げたという。悲しい歴史もあります。
仁というのは、武士にとっても女性にとっても同じように、日本人としての躾の一環だったように思います。江戸時代は士農工商の身分制度がありましたが、もともと農民が武士になったり、武士が家禄だけでは食べてゆけずに商人になったりしていました。それで、数は少ないですが身分を超えての交流もあったのです。最終的には明治の時代に廃藩置県となり武士はいなくなりました。それでも武士道=大和魂は引き継がれて、渋沢栄一が活躍する時代になりました。
明治、大正、昭和まではまだ武士道は人気もあったようですが、平成、令和の時代になり武士道はかなり下火になってしまいました。それでも、一部の人たちは武士道のすばらしさを理解して、大和魂を復活させようとしています。
何度も言いますが、武士道は戦争を避けることを基本にしています。仁という理念は他者を愛することです。ですから、戦争を避ける方法を色々検討するのです。孫氏の兵法でも最善は戦わずして勝つこととしています。日本の武士もそのようにしていたはずです。確かに封建制度のもとでは武士道は有効な手段でした。現在、世界は民主主義を制度として持っています。この制度のなかでも武士道が有効であり続けるためには、この「仁」を目指すことが必要でしょう。
仁によって、相手を思いやり、お互いに助け合う社会が実現できると思いませんか?
仁を達成したと思っても、完全になるわけではありません。他者と関わりあうと、自分の知らないことを知ることになり、さらに知見を深めてゆくことになります。
こうして、智→義→信→礼→仁→智という円環が形成されます。円環ですから、終わりはないように思います。完全に到達すれば仁徳になるのかもしれません。