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横浜市鶴見区社会福祉協議会の
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 イザヤ25

2025-12-11

イザヤは旧約聖書の預言者の一人です。新約聖書につながる預言もしています。
「主よ、あなたはわが神、わたしはあなたをあがめ、み名をほめたたえる。あなたはさきに驚くべきみわざを行い、いにしえから定めた計画を/真実をもって行われたから。」(1節)
イザヤはヤハウェ神の御名を褒め称えます。神は計画通りに御業を行うからです。
「あなたは町を石塚とし、堅固な町を荒塚とされた。外国人のやかたは、もはや町ではなく、とこしえに建てられることはない。それゆえ、強い民はあなたを尊び、あらぶる国々の町はあなたを恐れる。」(2,3節)
繁栄した町も荒塚とされます。神の力を認める民は喜びますが、他の国々は滅びを見て恐れるでしょう。
「万軍の主はこの山で、すべての民のために肥えたものをもって祝宴を設け、久しくたくわえたぶどう酒をもって祝宴を設けられる。すなわち髄の多い肥えたものと、よく澄んだ長くたくわえたぶどう酒をもって祝宴を設けられる。」(6節)
神はエルサレムで祝宴を設けます。本来、全ての民に上等の葡萄酒と骨髄の旨い料理でもてなしたいと願っているのです。
主はとこしえに死を滅ぼし、主なる神はすべての顔から涙をぬぐい、その民のはずかしめを全地の上から除かれる。これは主の語られたことである。」(8節)
ヤハウェ神は、永遠に死を滅ぼすのです。それによって死別の悲しみも非難の声も除かれます。神の言葉に嘘はないのです。
「その日、人は言う、『見よ、これはわれわれの神である。わたしたちは彼を待ち望んだ。彼はわたしたちを救われる。これは主である。わたしたちは彼を待ち望んだ。わたしたちはその救を喜び楽しもう』と。」(9節)
そのように死がなくなれば、人々は「我々の神は救いの神、その救いを喜び楽しもう」と言うことでしょう。
「主の手はこの山にとどまり、モアブは肥だめの中に踏まれるわらのように、おのれの所で踏みにじられる。」(10節)
神はエルサレムに留まりますが、モアブの地は踏みにじられます。まるで肥溜めの中の藁のようにです。なぜなら、モアブ人は神への忠誠から離れて他の宗教を信奉してしまったからです。
「彼はその中で泳ぐ物が泳ごうとして手を伸ばすように、その手を伸ばす。しかし主はその高ぶりを、その手の巧みなわざと共に低くされる。」(11節)
泳ぐ時に手を伸ばして水をかき分けますが、モアブ人もそのように高慢な態度を示していたのでしょう。そうした行為を神は嫌われます。
「その石がきの高い城郭を主は傾け倒し、地に投げうって、ちりにかえされる。」(12節)
モアブ人の城壁は崩れ去り、塵のように吹き飛ばされるのでしょう。