イザヤ27
2025-12-15

イザヤは旧約聖書の預言者の一人です。新約聖書につながる預言もしています。
「その日、主は堅く大いなる強いつるぎで逃げるへびレビヤタン、曲りくねるへびレビヤタンを罰し、また海におる龍を殺される。」(1節)
ヤハウェ神は、蛇レビヤタンを罰して殺します。これは蛇のように狡猾な逃げるのが上手な敵対者のことでしょう。海におる龍は悪魔サタンのことのようです。黙示録の20章に人々が海の砂のよう多く「火と硫黄の湖に投げ込まれた」とあるのです。(黙示20:10)
「その日/『麗しきぶどう畑よ、このことを歌え。主なるわたしはこれを守り、常に水をそそぎ、夜も昼も守って、そこなう者のないようにする。」(1,2節)
麗しきブドウ畑はイスラエル国民のことのようです。神は水を注ぎ、守ってくださいます。
「わたしは憤らない。いばら、おどろがわたしと戦うなら、わたしは進んでこれを攻め、皆もろともに焼きつくす。それを望まないなら、わたしの保護にたよって、わたしと和らぎをなせ、わたしと和らぎをなせ』。」(4,5節)
いばらやおどろは雑草のような力のない国々のようです。ヤハウェ神はそのような人々にも和解するように二度も言葉を繰り返します。
「あなたは彼らと争って、彼らを追放された。主は東風の日に、その激しい風をもって/彼らを移しやられた。それゆえ、ヤコブの不義は/これによって、あがなわれる。これによって結ぶ実は彼の罪を除く。すなわち彼が祭壇のすべての石を/砕けた白堊のようにし、アシラ像と香の祭壇とを再び建てないことである。」(8,9節)
人々は異教のアシュラ像とその祭壇を壊して粉のようにして、二度と建てないことで贖われるのです。
「堅固な町は荒れてさびしく、捨て去られたすまいは荒野のようだ。子牛はそこに草を食い、そこに伏して、その木の枝を裸にする。その枝が枯れると、折り取られ、女が来てそれを燃やす。これは無知の民だからである。それゆえ、彼らを造られた主は/彼らをあわれまれない。彼らを形造られた主は、彼らを恵まれない。」(10,11節)
神に見捨てられた町は荒れ果てます。子牛は木の枝の葉を食いつくすのでしょう。枝は枯れて女がその枝を燃やします。つまり産出物がなくなるのです。創造主なる神はそれをご覧になって、哀れみもせず恵みも示されません。
「イスラエルの人々よ、その日、主はユフラテ川からエジプトの川にいたるまで穀物の穂を打ち落される。そしてあなたがたは、ひとりびとり集められる。」(12節)
広範囲に穀物が実らなくなるようです。選ばれた人々は集められます。
「その日大いなるラッパが鳴りひびき、アッスリヤの地にある失われた者と、エジプトの地に追いやられた者とがきて、エルサレムの聖山で主を拝む。」(13節)
アッシリアやエジプトに居た人々が、神の号令でエルサレムに帰還し、真の神であるヤハウェ神を崇拝する時が来るのです。