イザヤ28
2025-12-16

イザヤは旧約聖書の預言者の一人です。新約聖書につながる預言もしています。
「エフライムの酔いどれの誇る冠と、酒におぼれた者の肥えた谷のかしらにある/しぼみゆく花の美しい飾りは、わざわいだ。」(1節)
エフライム地方はしぼみゆく花のようです。肥沃な土地での酒におぼれているようです。
「見よ、主はひとりの力ある強い者を持っておられる。これはひょうをまじえた暴風のように、破り、そこなう暴風雨のように、大水のあふれみなぎる暴風のように、それを激しく地に投げうつ。」(2節)
ヤハウェ神は御子であるイエスを用いて、その地を損なうのかもしれません。
「その日、万軍の主はその民の残った者のために、栄えの冠となり、麗しい冠となられる。」(5節)万軍のヤハウェ神は、生き残った者のために麗しい栄光の冠となるのです。
「『彼はだれに知識を教えようとするのか。だれにおとずれを説きあかそうとするのか。乳をやめ、乳ぶさを離れた者にするのだろうか。それは教訓に教訓、教訓に教訓、規則に規則、規則に規則。ここにも少し、そこにも少し教えるのだ』。」(9,10節)
乳離れした児に教訓や規則を細かく教えることができるでしょうか?
「否、むしろ主は異国のくちびると、異国の舌とをもってこの民に語られる。」(11節)
そうではなく、異邦人からイスラエルの民に話されるのです。
「それゆえ、主の言葉は彼らに、教訓に教訓、教訓に教訓、規則に規則、規則に規則、ここにも少し、そこにも少しとなる。これは彼らが行って、うしろに倒れ、破られ、わなにかけられ、捕えられるためである。」(13節)
ヤハウェ神からの言葉は彼らの言葉を返して、彼らが倒れ、破られ、罠にかかり、捕らえられるのです。
「それゆえ、主なる神はこう言われる、『見よ、わたしはシオンに/一つの石をすえて基とした。これは試みを経た石、堅くすえた尊い隅の石である。「信ずる者はあわてることはない」。』」(16節)
ヤハウェ神は尊い隅石を置くと言います。これはイエス・キリストのことでした。使徒4:11にあるとおりです。「その方が、『あなた方建築者たちによって無視されたのに主要な隅石となった石』です。」
「それゆえ、あなたがたはあざけってはならない。さもないと、あなたがたのなわめは、きびしくなる。わたしは主なる万軍の神から/全地の上に臨む滅びの宣言を聞いたからである。」(22節)
真の神をあざけってはなりません。万軍を率いる神は全地の上に滅びをもたらすからです。
「人はパン用の麦を打つとき砕くだろうか、否、それが砕けるまでいつまでも打つことをしない。~これもまた万軍の主から出ることである。その計りごとは驚くべく、その知恵はすぐれている。」(28,29節)神の計画と知恵は驚嘆するほど優秀なのです。