主な活動場所
横浜市鶴見区社会福祉協議会の
団体交流室

 日本7

2023-06-17
皆様、お元気ですか?
日本人の本質はどこにあるのでしょうか?
数万年続いて来たとされる、この島国での歴史をしっかり学ぶ必要があるでしょう。それには神話に始まる歴史を紐解く必要がありますし、各地にある遺跡から調べることもできます。
神話を否定することは簡単ですが、国史として残されてきた理由があるはずです。反対する人は造化三神なんかいるはずがないとか、天皇の生涯が長すぎるとかの批判をします。神話で伝えたいことは、このようなときに誰がどのようにしたという記述から何かを学んでもらいたいからです。ですから、神話を読むときは、このことは、私に何を教えたいと思って書かれたのだろうか?と考えながら読むことです。
遺跡は嘘をつくことはできません。年代測定も誤差はありますが、どれだけ古いか新しいかは判別できます。縄文土器があれだけ複雑な文様にしたのは何故だろう?弥生土器はなぜ簡素になったのだろう?このように不思議に思うことの謎解きが歴史を学ぶ真髄ではないでしょうか?
このように、神話と遺跡を調べることで、先祖の日本人が、色々な苦難を乗り越えて生き延びてきたことがわかります。貝塚はゴミ捨て場ではなくお墓だったことがわかりますし、死者の埋葬から生命観を知ることができます。自然は豊かでその産物に預かってますが、自然の猛威も知ることで自然に畏敬の念が生じたのでしょう。土器やその後の墳墓に埋葬された形式から、生と死の受け入れや大切なものの思い入れが判ります。縄文時代には戦争の痕跡がほとんどありません。平和で豊かで文化的だったと思われます。他の民族の流入があり人口が増えると統治の方法を探り、農耕技術や土木技術も進歩していくようになり、小さな国(都市国家)が形成されたようです。貧富の差が生じると国同士で争いも起こるようになりました。文字を使うようになり、記録が残されるようになりました。その後、権威を天皇に集めて国家を形成したのでしょう。
それらの歴史から推測されるのは、国を治める手法を色々考えて、世界最古の十七条の憲法になったのだと思います。この憲法は国を治める行政官の心得を示したもので、権力の使い方を規制するもので、公僕という概念を示しています。ハンムラビ法典は紀元前1750年頃に制定されましたが刑法であり憲法ではありません。
さらに、世界最古の木造建築である法隆寺は地震や火災を防ぐ技術が残っています。もともとは神道がありましたが、仏教の教えを取り込み、神社も寺院も大切にし、融合して来ました。さらに儒教の教えも取り込み、一部のキリスト教の背景も活用しました。キリストが家畜小屋で生まれたので、聖徳太子も厩戸皇子(うまやどのみこ)と呼ばれていて厩舎の前で生まれたようです。
このように、日本人は上手く他国の文化を取り入れつつ独自性を打ち出して、他国の民族も受け入れる柔軟性を持っていました。現代でもこれを生かしたいですね。