主な活動場所
横浜市鶴見区社会福祉協議会の
団体交流室

 日本8

2023-06-19
皆様、お元気ですか?
日本の精神性を考えてみましょう。
まずは、日本語ですが、世界にもあまり類似性がないような言語です。主語、形容詞、述語という順番から違います。曖昧語が多く、間違って意味が解釈されることがある。オノマトペ(擬音語)が多い。最後まで聞かないと「します」か「しません」か分からない。とにかく不思議な言語です。
最初の縄文人が話していた言葉は分かりませんが、土器や土偶にその答えがあるかもしれません。縄文文様で何かを表していたかもしれず、自分のものとか村のものとか分かるような記号だったのかもしれません。火炎土器も火ではなく水流だったかもしれません。
神代文字(ペトログリフ)も各地で見つかっています。カタカムナ文字は一字が一音を表していて今の「あいうえお」の原型だったかもしれません。
まだまだ、古代の人の言語はわかりませんが、遺物の発見が新しい事実を明らかにしてくれることを待ちましょう。
最古の神社は大神神社(オオミワジンジャ)でそのご神体は三輪山で自然の山です。古事記によると、若者に化身したのが三輪山の神ではないかということから神社が創建されたようです。神様と人間が比較的自由に交流していたらしく、これは権威付けのために神と人間との間に生まれたことにしたのでしょう。
もともと、日本人はどこにも神がいるように感じていたようで、何でも神にしてしまいます。山の神様もいれば、便所の神様もいるのです。多分、自然に起こる事柄と違う現象が起きると、目に見えない力が働いていると思い、それを神の力としたり、化け物や妖怪の力と感じたのでしょう。
ですから、海外の人が考える神と、日本人が考える神は大きな違いがあるようです。ユダヤ教等の神は絶対神で唯一とさていますが、日本人は自然の力に神性を感じて、すべてに神が宿ると考えたようです。
実際に、大神神社のご神体は三輪山で、天皇家の三種の神器は権威付けや依り代(神が寄り付く器物)だと思われます。八百万の神という言い方は数えきれない神がいるという考え方です。神道には教理がない、教祖がいない、経典もないというもので、目に見えない力が働くのを体験することもあるから、そのようなときはその力は認めて、自分でできることをしなさい、ということだと思います。「お天道様が見ているよ」に代表されるように自分の行動に責任をもってしなさい。嘘や上辺だけでなく真摯に何時も行動しなさい、というものではないでしょうか?
これが、武士道にもつながり、恥ずかしいまねはしない、忠義をつくす、精一杯努力する、という生き方に示されるようになったと思われます。
日本精神は大和魂であり、縄文時代から連綿と受け継がれてきたように思います。
それで、そのような精神で一致団結すれば、困難も克服できるはずです。