詩篇35
2024-12-09

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。ダビデの詩とされています。
「主よ、わたしと争う者とあらそい、わたしと戦う者と戦ってください。」(1節)
終始、ダビデは神の援助を願い求めています。ダビデは多くの戦いをしてきましたし、内輪の人々にも戦いをしかけられたりしました。
「盾と大盾とを執って、わたしを助けるために立ちあがってください。やりと投げやりとを抜いて、わたしに追い迫る者に立ちむかい、『わたしはおまえの救である』と、わたしに言ってください。」(2,3節)
神の強大な力に頼り、神の武具で敵に立ち向かい「神は自分を救う」と言ってもらいたかったのです。
「彼らを風の前のもみがらのようにし、主の使に彼らを追いやらせてください。」(5節)
敵が吹き飛ぶように、神の使いを用いるように願います。み使いも強大な力を持っていることを知っていたのです。
「彼らはゆえなくわたしのために網を隠し、ゆえなくわたしのために穴を掘ったからです。」(7節)敵は捕らえの罠を密かに持ち込み、亡き者にしようと落とし穴まで用意します。
「わたしの骨はことごとく言うでしょう、『主よ、だれかあなたにたぐうべき者がありましょう。あなたは弱い者を強い者から助け出し、弱い者と貧しい者を、かすめ奪う者から助け出される方です』と。」(10節)
神と比較できる者はいません。弱き貧しい者を助けるのは神です。そのことを心底から言います。
「しかし、わたしは彼らが病んだとき、荒布をまとい、断食してわが身を苦しめた。わたしは胸にこうべをたれて祈った、」(13節)
ダビデは敵のために悲しみ、断食をして祈ったようです。それなのに、「しかし彼らはわたしのつまずくとき、喜びつどい、ともに集まってわたしを責めた。」(15節)とあるように敵は、ダビデの苦難の状況を喜び、集まって叱責したようです。
「主よ、いつまであなたはながめておられますか、わたしを彼らの破壊から、わたしのいのちを若きししから救い出してください。」(17節)
神は全ての状況を見ていますが、救いの時期は最も良い時を選ばれます。ダビデは命の危機を感じているので、切に救いを望んでいるようです。
「わたしの義を喜ぶ者をば/喜びの声をあげて喜ばせ、『そのしもべの幸福を喜ばれる主は大いなるかな』と/つねに言わせてください。」(27節)
神の正義は、最終的に神の僕に及びます。そしてその僕は喜びの声をあげます。それは神にとっても喜びなのです。救いは、その者にとって最適な時期に行われます。それまで、常に一日中、神の正義と誉を語りましょう。(28節)