「恋がいた部屋」6部
2015-09-22
愛が
僕を見放す
そんな時が
来るのだろうか
人の心を
裏切る
傷つける
そんなつもりなど
なかったのに・・・
真実の愛に
生きることは
難しい・・・
できれば
君といたい・・・
でも
それは今
不可能だ・・・
「お帰りなさいませ」
「ただいま」
夜11時を過ぎて、ヒョンジュンが家に帰ってきた。
50半ばのお手伝い、シンジャがヒョンジュンのバッグを受け取る。
ヒ:帰ってる?
シ:いえまだ・・・。お嬢様は、今日は帰りが遅くなると連絡が入りました。
ヒ:そう。会長は?
シ:もうお休みです・・・。
ヒ:うん・・・。あなたももう寝てください。ソルミが帰ってきたら、僕が玄関を開けるから。
シ:ありがとうございます・・・。お夜食は?
ヒ:いいよ。自分でやるから。そんなに気を使わないで下さい。
シ:でも、お手伝い致しますよ。お仕事でお疲れでしょうに・・・。
ヒ:(笑う)じゃあ、ビールを書斎に。
シ:かしこまりました・・・。(笑う)
主演:ぺ・ヨンジュン
チョン・ジヒョン
チョ・インソン
キム・へス
【恋がいた部屋】6部-1
ヒョンジュンは、リビング奥の扉を開けて、書斎に入る。彼がこの家の中で唯一安らげる場所だ。
この部屋の主は、もうここにはいない・・・。
ここは、ソルミの母親の趣味の部屋だった。きらびやかな他の部屋に比べて、そこはしっとりと温かく、ヒョンジュンの心を抱いた。壁紙にしても調度品にしても、やさしい味わいのあるものばかりだ。
ソルミの母親は、夫と同じ上流社会の出身で、見合い結婚で結ばれたが、結局、我が強く、外にも女を作った夫に嫌気が差して、この家を出てしまった。今は、実家で年老いた母と静かに暮らしている。
両親が離婚したのは、ソルミが中学2年の時だった。
それからは、一人娘のソルミは自由奔放、好きなように生きてきた。この家の跡取り娘である彼女は家事を覚える必要もなく、有り余る自由の中で育った。
彼女は物質的には満たされていたものの、心には寂しい、満たされないものがあった・・・。父親は仕事に夢中で娘のことなど考えていなかったし・・・自分自身も男である父親に何かを相談するというのも嫌だった。
どちらかというと、父親似の性格の彼女は、穏やかで自分の気持ちをあまり口に出せなかった母親とはよく衝突した・・・。衝突というより、ソルミが一方的に攻撃的な言葉を母親に投げかけただけだが・・・。
衝突はした母だったが、去ってしまえば、母のいない寂しさは、他のものでは補えないものがあった。
母が恋しくて、母親の実家を訪ねてはみるが、ソルミの口から出る言葉はいつも強がりで、自分の本当の思いを結局母親には告げることができない。最近は用もないので、母を訪ねることもなくなって、二人の関係はより疎遠になった。一見やさしい穏やかな母も、気性の激しいソルミも、お互いに歩み寄れない・・・自分の人生が中心の二人。根っこでは性格がよく似ているのかもしれない・・・。
母と別れたあとは、母の温もりを感じるこの書斎が、ソルミの安息の場所となった。本当の母に会うより素直に母の温もりが感じられ、彼女の心を癒してくれるので、ソルミはこの部屋を愛した。
ヒョンジュンが来てからは、自分が買ったあの絵の女の顔を見るのも嫌で、この部屋には、あまり来なくなってしまった。その代わり、ヒョンジュンがこの部屋を愛し、今では書斎として使っている。
ソルミは、この部屋で、ヒョンジュンがあの絵と向かい合っているかと思うと、胸がざわめいて、いっそあの絵を捨てようかと思ったが、自分のやったことの「代償」であるのなら、それも仕方がないかもしれない・・・。気性の激しいソルミにしては、その点は、非常に寛容に見えた・・・。
やっと手に入れた理想の男、ヒョンジュン・・・。
ソルミは、父親のように、仕事に追われた生活など、大嫌いだった。自分の人生の楽しみを捨てている・・・彼女はそう考えていた。
彼女の母は美しい植物画をいくつも残した。この部屋の壁や棚の上に、彼女の植物画がある。仕事に追われ、家族を省みなかった父に比べ、母は一日中絵を描いて過ごした。その後ろ姿は、優雅そのもので、自分もいつかああして暮らしたいと思った。でも、ソルミにはそうした芸術的センスがなかった。
それを補うのが自分のパートナーとなるべき人であり、芸術家の夫を持って、あの母のように、二人は日々を優雅に過ごす、これが彼女の考えた夢だった。
それは父親の生き方への反発だったかもしれないが、ソルミはそれを実行した。
アーティストと呼ばれる、目ぼしい男を片っ端から貪る。それは音楽家であったり、写真家であったり、シンガーであったり、ダンサーであったり・・・。
でも、どの男も究極はソルミの財力に魅力を感じて付き合うだけで、心底、自分だけを愛そうとはしてくれない。彼女の財力で立身出世を夢見る。
そして、実際の彼らは、ソルミの美貌に酔うより、自分の才能に酔っていた。彼らの心の中は、エゴイストで・・・ソルミを姫のように扱っても、真実は少しも彼女に傅いてなどいなかった。
これだけの美貌を持っているのに・・・なぜ・・・?
ある時、画廊で見かけた画家の小さな紹介写真に、ソルミはときめいた。ヒョンジュンは将来を嘱望された画家であるだけでなく、その姿も顔も美しかった。その写真に、ソルミは心を奪われた。そして、本物の彼はもっと素敵だった。他のアーティストに比べ、鼻持ちならないところはなかったし、ある意味、純粋だった。ソルミの財産など全く念頭にないように思えた。
一つ面倒なことと言えば、いつも近くに恋人らしき女がいたこと・・・。
でも、それもソルミにとっては、あのように愛されたいという雛形に過ぎなかった。
あの絵に描かれた女のように、自分も愛されたいと思った。
彼に肖像画を描いてもらい、バリ島まで連れ出したというのに、彼は、バリの生活を楽しんでいるだけで、自分を女として手に入れようと努力さえしない・・・。ソルミがやっとなんとか、ヒョンジュンを手に入れたかと思ったら、彼はその翌日、逃げるようにして、バリを去った。
シ:旦那様、お待たせ致しました。
ヒ:ありがとう。あ、つまみも用意してくれたの。(笑顔)いつも悪いですね。
シ:少し召し上がったほうがいいですよ。・・・あまり、外食ばかりでは体によくないですから。
ヒ:そうだね・・・でも、今は仕事が一番だから・・・。男には、そういう時期もあるでしょう?
シ:・・そうですね・・・。
ヒ:お休み。(笑顔で)
シ:お休みなさいませ・・・。
シンジャが部屋を出ていくと、読書用に置かれた小さな丸テーブルに腰掛け、缶ビールを開ける。
一口飲んで、ヒョンジュンは壁をじっと見た。
ついこの間まで、そこにミンスがいた。
ソルミの絵は裸体であることもあって、自分たちの2階の部屋に飾ってあった。
父親がそれを客に見せるのをマズイと言ったので、2階へ隠したが、見せたがりのソルミは友達を呼んではその絵を見せ、皆の驚嘆に、胸をときめかせている。
ヒョンジュンは一日に一回はこの部屋で、ミンスに会った。
ミンスはあの絵の中から、いつもヒョンジュンを見つめていた。
結婚を機にデザイナーに転身するように、ソルミの父親に言われた時は、その衝撃に心が震えた。
「実業家の一人娘と結婚するのに、画家では使い物にならん」 それが父親の言葉だった。
「もし、君が我がグループの中で、一つのブランドを成功させることができたら、君をソルミの夫として受け入れ、私も君を誇りに思うだろう・・・」 父親はそう言った。
挙式のあとだったので、ヒョンジュンの心は、大きく揺れた。
夜一人でここへ来て、ミンスの顔を見た。
おまえはどう思う・・・?
彼女がやさしく話しかけてきた。
「ヒョンジュン、画家を捨てるのね・・・。残念・・・。でも、大丈夫。あなたならできるわ。好きなものを描けばいいのよ・・・私はあなたを信じているから・・・。あなたならできるわ」
「好きなものって・・・おまえを描きたいだけだよ・・・」
「そう・・・今度は私の心ではなくて、私の姿を描けばいいのよ・・・簡単でしょ? 同じ私だもん・・・あなたの好きな私を描くだけよ」
「それでいいの?」
「それでいいのよ・・・」
デビューの前日も神経が尖って苦しくなった時、絵の前に立った。
「熱なんて出しちゃ駄目。私が介抱しに行くことはできないから・・・。大丈夫・・・もう準備万端・・・失敗するはずがないわ・・・。やるだけのことはやったわよ」
ヒョンジュンは、ミンスの言葉に励まされた。
ソルミの父親は初め、ヒョンジュンがここまでできるとは思ってもいなかった。
父親である会長が初めて、画家であるヒョンジュンを見た時に浮かんだインスピレーション・・・それが「デザイナー」だった。
彼にしてみれば、今まで「使えない」芸術家を漁っていた我儘娘のソルミが、家へ連れてきた中では、一番、扱いやすい男に見えた。
ソルミ、またはその夫は、彼の事業を継がなくてはならない。それには、家業を継げるだけに力量もなければならない・・・。しかし、ソルミにはそのような才能はなかった。となると、その夫こそ、自分の跡取りだ。
経営者、それはこの男には難しいかもしれないが、デザイナーというのはどうか。
アパレル会社の「顔」としては、悪くないのではないか・・・。もし、この男が「デザイン」などできなくても、形だけデザイナーということにして、グループ内のデザイナーを集めてチームを作り、そこで、ヒョンジュンという男を祭り上げて、作品を作っていけば、会社の「顔」というものが成り立っていく・・・。
この男の履歴はその「顔」にふさわしいし、本人も美しく、「顔」として、顧客の女たちの心を掴むに違いない・・・。
父親である会長はそんなことを考えた・・・。
ソルミの妊娠を聞いた時、まさにそれは使えるアイディアとなった。
ヒョンジュンという男の持つ柔らかさは、きっと女性の顧客受けするだろうと予想はしたが、それは的中。ふたを開けてみれば、ヒョンジュンという男は、デザイナーになるという提案を真面目に引き受けて、デザイン画をすぐに覚え、どんどんデザインを始めたではないか。それには、父親も会社の役員も驚いた。
その上、素材の勉強など、衣服につながることを多岐に学んでいく・・・。
彼は、まるで結婚生活より仕事をするためにやってきたようにも見えた。
ヒョンジュンは、今、ミンスがいなくなった壁を見つめて、ビールを飲む。
絵はなくなっても、そこにミンスの心は残っているような気がする。
会社のトルソーの中にもミンスがいて・・・。
離れてしまった今になって、ヒョンジュンの周りのあちらこちらにミンスは確実に存在し始めた。
今まで気がつかなかった朝食のコーヒーやトーストの中にも、ミンスはいる。
「アメリカン・・・」それだけで、ミンスは存在した。
「トーストにバターを多目に塗る」そんな仕草の中にも、ミンスはいた・・・。
会社で使っている、ヒョンジュンのお気に入りの、ジノリの無地のマグカップにも、ミンスはいた。
鉛筆を削るだけでも、ミンスはいた。
「先っちょは、このくらいでいいの?」 今は自分で削り、「そう、これでいいんだよ」 と心で答える。
別れたというのに、ミンスの存在感はどんどん広がっていくだけで、前よりも二人が言葉を交わすことが多くなってきていることがわかる。
一緒にいる時は、会っていない時は、あまりミンスは顔を出さなかったから・・・。今、家にも会社にもミンスがあふれていて・・・唯一、ソルミといる時間だけ、ミンスは静かに姿を消している・・・。
ミンスはマンションの窓から夜景を見ながら、考えている。
なぜ、ヒョンジュンは、「二人の恋」の絵を公表しようとしているのか・・・。
結婚してしまった彼がなぜ今、過去の自分との恋を明らかにするのか・・・。
少し前のヒョンジュンとは立場が違う・・・人気デザイナーの仲間入りを果たした彼の絵だもの・・・モデルがいったいどんな女か皆知りたいだろう・・・。
ああ、どうしたらいいの・・・?
・・・私には次の恋があるのかしら・・・。この絵を公表することは、私にとっていいことなの?
あなたも父親になるんでしょう・・・? 私への気遣いはなくなったの?
ミンスはどうしたらいいのか、わからない・・・。
まだ、同じ携帯番号を使っているの?
こんな時間に、女から電話をもらっても困るわね・・・。
どうしよう・・・。
ミンスは、携帯を開いて、ヒョンジュン番号を見ながらも、電話をしようか、悩んでいる。
そこへ携帯が鳴った。
ミンスはドキッとした。
ミ:もしもし?
ジ:元気?
ミ:・・・まあね。
ジ:これから、君を訪ねてもいい?
ミ:こんな時間に? 駄目よ・・・。
ジ:少しだけ・・・。
ミ:でも・・・。
ジ:ねえ・・・窓の下を見てよ。
ミ:え?
ミンスは身を乗り出して、窓の下を見た。
ジフンが立って、マンションを見上げている。
ミ:やだ・・・。
ジ:ちょっとだけ・・・ちょっとだけ会って・・・。
ミ:わかった・・・。下へ降りるわ・・・。待ってて。
ミンスがマンションのエントランスまで行くと、ジフンが手を振った。いつものジフンと少し違って、ちょっとしっとりとした感じだ。
ミ:どうしたの?
ジ:うん・・・。ちょっと飲まない?
ミ:コーヒー? お酒?
ジ:どっちでも・・・。(寂しそうに見つめている)
ミ:・・・いいわよ。
ミンスとジフンは連れ立って歩き出す。
ミ:どうしたの?
ジ:うん・・・。ちょっとねえ・・・僕の患者さんが、亡くなったから・・・。(パンツのポケットに手を入れ、寂しそうに俯く)
ミ:いくつ? まだ子供よね?
ジ:うん・・・11。ガンでね・・・。
ミ:そうだったんだ・・・。うちのお兄ちゃんと同じだ・・・。うちは12だったよ。
ジ:そうか・・・。寂しいよなあ・・・。
ミ:うん・・・。(ジフンの顔を見る) 慰めてほしいの?
ジ:誰かとさ、気持ちを分かち合いたいと思ってさ・・・。
ミ:・・・いいよ・・・。(ジフンを見つめる)
ジフンは控えめにミンスの顔を見る。そして、微笑んだ。
ジ:腕ぐらい、組ませて・・・。
ミ:図に乗った。(笑う)
ジ:いいだろ?
ミ:うん・・・。
ジ:(腕を組んで)あったかいなあ・・・やっぱり、人の温もりはいいよ。だろ?
ミ:・・・まあねえ・・・。(そっぽを向いて店を探す)
ジ:気のないやつ・・・。
ミ:ねえ、あそこで飲む?
ジ:酒? コーヒー?
ミ:両方ありよ。行こ!(引っ張る)
近くのカフェバーで二人は小さなテーブルを挟んで座る。
ジ:君に会ったら、少し気分が落ち着いたよ。
ミ:そうお?(コーヒーを飲む)
ジ:君は元気?
ミ:何が?
ジ:う~ん・・・。窓の下から見たらさ・・・ちょっと泣いてるようにも見えたから。
ミ:泣いてはいないわよ。
ジ:お兄さんに話してごらん。
ミ:やあだあ・・・。(笑う)
ジ:でも、なんかあったな・・・。
ミ:なんで気になるの?
ジ:だって、順番待ちしてるからさあ・・・。
ミ:・・・。
ジ:あのH(アッシュ)さんのこと?
ミ:うん・・・。
ジ:ふ~ん・・・。
ミ:ねえ・・・順番待ちなんて、しないで・・・。
ジ:いいじゃない・・・。見込みのない男を待つ女に並んでも・・・。
ミ:無駄よ・・・。(きつい目をする)
ジ:待つよ・・・。6年は。
ミ:6年?
ジ:あの人って、オレより6歳上だろ? だから、あの人の年まで待つ・・・。ミンスを待つ・・・。
ミ:時間の無駄使い、しないで。
ジ:それは君に言いたい・・・。(じっと見つめる)
ミ:・・・。
ジ:なんで辛い顔してたの?
ミ:(コーヒーカップの中を見ながら)・・・もうすぐ、パパになっちゃうから・・・。
ジ:・・・。
ミ:もうすぐ終わっちゃうから・・・。私の恋が・・・。(涙ぐむ)
ジ:・・・。
ミ:・・・バカみたいでしょ?
ジ:そんなことはないよ・・・。よくわかるよ。(じっと見る)
ミ:ホントはわからないくせに・・・。
ジ:わかるよ。
ミ:・・・。
ジ:うまくいかないね。オレは君が好きで、君はH(アッシュ)さんを好きで・・・。
ミ:・・・素敵な彼だったの・・・。
ジ:君を置いてきぼりにしてね・・・。
ミ:・・・。(ちょっと睨む)
ジ:ごめん・・・。でも、あの人、君とキスをしたんでしょ? 君と抱き合ったり・・・。
ミ:・・・。
ジ:・・・いいな・・・。(じっと見る)
ミ:話題変えよう。
ジ:でも、少し元気になった・・・。(微笑む) 君にヤキモチを妬くと、いつも元気になるんだ。
ミ:おかしな人。
ジ:(笑う)おかしいね・・・。送っていくよ。夜遅くにごめん・・・。
ミ:いいの・・・。私も元気になったから。(笑う)
二人は立ち上がった。
店を出ると、ミンスがジフンの腕に腕を通した。
ジ:いいの、腕組んで?
ミ:あなたっていい人よ・・・。最高の友達。キスもしてあげる。(軽く頬にキスする)
ジ:・・・。
ミ:素敵な友達だわ・・・。
ジ:来いよ。
ジフンがミンスの手を振り解いて肩を抱いた。
ジ:辛いなら、泣けよ。
ミ:・・・バカ・・・。(涙が出る)
ジ:もっと泣けよ・・・。
ミンスはハラハラと涙を流した。
ジ:我慢なんかするなよ・・・。
ジフンが肩を強く抱きしめる。
ミンスは悔しそうな顔をして、そっぽを向けながら、涙を流した・・・。
ジフンは初めて、ミンスの部屋に入った・・・。
ここ半年、二人はつかず離れずで、友人として付き合っている。ジフンはミンスを好きで・・・ミンスはジフンとはなんでも話せる友達になった。
ジ:へえ・・・。あの絵が問題の絵? ちょっと電気消して見てみようよ。
ミ:スタンドだけつける?
ジ:うん・・・。
ミンスはベッドサイドのスタンドをつけ、ヒョンジュンの絵にライトが当るように、置く。
そして、部屋の電気を消した。
ジ:いいねえ。
ジフンは窓際にあった、大きめなイスを絵の正面に置く。
ジ:座って見ない?
ジフンがイスに腰掛けて、ミンスを呼んだ。ミンスはジフンの座っている方を見た。
かつて、ヒョンジュンの部屋で窓際にあったイス・・・。
別れる時、この絵とこの「イス」をもらった・・・そして、彼のマグカップを失敬した。
月の夜に、この「イス」に座ったヒョンジュンの膝に乗り・・・二人は愛を交わした。
その思い出の品・・・。
「ここのものって捨てちゃうの?」
「たぶんね・・・」
「そうか・・・」
「・・・ごめんな・・・一緒に揃えたのに」
「うううん・・・もう仕方ないよ」
「じゃあ、絵は運送会社の人に頼んでちゃんと送るから。あの絵だけはおまえに持っていてほしい」
「うん・・・」
「ヒョンジュン・・・」
「何?」
「・・・このイス、もらってもいい?」
「・・・」
「使いやすいじゃない? こんな大きいのってなかなか見つからないし・・・もらっていい・・・?」
「・・・」
ヒョンジュンがミンスをじっと見つめた。ミンスもなんとか自分の気持ちに負けないように見つめ返した。
「・・・いいよ。おまえがほしいなら・・・」
「うん・・・ありがとう」
そう言って俯いたミンスをヒョンジュンが抱きしめた。ミンスのお尻をギュッと掴んで引き寄せるように・・・。
ミンスは、そんなヒョンジュンの抱き方に苦しくなって涙が出てしまう。
それなのに、ヒョンジュンはもっとミンスを引き寄せる・・・。
「・・・あ~ん・・・」
ミンスは辛そうに、ヒョンジュンを見上げた。
ヒョンジュンの顔が近づいて、ミンスにキスをした・・・。
今までで一番長いキス・・・情熱的で・・・悲しいくらい熱いキス。
これが最後のキス・・・。
ミンスは泣きながらも、ヒョンジュンとキスをする。彼の首に腕を回して、もうこれ以上、抱きしめられないくらい彼を抱きしめて・・・。
顔を離すと、ヒョンジュンがミンスの頭を抱くように、ミンスを胸に抱いた。
ヒョンジュンの胸が小刻みに揺れて・・・彼が泣いているのがわかった・・・。
ジフンは大きく股を開いて、ミンスのスペースを作り、ミンスが座るのを待っている。
ミンスは笑顔でジフンを見て、そこに前向きに腰を下ろした。
後ろから、ジフンがミンスを抱きしめて、二人は、絵を見る。
ジフンがミンスの肩に顔を乗せた。
ジ:うん、いい絵だ・・・。君が裸なのに・・・ちっとも欲情しないよ。(ミンスの顔の横で言う)
ミ:(笑う)やだ・・・。
ジ:情熱的なのに・・・なんでかな・・・。純粋だから?
ミ:・・・。
ジ:まるで、あの人が見ているようだね?
ミ:そう?
ジ:うん・・・。この絵は君であって、君じゃない・・・。あの目はあの人なんだ・・・。そして、毎日、ミンスを監視している・・・。
ミ:・・・あなたにも、そう見える?
ジ:うん・・・。
ミンスは絵をじっと見つめながら、涙がこぼれる・・・。
ミンスのウエストを抱いたジフンの手の甲に、ミンスの涙が落ちる・・・。ジフンはそのまま、涙など気にせず、ミンスに語りかける。
ジ:この絵がある限り、君はオレのものにはならないね・・・。あの人が見てるから・・・。
ミ:・・・どうして、この絵を公表しようとしていると思う・・・? これって、普通の絵じゃないでしょ?
ジ:・・・そうだね・・・。魂があるみたい・・・。愛があるんだ・・・。二人の・・・。
ミ:うん・・・。(また涙が落ちる) どう思う? この絵を公表してもいい?
ジ:君に任されているわけね?
ミ:そう・・・。
ジ:それは困ったね・・・。今はもう恋人ではない人に、そんなことを任せるなんて・・・。これからの君のことを考えてないのかな・・・。君が断りにくいの、知ってて・・・。君のことを考えていたら、この絵を世に出さないでしょ? それとも・・・君を手放す気はないっていうことなのかな・・・。彼はどうしようと思ってるんだろう・・・。
ミ:・・・・。
ジ:一つわかることは・・・・。
ミ:わかることは?
ジ:彼は、不幸だ・・・。
ミ:そう・・・?(涙が流れる) どうしてわかるの?
ジ:富も名声も得たのに・・・君を諦めないこと・・・。
ミ:・・・。(じっと絵を見つめる)
ジ:どんなに激しい恋だったとしても、人は結婚して富と名声を得れば、過去のことにするだろう? それに子供も生まれるなら、なおさら、そうじゃない?
ミ:男の人はそういうもの?
ジ:・・・君をどんなに思っていても・・・そうなったら、オレだったら諦めるよ・・・諦めるというより、心の中で愛していて、今の暮らしを大切に生きるな・・・。そういうもんじゃない? 人間て・・・。
ミ:・・・。
ジ:でも、彼はそれじゃ嫌なんだ・・・。なぜだろう・・・? 赤ん坊のために、君を諦めたのに・・・なぜだ?
ミ:なぜかしら・・・?
ジ:なぜ、結婚前の君の裸なんか発表するんだ・・・。ただのモデルじゃない君の・・・。スキャンダラスじゃないか。
ミ:・・・何が彼を苦しめているの?
ジ:何だろうね・・・。
二人は、じっと絵を見つめた。
深夜2時近くになって、ソルミが帰ってきた。
ヒョンジュンはチャイムの音に、ドアを開けた。
ヒ:お帰り。
ソ:ただいまあ・・・。(酔っている)
ヒ:(ソルミを支えている運転手に)あ、ありがとう。もう休んでください。
ソ:シンジャは? (目をとろんとさせて言う)
ヒ:寝かせたよ。
ソ:何よ、ダンナ様にこんなことさせて・・・。
ヒ:こんな時間まで悪いじゃないか・・・。
ソルミは、ヒョンジュンに掴まりながら、靴を脱ぐ。
ヒ:ずいぶん、遅かったね。
ソ:ちょっとねえ・・・。あなたに言いたいことがあったんだけど・・・なんか忘れちゃった・・・。
ソルミは酔って、まともに歩けない。ヒョンジュンが抱きかかえながら、歩く。
ソ:何だったかしら・・・。ものすごく大切なことだったような・・・。あなた、着替えもしてないの?
ヒ:まだ、やることがあるから・・・。
ソ:何? 仕事ばっかりね・・・あなたのやることって・・・。
ヒ:まずは、ベッドまで行こう・・・。
ソ:お父様は?
ヒ:先に帰られて、もうお休みだ・・・。
ソ:そう・・・。
ヒョンジュンは、ソルミを自分たちの2階の部屋のベッドまで、抱きかかえていく。服を脱がせ、ベッドに寝かしつけて、水を持ってきた。
ヒ:一杯飲んで寝たほうがいいよ。(コップを渡す)
ソ:サンキュ。ああ・・・。(ヒョンジュンを見る) まだ、寝ないの?
ヒ:・・・ああ・・・。
ソ:私とは、寝ないの?
ヒ:・・・。
ソ:・・・じゃあ先に寝るわね・・・ああ・・・。
ソルミはベッドで伸びをして、眠りについた。
ヒョンジュンは、ソルミの寝顔を見ながら、布団を肩までかけた。
この女も、自分は不幸にしたかもしれない・・・。
ヒョンジュンはパジャマに着替えて、自分のベッドに腰を下ろし、寝ているソルミを見た。
酒に酔いつぶれている妻・・・。
ヒョンジュンはすくっと立ち上がり、掛け布団を持って、一階へ降りていった。
リビングのソファで、横になって寝る。
ソルミを見ていると、あの部屋では安らかに眠ることができない・・・。
毎夜、酔っ払っている妻・・・。
そんな彼女にしてしまったのは・・・自分だから・・・。
朝になって、ヒョンジュンはシンジャに起こされた。
シ:ダンナ様。もうお起きにならないと・・・。
ヒ:あ、今何時ですか?
シ:6時半です。もう少しすると、大ダンナ様が起きていらっしゃいますよ。
ヒ:そうだね。ありがとう。
ヒョンジュンはだるそうに起き上がって、布団を持って2階へ上がる。シンジャは辛そうにそんな姿を見送った。
こんな朝がいつまで続くのだろう・・・。
朝のダイニングでは、父親が正面奥に座って、新聞を読んでいた。
ヒョンジュンはシャワーを浴びて、すっきりした面持ちで、朝の食卓に着く。
ヒ:おはようございます。
父:おはよう。また、ソルミは起きんのか。
ヒ:ええ、昨日は遅かったものですから・・・。
父:困ったやつだ。
シンジャが朝食を運ぶ。
父:どうだ、仕事のほうは。なかなか売り上げもよさそうだな。
ヒ;おかげさまで。
父:今は、何をやっているんだ。
ヒ:春の新作のデザインを。冬物もぼちぼち売れ出しています。
父:そうか・・・うむ・・・。ソウルデパートでのファッションショーは、春物か?
ヒ:ええ、でも、これから冬物のシーズンですし、まずは冬物を出して、春を後半に持ってこようかなと思っています。
父:うむ・・・。まあ、忙しいのもいいが、スタッフにも少し労いをしてやらないとな・・・こういう商売は、スタッフの気持ちを掴んでおくことが大事だ。
ヒ:はあ・・・。
父:何か・・・差し入れでもしておくか?
ヒ:・・・。
ヒョンジュンには検討もつかなかった。今までチームで仕事をするということがなかったから。でも、今は自分を支えるデザイナーやパタンナーたち、スタッフは大切だ。
「ねえ、ケーキでも差し入れする? きっと、皆も、たまにはそういうもの、ほしいわよ」
「そうかな?」
「うん・・・あなたも疲れると、ちょっと甘いものが食べたいでしょ?」
「うん・・・」
ヒ:(お茶を入れるシンジャに)シンジャさん、すみませんが、会社のほうに差し入れお願いできますか?
シ:え?
ヒ:ノートルダムのケーキを・・・35個。昼過ぎに届けるように手配してもらえます?
シ:いいですよ・・・35個ですね。
ヒ:ええ。
「名前はソルミさんからがいいわ・・・」
ヒ:ソルミからの差し入れということでお願いします。
「モンブランは確保しなさいよ」(笑う)
ヒ:それから、ケーキはいろいろ取り混ぜてでいいですが・・・モンブランは社長用って、但し書きを入れてもらうように。
シ:(笑う)かしこまりました。モンブランがお好きだったんですね。
ヒ:ええ。(笑う)
父:うん、それでいいだろう。35個か・・・。
ヒ:ええ。総務の人たちも皆一緒のほうがいいでしょう?
父:そうだな。あ、今度の経営全体会議にも君も出なさい。これから大きく伸びる会社だ。皆の話を聞いておいたほうがいい。
ヒ:はい。
ダイニングにソルミが入ってきた。
ソ:ヒョンジュン! あなたに話があるの!
父:どうした? 朝から。物々しいな。
ソ:お父様は黙っていて。昨日、話そうと思っていたのに、忘れてたから・・・。
父:じゃあ、私は行くよ。ヒョンジュンも遅れないように。
ヒ:はい。
父:ソルミ、仕事の邪魔にならないようにな。
ソ:お父様!(怒った顔をする)
父親はダイニングから立ち上がり、シンジャが父親の背広を持って、玄関へ送っていった。
ヒ:朝から何だい?
ヒョンジュンはダイニングに座ったまま、ソルミを見上げる。
ソルミがヒョンジュンの横に立った。
ソ:昨日、ゴルフ場でへんな人に会ったの。
ヒ:へんな人?
ソ:あなたの「生き別れの姉」とか言っちゃって。
ヒ:姉?
ソ:そんな人なんていないでしょ?
ヒ:・・・。どんな人だった?
ソ:まあ・・・キレイな人・・・。背が高くて・・・。30代後半かな・・・。
ヒ:目が大きい?
ソ:うん・・・。
ソ:知ってるの?
ヒ:・・・もちろん・・・。それで、なんて?
ソ:ゴルフ場のクラブ・ハウスの真ん中で声をかけてきて。それも、私のお友達がいる前で・・・。(口ごもる)
ヒ:なんて?
ソ:・・・赤ちゃんはどうされたの?って・・・。
ヒ:・・・それで、なんて答えたの?(じっと見る)
ソ:・・・。
へ:私、ヒョンジュンの生き別れの姉です。
ソ:お姉さんなんて聞いてませんけど・・・。
へ:そうですか・・・でも、ヒョンジュンに聞けばわかるわ。私のこと・・・。
ソ:・・・。
へ:ところで・・・弟は、あなたに赤ちゃんができて結婚したはずですけど・・・。
周りの友人が驚く。
ソ:そ、そんな話、どこから聞いたの?
へ:だって、あなた。お医者様の診断書を持ってらしたでしょ? それで弟は、結婚寸前のところを、浮気相手のあなたと結婚したんですよ。
ソ:そ、そんなあ・・・。(周りの友人の視線を感じる)そんなことはなくてよ。それは、それは何かも間違えだわ。ヒョンジュンと私は純粋に・・・。
へ:ではなぜ、婚約者が泣いたんでしょう・・・。なぜ、辛い別れをしたんでしょう・・・。
ソ:さあ・・・ヒョンジュンが私に魅力を感じたからじゃないの?
へ:あんなに愛してたのに・・・。
周りの友人が顔を見合わせる。
へ:あなたも個展であの絵を見たでしょ? ああ、あの絵を買って・・・ヒョンジュンに、手を出したんだったわ・・・。そうね?
ソ:言いがかりをつけないで。私たちのこともよくわからなくて、何をおっしゃるの?
へ:あなたのことを知らないだけです・・・ヒョンジュンについても、あの子の恋人についても、私はよく知っていますよ。
ソ:・・・。
へ:よくわかりました・・・。このことは、あの子の婚約者だった人に伝えます。
ソ:・・・。
へ:あなたが騙して、ヒョンジュンを手に入れたことをね。
ソ:・・・ひどいわ・・・。
へ:ヒョンジュンを幸せにしてください。あなたのお金で・・・。
ソ:なんですって!
へ:失礼!
ヘスは、怒りに震えるソルミを置いて帰っていった。
ソ:赤ちゃんのことは、あなたとご両親しか知らないはずなのに・・・。
ヒ:・・・生き別れの姉だからね・・・家族は皆知ってるさ・・・。
ソ:でも、なんであんな人前で・・・。
ヒ:恥をかかされた?(じっと見つめる)
ソ:・・・。
ヒ:でも、真実なら仕方ないじゃない・・・。うそはいつかバレるよ。
ソ:恨んでいるの?
ヒ:君のこと?
ソ:・・ええ・・・。(見つめる)
ヒ:どうかな・・・。でも、感謝もしてるよ。これだけの仕事をさせてもらって・・・。この仕事は僕に合っているように思うし・・・。経営にも参加させてもらってるし。それで、十分だ・・・。婿としては、よくやってるだろ?
ソ:ヒョンジュン・・・。(ヒョンジュンに懇願するように見つめる) 私・・・ホントにあなたの子がほしいの・・・。だって、そうすれば、私たち円満でしょ? 仕事もうまくいっているし・・・あとは家庭だけ・・・。それもうまくいくわ・・・。
座っているヒョンジュンがソルミのお腹をやさしく撫でる。
ヒ:ホントに、ここに赤ちゃんがいればよかったね・・・。僕は君に悲しい思いをさせたくなかった・・・。
ソルミのお腹をやさしく撫でていた手がずっと下に下がる。ソルミは少しポッとした顔をする。
ヒ:(手を離して)でも、駄目だ。今は子供を作る時じゃない。
ソ:なぜ?(驚く)
ヒ:会社をもっと軌道に乗せなくちゃ。会長も期待してくれてるし。
ソ:ヒョンジュン、あなたが躍起にならなくても、うちは大丈夫よ。(笑う)
ヒ:僕がしたいんだ。・・・それに・・・。赤ちゃんなら、他でも作れるだろ? 僕に拘ることはないよ。
ソ:・・・。(驚く)
ヒ:じゃあ、出かけるよ。
凍りついたソルミを置いて、ヒョンジュンは席を立った。
ダイニングを出ようとしたところを、お手伝いのシンジャが立っていて、ヒョンジュンの顔を見上げる。
ヒ:ケーキの件はよろしくお願いします。ソルミの名前で差し入れしてくださいね。
シ:か、かしこまりました・・・。(緊張する)
ヒ:では、行ってきます。
シ:行ってらっしゃいませ。(頭を下げる)
ソルミは凍りついたまま、ダイニングに佇んだ。
7部へ続く
僕を見放す
そんな時が
来るのだろうか
人の心を
裏切る
傷つける
そんなつもりなど
なかったのに・・・
真実の愛に
生きることは
難しい・・・
できれば
君といたい・・・
でも
それは今
不可能だ・・・
「お帰りなさいませ」
「ただいま」
夜11時を過ぎて、ヒョンジュンが家に帰ってきた。
50半ばのお手伝い、シンジャがヒョンジュンのバッグを受け取る。
ヒ:帰ってる?
シ:いえまだ・・・。お嬢様は、今日は帰りが遅くなると連絡が入りました。
ヒ:そう。会長は?
シ:もうお休みです・・・。
ヒ:うん・・・。あなたももう寝てください。ソルミが帰ってきたら、僕が玄関を開けるから。
シ:ありがとうございます・・・。お夜食は?
ヒ:いいよ。自分でやるから。そんなに気を使わないで下さい。
シ:でも、お手伝い致しますよ。お仕事でお疲れでしょうに・・・。
ヒ:(笑う)じゃあ、ビールを書斎に。
シ:かしこまりました・・・。(笑う)
主演:ぺ・ヨンジュン
チョン・ジヒョン
チョ・インソン
キム・へス
【恋がいた部屋】6部-1
ヒョンジュンは、リビング奥の扉を開けて、書斎に入る。彼がこの家の中で唯一安らげる場所だ。
この部屋の主は、もうここにはいない・・・。
ここは、ソルミの母親の趣味の部屋だった。きらびやかな他の部屋に比べて、そこはしっとりと温かく、ヒョンジュンの心を抱いた。壁紙にしても調度品にしても、やさしい味わいのあるものばかりだ。
ソルミの母親は、夫と同じ上流社会の出身で、見合い結婚で結ばれたが、結局、我が強く、外にも女を作った夫に嫌気が差して、この家を出てしまった。今は、実家で年老いた母と静かに暮らしている。
両親が離婚したのは、ソルミが中学2年の時だった。
それからは、一人娘のソルミは自由奔放、好きなように生きてきた。この家の跡取り娘である彼女は家事を覚える必要もなく、有り余る自由の中で育った。
彼女は物質的には満たされていたものの、心には寂しい、満たされないものがあった・・・。父親は仕事に夢中で娘のことなど考えていなかったし・・・自分自身も男である父親に何かを相談するというのも嫌だった。
どちらかというと、父親似の性格の彼女は、穏やかで自分の気持ちをあまり口に出せなかった母親とはよく衝突した・・・。衝突というより、ソルミが一方的に攻撃的な言葉を母親に投げかけただけだが・・・。
衝突はした母だったが、去ってしまえば、母のいない寂しさは、他のものでは補えないものがあった。
母が恋しくて、母親の実家を訪ねてはみるが、ソルミの口から出る言葉はいつも強がりで、自分の本当の思いを結局母親には告げることができない。最近は用もないので、母を訪ねることもなくなって、二人の関係はより疎遠になった。一見やさしい穏やかな母も、気性の激しいソルミも、お互いに歩み寄れない・・・自分の人生が中心の二人。根っこでは性格がよく似ているのかもしれない・・・。
母と別れたあとは、母の温もりを感じるこの書斎が、ソルミの安息の場所となった。本当の母に会うより素直に母の温もりが感じられ、彼女の心を癒してくれるので、ソルミはこの部屋を愛した。
ヒョンジュンが来てからは、自分が買ったあの絵の女の顔を見るのも嫌で、この部屋には、あまり来なくなってしまった。その代わり、ヒョンジュンがこの部屋を愛し、今では書斎として使っている。
ソルミは、この部屋で、ヒョンジュンがあの絵と向かい合っているかと思うと、胸がざわめいて、いっそあの絵を捨てようかと思ったが、自分のやったことの「代償」であるのなら、それも仕方がないかもしれない・・・。気性の激しいソルミにしては、その点は、非常に寛容に見えた・・・。
やっと手に入れた理想の男、ヒョンジュン・・・。
ソルミは、父親のように、仕事に追われた生活など、大嫌いだった。自分の人生の楽しみを捨てている・・・彼女はそう考えていた。
彼女の母は美しい植物画をいくつも残した。この部屋の壁や棚の上に、彼女の植物画がある。仕事に追われ、家族を省みなかった父に比べ、母は一日中絵を描いて過ごした。その後ろ姿は、優雅そのもので、自分もいつかああして暮らしたいと思った。でも、ソルミにはそうした芸術的センスがなかった。
それを補うのが自分のパートナーとなるべき人であり、芸術家の夫を持って、あの母のように、二人は日々を優雅に過ごす、これが彼女の考えた夢だった。
それは父親の生き方への反発だったかもしれないが、ソルミはそれを実行した。
アーティストと呼ばれる、目ぼしい男を片っ端から貪る。それは音楽家であったり、写真家であったり、シンガーであったり、ダンサーであったり・・・。
でも、どの男も究極はソルミの財力に魅力を感じて付き合うだけで、心底、自分だけを愛そうとはしてくれない。彼女の財力で立身出世を夢見る。
そして、実際の彼らは、ソルミの美貌に酔うより、自分の才能に酔っていた。彼らの心の中は、エゴイストで・・・ソルミを姫のように扱っても、真実は少しも彼女に傅いてなどいなかった。
これだけの美貌を持っているのに・・・なぜ・・・?
ある時、画廊で見かけた画家の小さな紹介写真に、ソルミはときめいた。ヒョンジュンは将来を嘱望された画家であるだけでなく、その姿も顔も美しかった。その写真に、ソルミは心を奪われた。そして、本物の彼はもっと素敵だった。他のアーティストに比べ、鼻持ちならないところはなかったし、ある意味、純粋だった。ソルミの財産など全く念頭にないように思えた。
一つ面倒なことと言えば、いつも近くに恋人らしき女がいたこと・・・。
でも、それもソルミにとっては、あのように愛されたいという雛形に過ぎなかった。
あの絵に描かれた女のように、自分も愛されたいと思った。
彼に肖像画を描いてもらい、バリ島まで連れ出したというのに、彼は、バリの生活を楽しんでいるだけで、自分を女として手に入れようと努力さえしない・・・。ソルミがやっとなんとか、ヒョンジュンを手に入れたかと思ったら、彼はその翌日、逃げるようにして、バリを去った。
シ:旦那様、お待たせ致しました。
ヒ:ありがとう。あ、つまみも用意してくれたの。(笑顔)いつも悪いですね。
シ:少し召し上がったほうがいいですよ。・・・あまり、外食ばかりでは体によくないですから。
ヒ:そうだね・・・でも、今は仕事が一番だから・・・。男には、そういう時期もあるでしょう?
シ:・・そうですね・・・。
ヒ:お休み。(笑顔で)
シ:お休みなさいませ・・・。
シンジャが部屋を出ていくと、読書用に置かれた小さな丸テーブルに腰掛け、缶ビールを開ける。
一口飲んで、ヒョンジュンは壁をじっと見た。
ついこの間まで、そこにミンスがいた。
ソルミの絵は裸体であることもあって、自分たちの2階の部屋に飾ってあった。
父親がそれを客に見せるのをマズイと言ったので、2階へ隠したが、見せたがりのソルミは友達を呼んではその絵を見せ、皆の驚嘆に、胸をときめかせている。
ヒョンジュンは一日に一回はこの部屋で、ミンスに会った。
ミンスはあの絵の中から、いつもヒョンジュンを見つめていた。
結婚を機にデザイナーに転身するように、ソルミの父親に言われた時は、その衝撃に心が震えた。
「実業家の一人娘と結婚するのに、画家では使い物にならん」 それが父親の言葉だった。
「もし、君が我がグループの中で、一つのブランドを成功させることができたら、君をソルミの夫として受け入れ、私も君を誇りに思うだろう・・・」 父親はそう言った。
挙式のあとだったので、ヒョンジュンの心は、大きく揺れた。
夜一人でここへ来て、ミンスの顔を見た。
おまえはどう思う・・・?
彼女がやさしく話しかけてきた。
「ヒョンジュン、画家を捨てるのね・・・。残念・・・。でも、大丈夫。あなたならできるわ。好きなものを描けばいいのよ・・・私はあなたを信じているから・・・。あなたならできるわ」
「好きなものって・・・おまえを描きたいだけだよ・・・」
「そう・・・今度は私の心ではなくて、私の姿を描けばいいのよ・・・簡単でしょ? 同じ私だもん・・・あなたの好きな私を描くだけよ」
「それでいいの?」
「それでいいのよ・・・」
デビューの前日も神経が尖って苦しくなった時、絵の前に立った。
「熱なんて出しちゃ駄目。私が介抱しに行くことはできないから・・・。大丈夫・・・もう準備万端・・・失敗するはずがないわ・・・。やるだけのことはやったわよ」
ヒョンジュンは、ミンスの言葉に励まされた。
ソルミの父親は初め、ヒョンジュンがここまでできるとは思ってもいなかった。
父親である会長が初めて、画家であるヒョンジュンを見た時に浮かんだインスピレーション・・・それが「デザイナー」だった。
彼にしてみれば、今まで「使えない」芸術家を漁っていた我儘娘のソルミが、家へ連れてきた中では、一番、扱いやすい男に見えた。
ソルミ、またはその夫は、彼の事業を継がなくてはならない。それには、家業を継げるだけに力量もなければならない・・・。しかし、ソルミにはそのような才能はなかった。となると、その夫こそ、自分の跡取りだ。
経営者、それはこの男には難しいかもしれないが、デザイナーというのはどうか。
アパレル会社の「顔」としては、悪くないのではないか・・・。もし、この男が「デザイン」などできなくても、形だけデザイナーということにして、グループ内のデザイナーを集めてチームを作り、そこで、ヒョンジュンという男を祭り上げて、作品を作っていけば、会社の「顔」というものが成り立っていく・・・。
この男の履歴はその「顔」にふさわしいし、本人も美しく、「顔」として、顧客の女たちの心を掴むに違いない・・・。
父親である会長はそんなことを考えた・・・。
ソルミの妊娠を聞いた時、まさにそれは使えるアイディアとなった。
ヒョンジュンという男の持つ柔らかさは、きっと女性の顧客受けするだろうと予想はしたが、それは的中。ふたを開けてみれば、ヒョンジュンという男は、デザイナーになるという提案を真面目に引き受けて、デザイン画をすぐに覚え、どんどんデザインを始めたではないか。それには、父親も会社の役員も驚いた。
その上、素材の勉強など、衣服につながることを多岐に学んでいく・・・。
彼は、まるで結婚生活より仕事をするためにやってきたようにも見えた。
ヒョンジュンは、今、ミンスがいなくなった壁を見つめて、ビールを飲む。
絵はなくなっても、そこにミンスの心は残っているような気がする。
会社のトルソーの中にもミンスがいて・・・。
離れてしまった今になって、ヒョンジュンの周りのあちらこちらにミンスは確実に存在し始めた。
今まで気がつかなかった朝食のコーヒーやトーストの中にも、ミンスはいる。
「アメリカン・・・」それだけで、ミンスは存在した。
「トーストにバターを多目に塗る」そんな仕草の中にも、ミンスはいた・・・。
会社で使っている、ヒョンジュンのお気に入りの、ジノリの無地のマグカップにも、ミンスはいた。
鉛筆を削るだけでも、ミンスはいた。
「先っちょは、このくらいでいいの?」 今は自分で削り、「そう、これでいいんだよ」 と心で答える。
別れたというのに、ミンスの存在感はどんどん広がっていくだけで、前よりも二人が言葉を交わすことが多くなってきていることがわかる。
一緒にいる時は、会っていない時は、あまりミンスは顔を出さなかったから・・・。今、家にも会社にもミンスがあふれていて・・・唯一、ソルミといる時間だけ、ミンスは静かに姿を消している・・・。
ミンスはマンションの窓から夜景を見ながら、考えている。
なぜ、ヒョンジュンは、「二人の恋」の絵を公表しようとしているのか・・・。
結婚してしまった彼がなぜ今、過去の自分との恋を明らかにするのか・・・。
少し前のヒョンジュンとは立場が違う・・・人気デザイナーの仲間入りを果たした彼の絵だもの・・・モデルがいったいどんな女か皆知りたいだろう・・・。
ああ、どうしたらいいの・・・?
・・・私には次の恋があるのかしら・・・。この絵を公表することは、私にとっていいことなの?
あなたも父親になるんでしょう・・・? 私への気遣いはなくなったの?
ミンスはどうしたらいいのか、わからない・・・。
まだ、同じ携帯番号を使っているの?
こんな時間に、女から電話をもらっても困るわね・・・。
どうしよう・・・。
ミンスは、携帯を開いて、ヒョンジュン番号を見ながらも、電話をしようか、悩んでいる。
そこへ携帯が鳴った。
ミンスはドキッとした。
ミ:もしもし?
ジ:元気?
ミ:・・・まあね。
ジ:これから、君を訪ねてもいい?
ミ:こんな時間に? 駄目よ・・・。
ジ:少しだけ・・・。
ミ:でも・・・。
ジ:ねえ・・・窓の下を見てよ。
ミ:え?
ミンスは身を乗り出して、窓の下を見た。
ジフンが立って、マンションを見上げている。
ミ:やだ・・・。
ジ:ちょっとだけ・・・ちょっとだけ会って・・・。
ミ:わかった・・・。下へ降りるわ・・・。待ってて。
ミンスがマンションのエントランスまで行くと、ジフンが手を振った。いつものジフンと少し違って、ちょっとしっとりとした感じだ。
ミ:どうしたの?
ジ:うん・・・。ちょっと飲まない?
ミ:コーヒー? お酒?
ジ:どっちでも・・・。(寂しそうに見つめている)
ミ:・・・いいわよ。
ミンスとジフンは連れ立って歩き出す。
ミ:どうしたの?
ジ:うん・・・。ちょっとねえ・・・僕の患者さんが、亡くなったから・・・。(パンツのポケットに手を入れ、寂しそうに俯く)
ミ:いくつ? まだ子供よね?
ジ:うん・・・11。ガンでね・・・。
ミ:そうだったんだ・・・。うちのお兄ちゃんと同じだ・・・。うちは12だったよ。
ジ:そうか・・・。寂しいよなあ・・・。
ミ:うん・・・。(ジフンの顔を見る) 慰めてほしいの?
ジ:誰かとさ、気持ちを分かち合いたいと思ってさ・・・。
ミ:・・・いいよ・・・。(ジフンを見つめる)
ジフンは控えめにミンスの顔を見る。そして、微笑んだ。
ジ:腕ぐらい、組ませて・・・。
ミ:図に乗った。(笑う)
ジ:いいだろ?
ミ:うん・・・。
ジ:(腕を組んで)あったかいなあ・・・やっぱり、人の温もりはいいよ。だろ?
ミ:・・・まあねえ・・・。(そっぽを向いて店を探す)
ジ:気のないやつ・・・。
ミ:ねえ、あそこで飲む?
ジ:酒? コーヒー?
ミ:両方ありよ。行こ!(引っ張る)
近くのカフェバーで二人は小さなテーブルを挟んで座る。
ジ:君に会ったら、少し気分が落ち着いたよ。
ミ:そうお?(コーヒーを飲む)
ジ:君は元気?
ミ:何が?
ジ:う~ん・・・。窓の下から見たらさ・・・ちょっと泣いてるようにも見えたから。
ミ:泣いてはいないわよ。
ジ:お兄さんに話してごらん。
ミ:やあだあ・・・。(笑う)
ジ:でも、なんかあったな・・・。
ミ:なんで気になるの?
ジ:だって、順番待ちしてるからさあ・・・。
ミ:・・・。
ジ:あのH(アッシュ)さんのこと?
ミ:うん・・・。
ジ:ふ~ん・・・。
ミ:ねえ・・・順番待ちなんて、しないで・・・。
ジ:いいじゃない・・・。見込みのない男を待つ女に並んでも・・・。
ミ:無駄よ・・・。(きつい目をする)
ジ:待つよ・・・。6年は。
ミ:6年?
ジ:あの人って、オレより6歳上だろ? だから、あの人の年まで待つ・・・。ミンスを待つ・・・。
ミ:時間の無駄使い、しないで。
ジ:それは君に言いたい・・・。(じっと見つめる)
ミ:・・・。
ジ:なんで辛い顔してたの?
ミ:(コーヒーカップの中を見ながら)・・・もうすぐ、パパになっちゃうから・・・。
ジ:・・・。
ミ:もうすぐ終わっちゃうから・・・。私の恋が・・・。(涙ぐむ)
ジ:・・・。
ミ:・・・バカみたいでしょ?
ジ:そんなことはないよ・・・。よくわかるよ。(じっと見る)
ミ:ホントはわからないくせに・・・。
ジ:わかるよ。
ミ:・・・。
ジ:うまくいかないね。オレは君が好きで、君はH(アッシュ)さんを好きで・・・。
ミ:・・・素敵な彼だったの・・・。
ジ:君を置いてきぼりにしてね・・・。
ミ:・・・。(ちょっと睨む)
ジ:ごめん・・・。でも、あの人、君とキスをしたんでしょ? 君と抱き合ったり・・・。
ミ:・・・。
ジ:・・・いいな・・・。(じっと見る)
ミ:話題変えよう。
ジ:でも、少し元気になった・・・。(微笑む) 君にヤキモチを妬くと、いつも元気になるんだ。
ミ:おかしな人。
ジ:(笑う)おかしいね・・・。送っていくよ。夜遅くにごめん・・・。
ミ:いいの・・・。私も元気になったから。(笑う)
二人は立ち上がった。
店を出ると、ミンスがジフンの腕に腕を通した。
ジ:いいの、腕組んで?
ミ:あなたっていい人よ・・・。最高の友達。キスもしてあげる。(軽く頬にキスする)
ジ:・・・。
ミ:素敵な友達だわ・・・。
ジ:来いよ。
ジフンがミンスの手を振り解いて肩を抱いた。
ジ:辛いなら、泣けよ。
ミ:・・・バカ・・・。(涙が出る)
ジ:もっと泣けよ・・・。
ミンスはハラハラと涙を流した。
ジ:我慢なんかするなよ・・・。
ジフンが肩を強く抱きしめる。
ミンスは悔しそうな顔をして、そっぽを向けながら、涙を流した・・・。
ジフンは初めて、ミンスの部屋に入った・・・。
ここ半年、二人はつかず離れずで、友人として付き合っている。ジフンはミンスを好きで・・・ミンスはジフンとはなんでも話せる友達になった。
ジ:へえ・・・。あの絵が問題の絵? ちょっと電気消して見てみようよ。
ミ:スタンドだけつける?
ジ:うん・・・。
ミンスはベッドサイドのスタンドをつけ、ヒョンジュンの絵にライトが当るように、置く。
そして、部屋の電気を消した。
ジ:いいねえ。
ジフンは窓際にあった、大きめなイスを絵の正面に置く。
ジ:座って見ない?
ジフンがイスに腰掛けて、ミンスを呼んだ。ミンスはジフンの座っている方を見た。
かつて、ヒョンジュンの部屋で窓際にあったイス・・・。
別れる時、この絵とこの「イス」をもらった・・・そして、彼のマグカップを失敬した。
月の夜に、この「イス」に座ったヒョンジュンの膝に乗り・・・二人は愛を交わした。
その思い出の品・・・。
「ここのものって捨てちゃうの?」
「たぶんね・・・」
「そうか・・・」
「・・・ごめんな・・・一緒に揃えたのに」
「うううん・・・もう仕方ないよ」
「じゃあ、絵は運送会社の人に頼んでちゃんと送るから。あの絵だけはおまえに持っていてほしい」
「うん・・・」
「ヒョンジュン・・・」
「何?」
「・・・このイス、もらってもいい?」
「・・・」
「使いやすいじゃない? こんな大きいのってなかなか見つからないし・・・もらっていい・・・?」
「・・・」
ヒョンジュンがミンスをじっと見つめた。ミンスもなんとか自分の気持ちに負けないように見つめ返した。
「・・・いいよ。おまえがほしいなら・・・」
「うん・・・ありがとう」
そう言って俯いたミンスをヒョンジュンが抱きしめた。ミンスのお尻をギュッと掴んで引き寄せるように・・・。
ミンスは、そんなヒョンジュンの抱き方に苦しくなって涙が出てしまう。
それなのに、ヒョンジュンはもっとミンスを引き寄せる・・・。
「・・・あ~ん・・・」
ミンスは辛そうに、ヒョンジュンを見上げた。
ヒョンジュンの顔が近づいて、ミンスにキスをした・・・。
今までで一番長いキス・・・情熱的で・・・悲しいくらい熱いキス。
これが最後のキス・・・。
ミンスは泣きながらも、ヒョンジュンとキスをする。彼の首に腕を回して、もうこれ以上、抱きしめられないくらい彼を抱きしめて・・・。
顔を離すと、ヒョンジュンがミンスの頭を抱くように、ミンスを胸に抱いた。
ヒョンジュンの胸が小刻みに揺れて・・・彼が泣いているのがわかった・・・。
ジフンは大きく股を開いて、ミンスのスペースを作り、ミンスが座るのを待っている。
ミンスは笑顔でジフンを見て、そこに前向きに腰を下ろした。
後ろから、ジフンがミンスを抱きしめて、二人は、絵を見る。
ジフンがミンスの肩に顔を乗せた。
ジ:うん、いい絵だ・・・。君が裸なのに・・・ちっとも欲情しないよ。(ミンスの顔の横で言う)
ミ:(笑う)やだ・・・。
ジ:情熱的なのに・・・なんでかな・・・。純粋だから?
ミ:・・・。
ジ:まるで、あの人が見ているようだね?
ミ:そう?
ジ:うん・・・。この絵は君であって、君じゃない・・・。あの目はあの人なんだ・・・。そして、毎日、ミンスを監視している・・・。
ミ:・・・あなたにも、そう見える?
ジ:うん・・・。
ミンスは絵をじっと見つめながら、涙がこぼれる・・・。
ミンスのウエストを抱いたジフンの手の甲に、ミンスの涙が落ちる・・・。ジフンはそのまま、涙など気にせず、ミンスに語りかける。
ジ:この絵がある限り、君はオレのものにはならないね・・・。あの人が見てるから・・・。
ミ:・・・どうして、この絵を公表しようとしていると思う・・・? これって、普通の絵じゃないでしょ?
ジ:・・・そうだね・・・。魂があるみたい・・・。愛があるんだ・・・。二人の・・・。
ミ:うん・・・。(また涙が落ちる) どう思う? この絵を公表してもいい?
ジ:君に任されているわけね?
ミ:そう・・・。
ジ:それは困ったね・・・。今はもう恋人ではない人に、そんなことを任せるなんて・・・。これからの君のことを考えてないのかな・・・。君が断りにくいの、知ってて・・・。君のことを考えていたら、この絵を世に出さないでしょ? それとも・・・君を手放す気はないっていうことなのかな・・・。彼はどうしようと思ってるんだろう・・・。
ミ:・・・・。
ジ:一つわかることは・・・・。
ミ:わかることは?
ジ:彼は、不幸だ・・・。
ミ:そう・・・?(涙が流れる) どうしてわかるの?
ジ:富も名声も得たのに・・・君を諦めないこと・・・。
ミ:・・・。(じっと絵を見つめる)
ジ:どんなに激しい恋だったとしても、人は結婚して富と名声を得れば、過去のことにするだろう? それに子供も生まれるなら、なおさら、そうじゃない?
ミ:男の人はそういうもの?
ジ:・・・君をどんなに思っていても・・・そうなったら、オレだったら諦めるよ・・・諦めるというより、心の中で愛していて、今の暮らしを大切に生きるな・・・。そういうもんじゃない? 人間て・・・。
ミ:・・・。
ジ:でも、彼はそれじゃ嫌なんだ・・・。なぜだろう・・・? 赤ん坊のために、君を諦めたのに・・・なぜだ?
ミ:なぜかしら・・・?
ジ:なぜ、結婚前の君の裸なんか発表するんだ・・・。ただのモデルじゃない君の・・・。スキャンダラスじゃないか。
ミ:・・・何が彼を苦しめているの?
ジ:何だろうね・・・。
二人は、じっと絵を見つめた。
深夜2時近くになって、ソルミが帰ってきた。
ヒョンジュンはチャイムの音に、ドアを開けた。
ヒ:お帰り。
ソ:ただいまあ・・・。(酔っている)
ヒ:(ソルミを支えている運転手に)あ、ありがとう。もう休んでください。
ソ:シンジャは? (目をとろんとさせて言う)
ヒ:寝かせたよ。
ソ:何よ、ダンナ様にこんなことさせて・・・。
ヒ:こんな時間まで悪いじゃないか・・・。
ソルミは、ヒョンジュンに掴まりながら、靴を脱ぐ。
ヒ:ずいぶん、遅かったね。
ソ:ちょっとねえ・・・。あなたに言いたいことがあったんだけど・・・なんか忘れちゃった・・・。
ソルミは酔って、まともに歩けない。ヒョンジュンが抱きかかえながら、歩く。
ソ:何だったかしら・・・。ものすごく大切なことだったような・・・。あなた、着替えもしてないの?
ヒ:まだ、やることがあるから・・・。
ソ:何? 仕事ばっかりね・・・あなたのやることって・・・。
ヒ:まずは、ベッドまで行こう・・・。
ソ:お父様は?
ヒ:先に帰られて、もうお休みだ・・・。
ソ:そう・・・。
ヒョンジュンは、ソルミを自分たちの2階の部屋のベッドまで、抱きかかえていく。服を脱がせ、ベッドに寝かしつけて、水を持ってきた。
ヒ:一杯飲んで寝たほうがいいよ。(コップを渡す)
ソ:サンキュ。ああ・・・。(ヒョンジュンを見る) まだ、寝ないの?
ヒ:・・・ああ・・・。
ソ:私とは、寝ないの?
ヒ:・・・。
ソ:・・・じゃあ先に寝るわね・・・ああ・・・。
ソルミはベッドで伸びをして、眠りについた。
ヒョンジュンは、ソルミの寝顔を見ながら、布団を肩までかけた。
この女も、自分は不幸にしたかもしれない・・・。
ヒョンジュンはパジャマに着替えて、自分のベッドに腰を下ろし、寝ているソルミを見た。
酒に酔いつぶれている妻・・・。
ヒョンジュンはすくっと立ち上がり、掛け布団を持って、一階へ降りていった。
リビングのソファで、横になって寝る。
ソルミを見ていると、あの部屋では安らかに眠ることができない・・・。
毎夜、酔っ払っている妻・・・。
そんな彼女にしてしまったのは・・・自分だから・・・。
朝になって、ヒョンジュンはシンジャに起こされた。
シ:ダンナ様。もうお起きにならないと・・・。
ヒ:あ、今何時ですか?
シ:6時半です。もう少しすると、大ダンナ様が起きていらっしゃいますよ。
ヒ:そうだね。ありがとう。
ヒョンジュンはだるそうに起き上がって、布団を持って2階へ上がる。シンジャは辛そうにそんな姿を見送った。
こんな朝がいつまで続くのだろう・・・。
朝のダイニングでは、父親が正面奥に座って、新聞を読んでいた。
ヒョンジュンはシャワーを浴びて、すっきりした面持ちで、朝の食卓に着く。
ヒ:おはようございます。
父:おはよう。また、ソルミは起きんのか。
ヒ:ええ、昨日は遅かったものですから・・・。
父:困ったやつだ。
シンジャが朝食を運ぶ。
父:どうだ、仕事のほうは。なかなか売り上げもよさそうだな。
ヒ;おかげさまで。
父:今は、何をやっているんだ。
ヒ:春の新作のデザインを。冬物もぼちぼち売れ出しています。
父:そうか・・・うむ・・・。ソウルデパートでのファッションショーは、春物か?
ヒ:ええ、でも、これから冬物のシーズンですし、まずは冬物を出して、春を後半に持ってこようかなと思っています。
父:うむ・・・。まあ、忙しいのもいいが、スタッフにも少し労いをしてやらないとな・・・こういう商売は、スタッフの気持ちを掴んでおくことが大事だ。
ヒ:はあ・・・。
父:何か・・・差し入れでもしておくか?
ヒ:・・・。
ヒョンジュンには検討もつかなかった。今までチームで仕事をするということがなかったから。でも、今は自分を支えるデザイナーやパタンナーたち、スタッフは大切だ。
「ねえ、ケーキでも差し入れする? きっと、皆も、たまにはそういうもの、ほしいわよ」
「そうかな?」
「うん・・・あなたも疲れると、ちょっと甘いものが食べたいでしょ?」
「うん・・・」
ヒ:(お茶を入れるシンジャに)シンジャさん、すみませんが、会社のほうに差し入れお願いできますか?
シ:え?
ヒ:ノートルダムのケーキを・・・35個。昼過ぎに届けるように手配してもらえます?
シ:いいですよ・・・35個ですね。
ヒ:ええ。
「名前はソルミさんからがいいわ・・・」
ヒ:ソルミからの差し入れということでお願いします。
「モンブランは確保しなさいよ」(笑う)
ヒ:それから、ケーキはいろいろ取り混ぜてでいいですが・・・モンブランは社長用って、但し書きを入れてもらうように。
シ:(笑う)かしこまりました。モンブランがお好きだったんですね。
ヒ:ええ。(笑う)
父:うん、それでいいだろう。35個か・・・。
ヒ:ええ。総務の人たちも皆一緒のほうがいいでしょう?
父:そうだな。あ、今度の経営全体会議にも君も出なさい。これから大きく伸びる会社だ。皆の話を聞いておいたほうがいい。
ヒ:はい。
ダイニングにソルミが入ってきた。
ソ:ヒョンジュン! あなたに話があるの!
父:どうした? 朝から。物々しいな。
ソ:お父様は黙っていて。昨日、話そうと思っていたのに、忘れてたから・・・。
父:じゃあ、私は行くよ。ヒョンジュンも遅れないように。
ヒ:はい。
父:ソルミ、仕事の邪魔にならないようにな。
ソ:お父様!(怒った顔をする)
父親はダイニングから立ち上がり、シンジャが父親の背広を持って、玄関へ送っていった。
ヒ:朝から何だい?
ヒョンジュンはダイニングに座ったまま、ソルミを見上げる。
ソルミがヒョンジュンの横に立った。
ソ:昨日、ゴルフ場でへんな人に会ったの。
ヒ:へんな人?
ソ:あなたの「生き別れの姉」とか言っちゃって。
ヒ:姉?
ソ:そんな人なんていないでしょ?
ヒ:・・・。どんな人だった?
ソ:まあ・・・キレイな人・・・。背が高くて・・・。30代後半かな・・・。
ヒ:目が大きい?
ソ:うん・・・。
ソ:知ってるの?
ヒ:・・・もちろん・・・。それで、なんて?
ソ:ゴルフ場のクラブ・ハウスの真ん中で声をかけてきて。それも、私のお友達がいる前で・・・。(口ごもる)
ヒ:なんて?
ソ:・・・赤ちゃんはどうされたの?って・・・。
ヒ:・・・それで、なんて答えたの?(じっと見る)
ソ:・・・。
へ:私、ヒョンジュンの生き別れの姉です。
ソ:お姉さんなんて聞いてませんけど・・・。
へ:そうですか・・・でも、ヒョンジュンに聞けばわかるわ。私のこと・・・。
ソ:・・・。
へ:ところで・・・弟は、あなたに赤ちゃんができて結婚したはずですけど・・・。
周りの友人が驚く。
ソ:そ、そんな話、どこから聞いたの?
へ:だって、あなた。お医者様の診断書を持ってらしたでしょ? それで弟は、結婚寸前のところを、浮気相手のあなたと結婚したんですよ。
ソ:そ、そんなあ・・・。(周りの友人の視線を感じる)そんなことはなくてよ。それは、それは何かも間違えだわ。ヒョンジュンと私は純粋に・・・。
へ:ではなぜ、婚約者が泣いたんでしょう・・・。なぜ、辛い別れをしたんでしょう・・・。
ソ:さあ・・・ヒョンジュンが私に魅力を感じたからじゃないの?
へ:あんなに愛してたのに・・・。
周りの友人が顔を見合わせる。
へ:あなたも個展であの絵を見たでしょ? ああ、あの絵を買って・・・ヒョンジュンに、手を出したんだったわ・・・。そうね?
ソ:言いがかりをつけないで。私たちのこともよくわからなくて、何をおっしゃるの?
へ:あなたのことを知らないだけです・・・ヒョンジュンについても、あの子の恋人についても、私はよく知っていますよ。
ソ:・・・。
へ:よくわかりました・・・。このことは、あの子の婚約者だった人に伝えます。
ソ:・・・。
へ:あなたが騙して、ヒョンジュンを手に入れたことをね。
ソ:・・・ひどいわ・・・。
へ:ヒョンジュンを幸せにしてください。あなたのお金で・・・。
ソ:なんですって!
へ:失礼!
ヘスは、怒りに震えるソルミを置いて帰っていった。
ソ:赤ちゃんのことは、あなたとご両親しか知らないはずなのに・・・。
ヒ:・・・生き別れの姉だからね・・・家族は皆知ってるさ・・・。
ソ:でも、なんであんな人前で・・・。
ヒ:恥をかかされた?(じっと見つめる)
ソ:・・・。
ヒ:でも、真実なら仕方ないじゃない・・・。うそはいつかバレるよ。
ソ:恨んでいるの?
ヒ:君のこと?
ソ:・・ええ・・・。(見つめる)
ヒ:どうかな・・・。でも、感謝もしてるよ。これだけの仕事をさせてもらって・・・。この仕事は僕に合っているように思うし・・・。経営にも参加させてもらってるし。それで、十分だ・・・。婿としては、よくやってるだろ?
ソ:ヒョンジュン・・・。(ヒョンジュンに懇願するように見つめる) 私・・・ホントにあなたの子がほしいの・・・。だって、そうすれば、私たち円満でしょ? 仕事もうまくいっているし・・・あとは家庭だけ・・・。それもうまくいくわ・・・。
座っているヒョンジュンがソルミのお腹をやさしく撫でる。
ヒ:ホントに、ここに赤ちゃんがいればよかったね・・・。僕は君に悲しい思いをさせたくなかった・・・。
ソルミのお腹をやさしく撫でていた手がずっと下に下がる。ソルミは少しポッとした顔をする。
ヒ:(手を離して)でも、駄目だ。今は子供を作る時じゃない。
ソ:なぜ?(驚く)
ヒ:会社をもっと軌道に乗せなくちゃ。会長も期待してくれてるし。
ソ:ヒョンジュン、あなたが躍起にならなくても、うちは大丈夫よ。(笑う)
ヒ:僕がしたいんだ。・・・それに・・・。赤ちゃんなら、他でも作れるだろ? 僕に拘ることはないよ。
ソ:・・・。(驚く)
ヒ:じゃあ、出かけるよ。
凍りついたソルミを置いて、ヒョンジュンは席を立った。
ダイニングを出ようとしたところを、お手伝いのシンジャが立っていて、ヒョンジュンの顔を見上げる。
ヒ:ケーキの件はよろしくお願いします。ソルミの名前で差し入れしてくださいね。
シ:か、かしこまりました・・・。(緊張する)
ヒ:では、行ってきます。
シ:行ってらっしゃいませ。(頭を下げる)
ソルミは凍りついたまま、ダイニングに佇んだ。
7部へ続く