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創作を書いたり読んだりと思い思いの時をネット内でゆったりと過ごしています。

 「恋の病2」1部 2007.5

2015-09-22


以前連載した「恋の病」とは、主人公・内容等、全く別物です。
主人公の「JJ」は前回の「J」ではありません。
その点をご承知おきください。



では!

ここより本編。
お楽しみください。








今日、私は42歳の誕生日を迎えた。

だからといって、別段、なんてことはなかった。
いつもと全く変わらない。
いつもと違ったことといえば、決算期で残業したこと・・・。
誰も「誕生日だからお帰り」とは言わない・・・。
まあ、誰も誕生日だなんて知らないのだけれど・・・。




人は、
こんな私を見て、
なんと思うだろう

心に空いていた穴に
ぴったりと嵌ったような恋心


恋をすることも
すっかり忘れていたのに


でも・・・

この胸のざわめき

あの人を抱きしめたいと思う気持ち

あの人が触れる女の指を憎らしいと思うジェラシー


これは分析せずともわかる

恋だ


バカげた恋だといわれても

今の私を止めることはできない・・・







ペ・ヨンジュン主演
「恋の病2」1






残業をして、会社からの帰り道。
暗い通りを歩くのが嫌で、私は、駅までの近道でもある「飲み屋横丁」を歩いた。普段の私は、そこを6時前に通るので、それほどの喧騒もなく、整然とした様子の通りを通っていた。
今日は、午後11時も回って、飲み屋横丁にはヨッパイがあふれ、女が笑い、いつもとすっかり違った様相を呈している。
私は、そんな通りを、ちょっとうつむき加減に、目立たないように歩いた。それなのに、学生のような男に捕まった。


「ちょっとお姉さんさ。おばちゃんかな? おばちゃんさ。あんた、生きてて楽しい? おばちゃんしてて楽しい?」
「・・・」

学生は酔っている。


「よう。答えろよ」
「・・・」
「なんか言えよ。おい、ババア」
「・・・!」

この男を避けて通ろうとしても、男が前に立ちはだかる。私は一歩も進めない。


「よう、なんか言えよ!」
「・・・」
「ちょっと」

通りかかった男が私の腕を掴んだ。


「何だよう。オレがこのおばちゃんに話してんだよ」
「オレの連れだ」
「・・・」
「なんか文句があるのか」
「・・・いえ・・・」

サングラスをしたその男が私の腕を引っ張って、学生のような男を睨みつけた。
学生は仲間に引っ張られ、また飲み屋の中へ戻っていった。


「すみません」
「いいんですよ。こんな時間に、女の人がここを一人で歩くのはよくない」
「ええ」

「どこまで行くんです?」
「駅まで。今日は遅くまで残業で・・・暗い道を通りたくなくてここを通ったけど・・・失敗だったかな」
「まあ、変なのがいますからね。駅前まで送っていきますよ」
「でも、悪いです・・・」
「その近くまで行くから」
「そうですか? すみません」


背の高いその男は、年の頃は、30前半であろうか。
カーキ色のトレンチコートを着て、私の真横を歩いている。


「本当にすみません。いつもはもっと帰りが早いんですけど・・・今は、決算期でこんなに遅くなってしまって」
「そうですか」
「あなたは?」
「僕?」
「ええ・・・。あ、ごめんなさい。初めてお会いした方にいろいろ聞いちゃって・・・私、しゃべりすぎました」
「いいんですよ。今日はちょっと用があって。普段はここの駅は使ってないんだ」
「そうなんですか。でも、助かりました」
「もうすぐ駅ですね」
「ええ」




地下鉄の入り口で、男は立ち止まった。


「じゃあここで」
「お乗りにならないんですか?」
「僕はこの先に用があるので、ここで」
「どうもありがとうございました」

伏し目がちに見ていた男を、私は最後に見上げた。


男の端正な横顔が目に入った。私の視線に男は気がついたのか、振り返って、私を見た。
彼はサングラスをしていたので、その視線の確かな先はわからなかったが、たぶん、私に笑顔をくれたのだと思う。

男はにっこりと笑った。






帰りの地下鉄の中で、男の顔が頭に浮かんだ。
最後に笑った顔がスローモーションのように蘇った。

私は、少し顔を赤らめた。
一瞬の出来事だったはずの男の顔をしっかり覚えている。

私はちょっと微笑んで、窓ガラスに映った自分の姿を見た。
あの男とは不釣合いな老けた女。

それが私だった。

これが今の私の姿。


隣に立って、ガムを噛みながら、付け爪をいじっている軽い感じの女のほうがまだ、あの男に似合っているように思う。
私は、自分の少し疲れた、そして、年寄りじみた顔にうんざりした。







それから、2週間経って、あれもいい思い出のように思われた頃、私は会社から3つ目の駅に降り立った。
そこには、叔母の家があり、今日はその叔母の所へ遊びにいくことになっていた。
私の両親は、私が23歳で結婚してからすぐに交通事故で他界してしまった。その後は、この叔母が一人っ子の私にとっては、親代わりであり、姉代わりでもあった。叔母と私は、15しか年が離れていないので、子供が独立して一人になった叔母は、今では私よりも溌剌とした人生を送っている。

結婚してたった2年で離婚したのも、この叔母のアドバイスに背中を押されたからだ。

夫は酒乱で、私は夜になると、気が休まることがなかった。断酒すると、誓いながらも、夜がくれば、狂ったように酒を探した。一杯入ってしまえば、夫は私を呪うような言葉ばかり吐き出した。

当時、両親を亡くしたばかりの私は、夫に頼るしかなかった。なのに・・・夫は、私が天涯孤独になり、自分を頼って暮らすことを罵った。そして、朝になれば、また彼は元のやさしい夫に戻り、「君のご両親の墓は僕が立てるよ」と言った。見合い結婚だったからか。彼には真の愛情がなかった。もうなんの後ろ盾もない私は、彼にとってはお荷物でしかなかった。
本来なら、彼の愛で癒されたかった時期だったのに。


こんな日々が続く中で、私は生きていくことに嫌気が差した。

何で、あの人の心が揺れる度に、私まで傷つくのか・・・。
酒乱は、時に人の体まで傷つける・・・。


二年我慢したところで、私は初めて、叔母に相談した。

彼女は即答で、きっぱり「別れなさい」と言った。「あなたの人生はまだ始まったばかりよ」と・・・。


それから、もう20年近く経ち、私の人生に花のような時間は流れただろうか・・・。
ただただ、会社と家の往復で、心だけが疲れ、癒される間もなく、週が明け、暮れていく・・・。


今日も叔母の家へ遊びにいく。
それがたった一つの楽しみだ。






駅前の花屋に、かわいい苗木があったので、私はそれを手土産に買おうと、花の苗を覗き込んだ。
花屋の中から、人が出てきて、私をじっと見ているのにも気がつかなかった。


「この間はちゃんと帰れましたか?」
「え?」

私は声のする方向を見上げた。その声には聞き覚えがあり、その深い声の持ち主と言えば・・・そうだ。あの時の男だ。男は今日もサングラスをかけていた。


「あ、あの時の。すみません。私、あなたをちゃんと見たのが最後の瞬間だけだったから」
「そうですか。僕からはあなたはよく見えた」


そういって、男は笑った。

男の視線が私の髪にいった。
あの次の日、どういうわけか、今まで放ったらかしにしてきた白髪を栗色に染めた。大して目立ってはいなかったが、なぜか、翌日、美容院の前を通りかかると、私の体は吸い込まれる美容院の中へ入っていった。


「今日はお休みなの?」

男が聞いた。

「ええ。土日はお休み」
「それで。普段着のほうがあなたらしい・・・。若々しく見えますよ」
「・・・ありがとう」

「よかったら、僕の店でコーヒーでもいかがですか?」

「喫茶店をやっているんですか?」
「いえ。実はバーだけど・・・日の出ているうちは、コーヒー店なんですよ」
「そうですか・・・どうしようかな・・・」
「無理ならいいんです」

「いえ、お邪魔じゃなかったら、いいですか?」
「ええ」


男の笑顔は輝いていた。緑が爽やかな季節に相応しい笑顔。
風が吹いて、彼の髪がなびいた。

私の目は彼に釘付けになった。

男の髪がキラキラと輝きながら揺れている・・・。

今までだったら、臆病な私は、男に声をかけられてもついていくなんてことはなかったのに。



私と男は歩き始めた。男の真横に、私も並ぶ。



男の手には、バラの花束があった。


「バラが好きなんですか?」
「う~ん。まあね。これはもう賞味期限切れの花です」

男は笑った。


「あの店ではね、盛りを過ぎた花を安く売るんですよ。それで、いつも仕入れる・・・」
「何のために?」
「最終的には、店の洗面所に置くポプリにする・・・」
「へえ・・・」

「なあに?」
「え? 男の人なのに、なんかおしゃれというか、気が利いているというか」
「そう? 女性客はそういうところに心を惹かれるでしょ? それに、酔っ払いのニオイが充満しているトイレは嫌いなんだ」
「そう・・・ふ~ん」

「あなたはそんなこと、考えない?」
「う~ん・・・私ってあんまり考えなく生きてきたのかな・・・見習わないと」

私はそういって笑った。男も私を見て、控えめに笑った。

今日の初夏のような日差しがそうさせるのか、心がとても開放的になる。



「あ!」
「何?」
「うううん、大したことじゃないの・・・。今、前の子が転びそうになったから」
「うん・・・」

「でも、大丈夫ね。お母さんがついてるもん・・・。私って心配性・・・それに、臆病」
「そうなの?」
「ええ・・・」

「でも、来てくれるんだね?」
「ああ・・・そうね・・・なぜかしら・・・」

「そこの通りを渡るとすぐ。あのビルの2階」
「ああ、あそこ・・・」




狭いビルの細い階段を登る。


「ここは狭いから・・・酔っ払いは危ない」
「ホントね」
「参ったなあ。ちょっと謙遜していったのに」
「あ、ごめんなさい」


「待って。鍵を開けるから」


彼が花束を小脇に抱えた。

「持つわ」
「あ、ありがとう。・・・開いた。どうぞ」


男があめ色をした木のドアを開けた。


「ちょっと薄暗いけど。今、窓を開けるから」


私は彼の後について中へ入る。


そこはまるで、イギリスのパブのような、あめ色の木の世界だ。


「どう? 明るくなったでしょ」
「ええ。なんか・・・なんともいえない世界ね」
「そう? 気に入った?」
「ええ・・・」
「カウンターのほうへおいで」
「ええ・・・」


私は彼に促されるように、カウンターの席に着いた。


「待ってね。これから開店準備だから。君に本日一番のコーヒーを入れてあげるよ」
「・・・ありがとう」


彼はカウンターの中で、開店の準備をしている。壁の要所要所に、ドライフラワーがかかっている。


彼はさっき買った花束をまた縛りなおして、壁に下げた。


「う~ん。ブレンドでいいかな?」
「ええ」


「ハーブも育ててるの?」

私はカウンターの上に並んでいる小さな鉢の中のハーブを触った。


「うん。ちょっと飾るのにね・・・たとえば、ミントをティーやアルコールに添える。それだけでもいい感じだろ? まあ、いろいろアレンジできて、便利だよ。それに、ポプリにも入れるから」
「へえ・・・なんか繊細」

私は、ミントの葉を触って笑った。



「お腹空いてる?」
「うううん。まだ」
「そう・・・でも、僕は食べたいから、君も一緒に食べて」
「・・・」

「あと一時間したら開店時間だから・・・。一緒に食べて」


男はそういって、サングラスを外して、エプロンを腰に巻きつけた。


男がサンドイッチを作り始めた。
私は、男の顔をじっと見つめる。


「どうした? オレの顔に何かついてる?」
「え? うううん・・・別に・・・。なんかついてきて、コーヒーとサンドイッチをご馳走になるなんて、いいのかな・・・」
「いいよお。一人で食べたくなかっただけだから」
「そうなのお?」

私がそう言って笑うと、彼は手元から、私の顔に視線を移した。

私は・・・急に胸が痛くなった・・・。
男の視線があまりに強かったから・・・。


「だから、付き合って」
「ええ・・・」


「さ、召し上がれ。お手拭きもいるだろ」

そういって、サンドイッチの皿と、お手拭きをカウンター越しに出した。その時も、私をしっかりと見据えた。


「あ、ありがとう」
「どうした? 緊張してるの?」
「・・・」

「別に、意識しなくていいよ。食べて」
「ええ・・・」


男はマグカップに入れたコーヒーを飲みながら、私を見つめた。
私は喉を詰まらせながら、サンドイッチを頬張った。


「うん・・・。その髪の色、いいよ」
「・・・そう・・・ありがとう」
「うん・・・」


男はそういって、自分もサンドイッチを食べ始めた。



ここに来て、いくらも経っていないというのに、彼と私の関係が妙に近くなったような気がする。
それは気のせいだろうか・・・。

こんな年下の・・・たぶん、5歳以上10近く違う彼が、まるで、年上のように振舞っている・・・。
でも、それが、私には心地よい・・・。


この不思議な空間・・・。


「コーヒーのお代わりいる?」
「え?」


私が緊張していると、男がコーヒーを注いだ。


「ありがとう」

そういって、カップを受け取る。


そのコーヒーを見つめていると、私の携帯が鳴った。


「あ、いけない・・・。ちょっとごめんなさい・・・」


私は携帯に出て、小声で話す。


「あ、お姉さん。ごめんなさい・・・。うん。道草・・・。そうね、あと1時間はかからないわ・・・。ごめん。じゃあまた後で。うん? 夕飯? もちろん、食べていく」

そういって、私は電話を切った。


「お姉さん?」

男はコーヒーを飲みながら、私をじっと見据えた。


「ホントは、叔母。でも、15しか年が違わないから、昔から仲良しで」
「用があったんだ」
「というか、叔母の家へ遊びにいく途中だったの。ここは叔母のところだから・・・。でもいいのよ。いつも行ってるから。気にしないで」

「そう・・・君はどこに住んでるの?」
「私? 私は、会社のある駅から反対方向に2つ目。ここからだと地下鉄で5つ目」
「ふ~ん。15分くらい?」
「そうね・・・」


「あ、ご馳走様」
「お粗末様」

そういって、男はまた見つめた。


「もうそろそろ行くわ」
「ご相伴、ありがとう」
「どういたしまして」

「また、おいで。叔母さんのところへ来たら」
「・・・ええ・・・」

「今日は・・・帰りが遅いの?」
「え?」

「さっき、そういってたから・・・」
「ああ、叔母のところで、夕飯食べるから」
「そう・・・」

「あ、きっと泊まってく。よく泊まるの」
「君って、一人なんだ・・・」

「ええ・・・」

「そう・・・」

「私、もう行くわ」

「よかったら、夜、叔母さんと飲みにきたら? 土曜の夜、ちょっと酒場で飲むのもいいよ」
「・・・叔母がいいって言ったらね・・・」
「・・・うん」

男が軽く頷いて、笑った。


「さ、こっちも看板出す時間かな」
「ところで、なんていうお店。看板も見ないで入っちゃった。お世話になったくせに、やだわ」

私は笑った。
男がカウンターから出てきて、私に店の名刺を渡した。


「よかったら、どうぞ」

男が間近で私を見下ろした。男の熱が伝わってきた。


「ありがとう・・・。『ドリアン』?」
「そう」
「『ドリアン・グレイ』?」
「?」
「オスカー・ワイルドの?」
「うううん」

「あ、違うの? そ。なんか、あなたを見てそう思ったわ」
「なぜ?」

「え?」


あなたがキレイだから・・・。


「なんとなくよ」
「ふん」

男は笑って、私の目をじっと見た。


「これは、ただの果物さ。知ってる? ドリアン」
「ああ、あのちょっと臭いやつね」
「でも、食べると、うまいだろ?」
「そ、そうね・・・」


男が間近で見下ろしている。
・・・食べると、うまいよ・・・って。


「そんな感じね」
「へえ・・・」

「あ、もう行くわ」
「どうも」


私がドアを開けようとすると、男の胸が私の肩に触れた。

「開けてやるよ」
「・・・ありがと」

「そうだ。名前は?」
「・・・ユナ」
「ユナ・・・」
「そう、ユナ・・・あなたは?」
「JJ・・・皆そう呼ぶ」
「JJ・・・」
「そう、JJ」

一瞬、二人は黙って見つめ合った。彼の目が私の唇を見た。


「じゃあ・・・」


私がドアから出ると、彼が私に言った。


「1時看板だから。それまでにおいで」



私は振り返り、彼を見つめた。









2部へ続く・・・