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横浜市鶴見区社会福祉協議会の
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 詩篇27

2024-11-28

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
これもダビデの詩とされています。
「主はわたしの光、わたしの救だ、わたしはだれを恐れよう。主はわたしの命のとりでだ。わたしはだれをおじ恐れよう。」(1節)
神はダビデにとって物事を見れるようにしてくれる光の元であり救いをしてくれます。砦のように守ってくれるので恐れることはありません。
「たとい軍勢が陣営を張って、わたしを攻めても、わたしの心は恐れない。たといいくさが起って、わたしを攻めても、なおわたしはみずから頼むところがある。」(3節)
戦争になって軍隊が陣営を張るのが見えて攻められても恐れません。なぜなら神が守ってくれるからです。
「わたしは一つの事を主に願った、わたしはそれを求める。わたしの生きるかぎり、主の家に住んで、主のうるわしきを見、その宮で尋ねきわめることを。」(4節)
生きている限り、神の家に住んで、麗しい神を見て、そこで神の教えをことごとく極めることを望みます。
「それは主が悩みの日に、その仮屋のうちにわたしを潜ませ、その幕屋の奥にわたしを隠し、岩の上にわたしを高く置かれるからである。」(5節)
かつてダビデはサウル王の不興を買い、責めるべきところがないのに逃亡の日々を過ごしました。その間、神はダビデを隠し守ったと言います。そして岩の上に高く置かれたのも(王位に就く)神のおかげだと認識しています。
「主よ、わたしが声をあげて呼ばわるとき、聞いて、わたしをあわれみ、わたしに答えてください。あなたは仰せられました、『わが顔をたずね求めよ』と。あなたにむかって、わたしの心は言います、『主よ、わたしはみ顔をたずね求めます』と。」(7,8節)
わが顔をたずね求めよ、というのは神様に祈りによって願いを伝えることです。それに対して神は憐れみを感じて答えを出してくださいます。
「み顔をわたしに隠さないでください。怒ってあなたのしもべを退けないでください。あなたはわたしの助けです。わが救の神よ、わたしを追い出し、わたしを捨てないでください。」(9節)
御顔を隠さないでほしいと願うのは、こちらとしては神を仰ぎ見て願い事を言っているのに、注意を向けていないような態度はとらないでほしいということです。神から追い出され捨てられないよう祈ったのでしょう。悲痛な叫びのような祈りです。
「主よ、あなたの道をわたしに教え、わたしのあだのゆえに、わたしを平らかな道に導いてください。」(11節)
敵がいても平安が得られるように、真理の道を教えてもらうことを願います。
神をたずね求めるのは、神の道、真理の道を教えてもらう祈りです。