詩篇28
2024-11-29

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
ダビデの歌とされています。
「主よ、わたしはあなたにむかって呼ばわります。わが岩よ、わたしにむかって/耳しいとならないでください。もしあなたが黙っておられるならば、おそらく、わたしは墓に下る者と等しくなるでしょう。」(1節)
大きな岩は安定した立場のことでしょう。神に対して耳が聞こえないことがないように、言葉を発してもらうことを願います。そうでなければ死人と同じだと感じます。
「わたしがあなたにむかって助けを求め、あなたの至聖所にむかって手をあげるとき、わたしの願いの声を聞いてください。」(2節)
至聖所は神殿の奥の部屋で神の臨在を示す契約の箱がありました。そこに向かって手を挙げるのは、物乞いをするように手のひらを天に向かって広げる行動です。
「悪しき者および悪を行う者らと共に/わたしを引き行かないでください。彼らはその隣り人とむつまじく語るけれども、その心には害悪をいだく者です。」(3節)
悪人と共に処罰しないで欲しいと願います。彼らは隣人と仲良く話していますが、心は害悪で満ちています。つまり偽善者です。
「どうぞ、そのわざにしたがい、その悪しき行いにしたがって彼らに報い、その手のわざにしたがって彼らに報い、その受くべき罰を彼らに与えてください。」(4節)
いつの時代にも悪人はいるようです。それで自分で仕返しをするのではなく、神が処罰することを望んでいます。
「主はわが力、わが盾。わたしの心は主に寄り頼む。わたしは助けを得たので、わたしの心は大いに喜び、歌をもって主をほめたたえる。」(7節)
神がダビデに力を注いでくれたようです。そして盾となって敵の攻撃を防いでくれます。神の助けを実感して、歌で神を誉め称えます。
「主はその民の力、その油そそがれた者の救のとりでである。」(8節)
ダビデだけでなくイスラエル国民にとっても力となってくれる神であることを伝えます。油注がれた者は、キリストともとれますが、素直に油そそがれたダビデにとって、救いの砦がヤハウェ神だということでしょう。
「どうぞ、あなたの民を救い、あなたの嗣業を恵み、彼らの牧者となって、とこしえに彼らをいだき導いてください。」(9節)
ここで、国民に対しても救いを施し、神から与えられた仕事に恵みをもたらせて欲しいと願います。国民に対しても牧者のようになってイスラエル国民を永遠に導いて欲しいと願います。
ダビデはイスラエルの国王でしたが、自分のこともそうですが、国民に対しても神の救いを得るように願っていました。国民思いの王だったのです。