詩篇29
2024-12-02

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
「神の子らよ、主に帰せよ、栄光と力とを主に帰せよ。み名の栄光を主に帰せよ、聖なる装いをもって主を拝め。」(1,2節)
神の子はイエス・キリストや天使たちと言えますが、さらに拡大して神から命をいただいた人間も含められるでしょう。神の栄光と力はすべて神に帰属することを言います。神を拝むには聖なる装いが必要なようですが、もしかしたら神聖さをもって拝むということかもしれません。
「主のみ声は水の上にあり、栄光の神は雷をとどろかせ、主は大水の上におられる。」(3節)
神は雲の上から雷を轟かせます。それによって敵を驚かせることがあったのです。サムエル第一7章10節に「主はその日、大いなる雷をペリシテびとの上にとどろかせて」とあるのです。
「主のみ声は香柏を折り砕き、主はレバノンの香柏を折り砕かれる。」(5節)
香伯は檜のことです。神の御声である雷鳴でヒノキが折れたのでしょう。
「主はレバノンを子牛のように踊らせ、シリオンを若い野牛のように踊らされる。」(6節)
これは神が地震によってレバノンの山々やシリオン(ヘルモン山)を、踊るように動かすのでしょう。
「主のみ声は炎をひらめかす。」(7節)稲妻は激しい炎のようでしょう。
「主のみ声は荒野を震わせ、主はカデシの荒野を震わされる。」(8節)
神は荒野やカデシ地方を御声で震わせます。これは広い地域で地震を起こせる力があるということでしょう。また、その言葉に強い力があることなのでしょう。
「主のみ声はかしの木を巻きあげ、また林を裸にする。その宮で、すべてのものは呼ばわって言う、『栄光』と。」(9節)
神の御声の力で樫の木も吹き飛ばされ、林も丸裸にできるのです。神の宮殿にいる者は限られていると思いますが、神の栄光を称えているようです。
「主は洪水の上に座し、主はみくらに座して、とこしえに王であらせられる。」(10節)
かつて地球は大洪水で滅びを経験しました。そのような水の力を制御しているのも神であり、御座につかれています。そこで、神であり永遠の王であることを示します。
「主はその民に力を与え、平安をもってその民を祝福されるであろう。」(11節)
そのような偉大な力をお持ちの神ですが、ご自身が選ばれた国民に対しても力付けてくれるのです。そして、平安をもって国民を祝福してくれるのです。
29篇は自然にみられる雷鳴が、神の声に近いように記述しています。特に神の力を強調しているので、ふさわしい比喩だと思います。1世紀にも神は声を発しました。「そして雲の中から声がした、『これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け』」(マタイ17:1)この時の神の声は威厳はあっても恐ろしさはなかったでしょう。