詩篇30
2024-12-03

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
これは、ダビデが宮をささげるときの歌とされています。
「主よ、わたしはあなたをあがめます。あなたはわたしを引きあげ、敵がわたしの事によって喜ぶのを、ゆるされなかったからです。」(1節)
ダビデは実際に神殿は建造しませんでした。その息子であるソロモンが神殿を建てたのです。しかし、ソロモンのためにダビデは多くの資材、財宝を用意しました。そのときの詩なのでしょう。
「わが神、主よ、わたしがあなたにむかって助けを叫び求めると、あなたはわたしをいやしてくださいました。」(2節)
神が主であることを示しています。原文では「わが神ヤハウェよ」のようです。
「主よ、あなたはわたしの魂を陰府からひきあげ、墓に下る者のうちから、わたしを生き返らせてくださいました。」(3節)
イエス・キリストの復活のことを預言していました。陰府は死者がいくところで墓の意味もありました。
「その怒りはただつかのまで、その恵みはいのちのかぎり長いからである。夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る。」(5節)
ダビデは何度か神からの叱責を受けています。それはダビデが神から見てふさわしくないことをしたからで、神の怒りは束の間です。反対に神の恵みは命のある限り長いことを言います。
「主よ、あなたは恵みをもって、わたしをゆるがない山のように堅くされました。あなたがみ顔をかくされたので、わたしはおじ惑いました。」(7節)
ダビデの王権は確立されていました。ゆるがない山のようにです。しかしダビデは高ぶってイスラエル国民の人数を数えることをして、神から災いを受けます。ダビデにとっては神が御顔を隠されたように感じたのでしょう。
「『わたしが墓に下るならば、わたしの死になんの益があるでしょうか。ちりはあなたをほめたたえるでしょうか。あなたのまことをのべ伝えるでしょうか。主よ、聞いてください、わたしをあわれんでください。主よ、わたしの助けとなってください』と。」(9,10節)
ダビデは死ぬと塵になり、話すことも祈ることもできないことを知っていました。
「あなたはわたしのために、嘆きを踊りにかえ、荒布を解き、喜びをわたしの帯とされました。」(11節)ダビデの人生は波乱万丈でした。その感情を歌にしたのでしょう。神は嘆くことや荒布を巻く(悲しみを表す)ことから、踊りや喜びに変えてくれます。
「これはわたしの魂があなたをほめたたえて、口をつぐむことのないためです。わが神、主よ、わたしはとこしえにあなたに感謝します。」(12節)
ダビデの結論は、永遠に神に感謝することでした。