詩篇40
2024-12-14

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
「わたしは耐え忍んで主を待ち望んだ。主は耳を傾けて、わたしの叫びを聞かれた。」(1節)
ダビデは叫ぶようにして神に祈ったのでしょう。忍耐が必要ですが祈りは聞かれました。
「主はわたしを滅びの穴から、泥の沼から引きあげて、わたしの足を岩の上におき、わたしの歩みをたしかにされた。」(2節)
滅びの穴は墓のことです。泥の沼は不安定で抜け出せない状態です。そのような場所から神は固く地盤のしっかりした場所に移してくださいます。
「主をおのが頼みとする人、高ぶる者にたよらず、偽りの神に迷う者にたよらない人はさいわいである。」(4節)
ここでも幸いな者が、高慢な者や偽りの神に頼らない、真の神に頼る者と明言します。
「わが神、主よ、あなたのくすしきみわざと、われらを思うみおもいとは多くて、くらべうるものはない。わたしはこれを語り述べようとしても/多くて数えることはできない。」(5節)
ヤハウェ神の行われた奇跡や人間に対する慈しみは、余りに多くて比較できるものがなく、数限りなくあると言っています。
「あなたはいけにえと供え物とを喜ばれない。『見よ、わたしはまいります。書の巻に、わたしのためにしるされています。わが神よ、わたしはみこころを行うことを喜びます。あなたのおきてはわたしの心のうちにあります』と。」(6~8節)
これはイエス・キリストの言葉になっています。「あなた方は、『私が望むのは憐れみであって、犠牲ではない』ということの意味を理解していたなら、罪のない人を断罪したりはしなかったでしょう。」(マタイ7:12)とあるように、神が望むのはいけにえや供え物よりも憐みなのです。そしてイエスは神の御心を行うことを喜びました。神のご意思を自分の中に持っていました。「あなたの望まれることが、天と同じように地上でも行われますように。」(マタイ6:10)と祈るようにと言われました。神が命じたことをイエスは地上で完全に行ったのです。
「わたしはあなたの救を心のうちに隠しおかず、あなたのまことと救とを告げ示しました。わたしはあなたのいつくしみとまこととを/大いなる集会に隠しませんでした。」(10節)
これもイエスの活動になっています。イスラエルの各地を徒歩で巡り、会堂でも道端でも伝道をしました。
「わたしは貧しく、かつ乏しい。しかし主はわたしをかえりみられます。あなたはわが助け、わが救主です。わが神よ、ためらわないでください。」(17節)
物質的な意味ではなく、霊的に乏しいと感じていたのでしょう。ダビデは神様こそ、自分の助け手、救い主と知っていました。霊性が乏しいと感じたら、神に祈って助けてもらうのが一番良い方法だということです。