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横浜市鶴見区社会福祉協議会の
団体交流室

 詩篇41

2024-12-16

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
「貧しい者をかえりみる人はさいわいである。主はそのような人を悩みの日に救い出される。」(1節)
これも幸いなる者を定義しています。イエス・キリストが山上の垂訓の言葉と合致します。イエスは「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。」(マタイ5:3)と、霊的な飢えを感じている人が、満たされて天の御国で悩みなく暮らせることを言いました。
「主は彼をその病の床でささえられる。あなたは彼の病む時、その病をことごとくいやされる。」(3節)
病気の人も癒されます。実際にイエス・キリストは地上で多くの病を治されました。「イエスはガリラヤの全地を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。」(マタイ4:23)にあるとおりです。
「わたしの敵はわたしをそしって言う、『いつ彼は死に、その名がほろびるであろうか』と。彼らは言う、『彼に一つのたたりがつきまとったから、倒れ伏して再び起きあがらないであろう』と。」(5,8節)
ダビデには敵が多かったのでしょう。敵は死を願い名声が消え、災難にあって起き上れないことを言ったのでしょう。これもイエス・キリストが地上にいたときに起こりました。当時の宗教指導者たちはイエスを亡き者にしようとしました。そして偽りの罪状で磔刑で死に至らしめたのです。
「あなたはわたしの全きによって、わたしをささえ、とこしえにみ前に置かれます。」(12節)
これもイエスに当てはまるようです。イエスの完全な命が贖いとして差し出されました。神様は、その命の捧げものを受け取ることで、人のすべての罪を取り消してくださいました。それによってイエスは神の御前で神のご意思を永遠に行うことができるのです。
イスラエルの神、主は/とこしえからとこしえまでほむべきかな。アァメン、アァメン。」(13節)
当時のイスラエルの神であり、現在はすべての国民、人々の神であるヤハウェ神は永遠の過去から永遠の未来まで生きておられる方です。そのような神を知ることができているのは最高に素晴らしいことです。神を永遠に褒め称えたいと思うのはダビデだけではないでしょう。アァメンと二度繰り返すことで、そのとおり、そのとおりと言って詩を締めくくります。
この41篇までが、詩篇の巻物として1巻として引き継がれてきたようです。詩篇は全部で5つの巻物になっていました。次は42篇から72篇になります。
どの時期に書かれて誰が書いたのかも、できる限り調べたいと思います。