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横浜市鶴見区社会福祉協議会の
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 詩篇42

2024-12-23

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
聖歌隊の指揮者によってうたわせたコラの子のマスキールの歌となっています。コラの子は聖歌隊に所属していたようです。この詩の内容は必死に神の救いを求めています。
「神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ。」(1節)
鹿は谷川の水を慕います。自分もそのように神を慕ってあえいでいることを言います。
「わが魂はかわいているように神を慕い、いける神を慕う。いつ、わたしは行って神のみ顔を/見ることができるだろうか。」(2節)
のどが乾ききっているように霊的な渇きを覚えて、生ける神を慕っています。そして神にまみえる時を待っているのです。
「人々がひねもすわたしにむかって/『おまえの神はどこにいるのか』と言いつづける間は/わたしの涙は昼も夜もわたしの食物であった。」(3節)
一日中、敵は「神などいないのだ」と言ってくるので、昼夜泣き続けていたようです。
「わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。」(5節)
詩篇作者は自分に対して問いかけます。何故うなだれるのか、何故思い乱れるのかと。そうではなく神を待ち望み、救いの神を褒めたたえ続けるように言います。
「わが魂はわたしのうちにうなだれる。それで、わたしはヨルダンの地から、またヘルモンから、ミザルの山からあなたを思い起す。」(6節)
魂はうなだれていても、ヨルダン地方からでもヘルモン山やミザル山からも神を思い起こすことを言います。
「あなたの大滝の響きによって淵々呼びこたえ、あなたの波、あなたの大波は/ことごとくわたしの上を越えていった。」(7節)
神の声は滝の轟のようだったのでしょう。その波のように打ち寄せる神の働らきは、自分が想像した以上の大波だったのでしょう。
「昼には、主はそのいつくしみをほどこし、夜には、その歌すなわちわがいのちの神にささげる/祈がわたしと共にある。」(8節)
神は慈しみをもって施してくれるので、神への祈りは歌となったのでしょう。
「わたしのあだは骨も砕けるばかりに/わたしをののしり、ひねもすわたしにむかって/『おまえの神はどこにいるのか』と言う。」(10節)
なおも敵は執拗に責めて罵るので、骨が砕けそうになります。
「わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。」(11節)
自分の魂は救いの神を褒め称えます。困難な敵にあってもくじけない方法は、ヤハウェ神の救いを待つことでした。つまり希望を失わないことです。