詩篇43
2024-12-24

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
この詩篇は42篇からの続きのようです。
「神よ、わたしをさばき、神を恐れない民にむかって、わたしの訴えをあげつらい、たばかりをなすよこしまな人から/わたしを助け出してください。」(1節)
イスラエルは周辺諸国からの攻撃にさらされていました。それらの国々は偽りの神々を崇拝していたと思われます。それで、イスラエルの神に対しても惧れを持つことなく、当時のイスラエル国民にも不当な訴えをしたのでしょう。それで真の神に正当な裁きをしてほしいと願うのです。これはダビデの詩かもしれません。
「あなたはわたしの寄り頼む神です。なぜわたしを捨てられたのですか。なぜわたしは敵のしえたげによって/悲しみ歩くのですか。」(2節)
ダビデ王は常に神により頼んでいました。それなのに神からの返答がないように感じて、なぜ敵から虐げられ、悲しみ歩かなければならないのか問うのです。
「あなたの光とまこととを送ってわたしを導き、あなたの聖なる山と、あなたの住まわれる所に/わたしをいたらせてください。」(3節)
ダビデは神からの光と真理を期待しています。かつてエジプトからモーセによって導かれたときに、神が夜間は火の柱となって先導した記述が出エジプト記の13章21節にあります。このことを思い出していたのかもしれません。そしてエルサレムは神の聖なる山とされていました。ダビデはそこに神も住まわれると思っていたので、自分も共に住みたいと思ったのでしょう。
「その時わたしは神の祭壇へ行き、わたしの大きな喜びである神へ行きます。神よ、わが神よ、わたしは琴をもってあなたをほめたたえます。」(4節)
エルサレムには神殿があり、そこには神に捧げ物をする祭壇もありました。ダビデは琴の名手でもあったので、琴の音色に合わせて賛美したかったのでしょう。
「わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。」(5節)
魂という言葉が何度も詩篇には出てきます。ヘブライ語でネフェシュと言いますが、これは命という意味です。霊魂とか言われているものではありません。聖書では魂が死ぬと書かれています。エゼキエル書18章4節に「罪を犯した魂は必ず死ぬ。」とあるように魂は死ぬのです。つまり魂は命のことと分かります。
ダビデの悩みは尽きません。うなだれて思いも乱れます。そのように誰でも悩みは付き物です。それでもヤハウェ神のことを知っていれば、過度に落ち込むことはないでしょう。悩みや苦しみもいつか解放される日が来るのです。その日が来るまで辛抱強く待ち望む態度をもつようにしましょう。
その日が来れば、必ず神様を褒め称えるでしょう。