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横浜市鶴見区社会福祉協議会の
団体交流室

 詩篇47

2025-01-06

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
これも聖歌隊の指揮者によって歌わせたコラの子の歌です。
「もろもろの民よ、手をうち、喜びの声をあげ、神にむかって叫べ。」(1節)
諸国民に対しても、神に向かって喜びの声を上げて、拍手するように言います。
「いと高き主は恐るべく、全地をしろしめす大いなる王だからである。」(2節)
ヤハウェ神は至高の主であり、全治を治める王でもあるので、畏れの気持ちをもつようにということでしょう。
「主はもろもろの民をわれらに従わせ、もろもろの国をわれらの足の下に従わせられた。」(3節)
ソロモン王の時代には、確かに諸国から貢物がイスラエルに持ち込まれました。
「主はその愛されたヤコブの誇を/われらの嗣業として、われらのために選ばれた。」(4節)
アブラハムの子はイサクで、その子供がヤコブでした。ヤコブは神からの祝福を望み、神と格闘したのでイスラエルと改名されました。イスラエルはヘブライ語で「神と戦う」という意味です。イスラエルに誇れる土地を与えられたことを言います。
「神は喜び叫ぶ声と共にのぼり、主はラッパの声と共にのぼられた。」(5節)
これはエルサレムの神殿のある丘に、人々が参集するときに神も来られるのでしょう。のぼるという表現は、丘にのぼることが神殿に行って神に崇拝する行為を示していたようです。
「神はもろもろの国民を統べ治められる。神はその聖なるみくらに座せられる。」(8節)
神はもともと人々を創造したわけですから、人々や国々を統べ治める権利があります。神は天の聖なる御座に居ながら治めることができます。
「もろもろの民の君たちはつどい来て、アブラハムの神の民となる。地のもろもろの盾は神のものである。神は大いにあがめられる。」(9節)
諸国の君主たちも神の国の支配を認めるようです。そして神の民となるということですから、真の神を認めて神に従うということでしょう。盾と形容されているのは地上の支配者のことでしょう。当然、それらの支配者も神の支配下にあることになります。
この描写は黙示録の表現と似ています。「人々は、諸国民の光栄とほまれとをそこに携えて来る。」(黙示録21:26)とあるのです。
この47篇は諸国民に向けての詩ですが、いままで敵対していた諸国民ではなく、新しい天と地の状況での諸国民に向けています。ですから、国民の違いというものがなくなった新しい世界での情景なのでしょう。新しい世界では、そのように人々が一致して神をあがめているわけですから、神もそのような人々と共に居ようとすることでしょう。まさにかつてエデンの園で、最初の人間夫婦であるアダムとエバに直接神が声をかけられる状態に戻るのでしょう。(創世記1章)すばらしい世界ですね。