詩篇49
2025-01-08

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
これもコラの子の歌です。
「もろもろの民よ、これを聞け、すべて世に住む者よ、耳を傾けよ。低きも高きも、富めるも貧しきも、共に耳を傾けよ。」(1,2節)
すべての人々、身分が高くても低くても、お金があってもなくても聞きなさいと言います。
「わたしをしえたげる者の不義が/わたしを取り囲む悩みの日に、どうして恐れなければならないのか。彼らはおのが富をたのみ、そのたからの多いのを誇る人々である。」(5,6節)
不義な者が裕福になって、その財力を誇る者のために悩ませられることがあります。
「まことに人はだれも自分をあがなうことはできない。そのいのちの価を神に払うことはできない。」(7節)
生まれながらに罪を負っている人類ですから、不完全な命では対価を神に払うことができないのです。
「とこしえに生きながらえて、墓を見ないために/そのいのちをあがなうには、あまりに価高くて、それを満足に払うことができないからである。」(8節)
永遠の命は神から無償で与えられたものでした。原罪のために命は限りあるものになったのです。命をお金で買うことはできません。
「まことに賢い人も死に、愚かな者も、獣のような者も、ひとしく滅んで、その富を他人に残すことは人の見るところである。」(10節)
賢者も愚者も、獣じみた人も、すべて死にます。財産は誰かのものになります。
「これぞ自分をたのむ愚かな者どもの成りゆき、自分の分け前を喜ぶ者どもの果である。」(13節)
自分だけを頼りにしている者は、永続せずに一時の喜びの後に滅びるのです。
「しかし神はわたしを受けられるゆえ、わたしの魂を陰府の力からあがなわれる。」(15節)
ヤハウェ神から認められたイエス・キリストは、3日目に神の力で蘇ることができました。
「彼が死ぬときは何ひとつ携え行くことができず、その栄えも彼に従って下って行くことは/ないからである。」(17節)
人は死ぬときに何かを死後に持っていくことができません。どんなに立派な葬儀や墓を整えても、栄華を持っていけません。死後の世界は何もない世界だからです。
「彼はついにおのれの先祖の仲間に連なる。彼らは絶えて光を見ることがない。人は栄華のうちに長くとどまることはできない。滅びうせる獣にひとしい。」(18,20節)
お墓に葬られれば、光を見ることもありません。無意識ですから何も感じないのです。人の栄華は一瞬なのです。死ねば獣と同じように滅びるのです。
聖書は、命と死をはっきりと示しています。そして永遠の命のことも述べています。命を楽しむには、命を創造した神に尋ねるのが一番確実です。