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横浜市鶴見区社会福祉協議会の
団体交流室

 詩篇51

2025-01-10

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
ダビデの歌、これはダビデがバテセバに通った後預言者ナタンがきたときによんだものとなっています。
「神よ、あなたのいつくしみによって、わたしをあわれみ、あなたの豊かなあわれみによって、わたしのもろもろのとがをぬぐい去ってください。」(1節)
ダビデはすぐに自分の罪を認め、神に罪をぬぐい取ってほしいと願います。
「わたしはあなたにむかい、ただあなたに罪を犯し、あなたの前に悪い事を行いました。それゆえ、あなたが宣告をお与えになるときは正しく、あなたが人をさばかれるときは誤りがありません。」(4節)
ダビデの罪は姦淫と殺人の罪で律法によれば死罪ですが、ダビデは神に対して罪を犯したと理解していました。
「見よ、わたしは不義のなかに生れました。わたしの母は罪のうちにわたしをみごもりました。」(5節)
人は皆、原罪を負って生まれていることを示して、自分の罪もそのせいであると言います。
「見よ、あなたは真実を心のうちに求められます。それゆえ、わたしの隠れた心に知恵を教えてください。」(6節)
自分の心には隠されているものがあって、神はそこにも真実を求められているのです。
「ヒソプをもって、わたしを清めてください、わたしは清くなるでしょう。わたしを洗ってください、わたしは雪よりも白くなるでしょう。」(7節)
ヒソプは香草で祭司が用いていました。ダビデは比喩として心を清めてもらいたかったのです。「神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。」(10節)とあるように神から新しく正しい霊を与えてくださいと祈ります。
「あなたの救の喜びをわたしに返し、自由の霊をもって、わたしをささえてください。」(12節)
神からの救いによって、心が自由になって神との関係が戻ることを願います。
「あなたはいけにえを好まれません。~神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心を/かろしめられません。」(16,17節)
神が受け入れるのは砕けた悔いた魂であると言います。表面的な犠牲ではなく、本心から
壊れた情動を悔いることが重要なのです。
「あなたのみこころにしたがってシオンに恵みを施し、エルサレムの城壁を築きなおしてください。」(18節)ダビデはエルサレムの崩壊と自分の状態を同一に見ています。
「その時あなたは義のいけにえと燔祭と、全き燔祭とを喜ばれるでしょう。」(19節)
再生したダビデもエルサレムも元の状態に戻り、神に喜ばれることを希望します。
罪を犯しても、真剣に悔い改めることが大切ですね。