主な活動場所
横浜市鶴見区社会福祉協議会の
団体交流室

 詩篇55

2025-01-16

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
これもダビデの歌のようです。
「神よ、わたしの祈に耳を傾けてください。わたしの願いを避けて身を隠さないでください。」(1節)神に願い事を聴いてもらいたいのです。
「わたしにみこころをとめ、わたしに答えてください。わたしは悩みによって弱りはて、敵の声と、悪しき者のしえたげとによって/気が狂いそうです。彼らはわたしに悩みを臨ませ、怒ってわたしを苦しめるからです。」(2,3節)敵によって苦しめられたダビデは弱り果てて発狂しそうになります。
「わたしは言います、『どうか、はとのように翼をもちたいものだ。そうすればわたしは飛び去って安きを得るであろう。わたしは遠くのがれ去って、野に宿ろう。わたしは急ぎ避難して、はやてとあらしをのがれよう』と。」(6~8節)鳩のように飛び去りたい心境のようです。突風や嵐のような敵から逃れたかったのでしょう。
「わたしをののしる者は敵ではありません。もしそうであるならば忍ぶことができます。わたしにむかって高ぶる者はあだではありません。もしそうであるならば身を隠して/彼を避けることができます。しかしそれはあなたです、わたしと同じ者、わたしの同僚、わたしの親しい友です。」(12,13節)同僚であり親友から敵視されるのは苦しかったでしょう。
「わたしの友はその親しき者に手を伸ばして、その契約を破った。その口は牛酪よりもなめらかだが、その心には戦いがある。その言葉は油よりもやわらかだが、それは抜いたつるぎである。」(20,21節)親友に裏切られたようです。親友の言葉はバターのように油のように滑らかでやわらかですが、戦いの剣のように鋭く感じたのでしょう。ダビデと親しかったアヒトペルのことのようです。(詩3篇)
「あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。主は正しい人の動かされるのを決してゆるされない。」(22節)
これは、イエス・キリストの言葉にもあります。「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」(マタイ11:28)イエスが主であるのに我々の重荷を負ってくださるのです。イエスのもとに行って休養できるのです。何とありがたいことではないでしょうか?,
「しかし主よ、あなたは彼らを/滅びの穴に投げ入れられます。血を流す者と欺く者とは/おのが日の半ばも生きながらえることはできません。しかしわたしはあなたに寄り頼みます。」(23節)
最終的に主に敵対して、流血の罪や欺きの罪を犯した者が生きながらえることを、主は許さないのです。
ダビデの結論は、主により頼むことでした。イエス・キリストもユダに裏切られましたが、それもヤハウェ神の御心と考えて受け入れました。誰にでも苦難は望むのです。