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横浜市鶴見区社会福祉協議会の
団体交流室

 詩篇57

2025-01-20

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
これはダビデが洞にはいってサウルの手をのがれたときによんだもののようです。
「神よ、わたしをあわれんでください。わたしをあわれんでください。わたしの魂はあなたに寄り頼みます。滅びのあらしの過ぎ去るまでは/あなたの翼の陰をわたしの避け所とします。」(1節)
ダビデは繰り返し神に憐れみを求めています。そしてサウル王の攻撃が終わるまで、神の翼の陰に避難したいと言うのです。
「神は天から送ってわたしを救い、わたしを踏みつける者をはずかしめられます。セラ/すなわち神はそのいつくしみとまこととを/送られるのです。」(3節)
神からの慈しみと誠によってダビデは救われ、ダビデに攻撃してくる者を辱めるのです。
詩篇にはセラという文字がでてきますが、これは音楽上の休止の意味合いがあるようです。詩篇を読むときに間違えずに一つの区切りのために用いられたようです。
「わたしは人の子らをむさぼり食らうししの中に/横たわっています。彼らの歯はほこ、また矢、彼らの舌は鋭いつるぎです。」(4節)
敵対者はライオンのようで、その歯は槍や矢のようで、舌は剣のように感じたのでしょう。
「彼らはわたしの足を捕えようと網を設けました。わたしの魂はうなだれました。彼らはわたしの前に穴を掘りました。しかし彼らはみずからその中に陥ったのです。」(6節)
敵対者は網を張ってダビデを捕まえようとしたり、穴を掘って落ち込むようにします。しかし、敵対者は自ら掘った穴に陥るのです。悪因悪果ということでしょうか?悪いことを行うと悪い結果になるという仏教の教えです。
「わが魂よ、さめよ。立琴よ、琴よ、さめよ。わたしはしののめを呼びさまします。」(8節)
ダビデは自ら目覚めるように言い、竪琴の音で夜明けを起こすようにします。
「主よ、わたしはもろもろの民の中であなたに感謝し、もろもろの国の中であなたをほめたたえます。」(9節)
ダビデは諸国民の中でも神に感謝し、褒め称えることを宣言します。
「あなたのいつくしみは大きく、天にまで及び、あなたのまことは雲にまで及びます。」(10節)再度、神の慈しみと誠がいかに大きいかを述べます。
「神よ、みずからを天よりも高くし、みさかえを全地の上にあげてください。」(11節)
神の偉大さは物質的な宇宙に制限されるものではありません。天上よりもさらに高められています。そして神からの繁栄を、地にももたらして、高められることを願うのです。
ダビデは、本当に常に神に祈っていたようです。現実はサウル王と配下の軍勢3000人に追われていました。そしてサウル王を殺害する機会もありましたが、しませんでした。サウル王もかつて油そそがれた人だからです。(サムエル第一24章)
ダビデは本当に立派な模範を残しました。