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横浜市鶴見区社会福祉協議会の
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 詩篇59

2025-01-22

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
これはサウルがダビデを殺そうとして人をつかわし、その家をうかがわせたときダビデのよんだものとされています。
「わが神よ、どうかわたしをわが敵から助け出し、わたしに逆らって起りたつ者からお守りください。悪を行う者からわたしを助け出し、血を流す人からわたしをお救いください。」(1,2節)
サウル王はダビデを殺そうとしていましたから、ダビデの祈りは必死だったでしょう。
「見よ、彼らはひそみかくれて、わたしの命をうかがい、力ある人々が共に集まってわたしを攻めます。主よ、わたしにとがも罪もなく、わたしにあやまちもないのに、彼らは走りまわって備えをします。わたしを助けるために目をさまして、ごらんください。」(3,4節)
ダビデには何の過ちもありませんでした。それでもサウル王は嫉妬からダビデを殺そうとするのです。現代でも事実確認の相違から仲たがいすることがあります。冤罪もあります。そうしたときは、この詩篇が励ましてくれます。
「万軍の神、主よ、あなたはイスラエルの神です。目をさまして、もろもろの国民を罰し、悪をたくらむ者どもに、あわれみを施さないでください。」(5節)
ダビデは諸国民にも、神の裁きを希望します。
「彼らは夕ごとに帰ってきて、犬のようにほえて町をあさりまわる。見よ、彼らはその口をもってほえ叫び、そのくちびるをもってうなり、『だれが聞くものか』と言う。」(6,7節)
これは悪人が野犬のように、吠えて食べ物をあさり、唸り声は「自分は神や人の意見は聞かない。神も自分の思いを聞かない」と言っているようです。
「わが力よ、わたしはあなたにむかってほめ歌います。神よ、あなたはわたしの高きやぐらです。」(9節)ダビデは違います。神に対してほめ歌います。神様は高き塔のようです。
「どうぞ、わが民の忘れることのないために、彼らを殺さないでください。主、われらの盾よ、み力をもって彼らをよろめかせ、彼らを倒れさせないでください。」(11節)
傲慢で反抗的な人々を神の力で殺すのではなく、よろめかせるだけで十分だと言います。イスラエル国民にとっても、忘れない教訓となるためでしょう。
「憤りをもって彼らを滅ぼし、もはやながらえることのないまでに、彼らを滅ぼしてください。そうすれば地のはてまで、人々は神がヤコブを治められることを/知るに至るでしょう。」(13節)
ダビデの願いは、悪人の完全な滅びではなく、悪人が永らえないことを願うのです。ヤコブはイスラエル国民のことです。全地に真の神がいて、神の取り決めを守っているイスラエル国民が繁栄していることで、神がそのように統治していることを知ってもらいたいのです。現代のイスラエルがそれを行っているかどうかは、皆様が判断してください。
神様が行うことは、我々の思考をはるかに超えて行うと思われます。