詩篇62
2025-01-25

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
聖歌隊の指揮者によってエドトンのしらべにしたがってうたわせたダビデの歌だそうです。
「わが魂はもだしてただ神をまつ。わが救は神から来る。」(1節)
ダビデは自らの救いが神から来るのを黙って待ちます。
「神こそわが岩、わが救、わが高きやぐらである。わたしはいたく動かされることはない。」(2節)神の力は岩のように強く、高い塔のようで、そこに居れば心も動揺しないでしょう。
「あなたがたは、いつまで人に押し迫るのか。あなたがたは皆、傾いた石がきのように、揺り動くまがきのように人を倒そうとするのか。」(3節)
当時も人を倒そうとして、危害を加える人々がいたようです。
「彼らは人を尊い地位から落そうとのみはかり、偽りを喜び、その口では祝福し、心のうちではのろうのである。」(4節)
嫌悪すべき人々は口先で祝福を述べますが、心の中で人を呪うようです。偽善者ですね。
「神こそわが岩、わが救、わが高きやぐらである。わたしは動かされることはない。」(6節)
2節の言葉を繰り返して強調しています。
「民よ、いかなる時にも神に信頼せよ。そのみ前にあなたがたの心を注ぎ出せ。神はわれらの避け所である。」(8節)
ヤハウェ神の前に自分の心を注ぎだすことが必要です。助けて欲しいとダビデのように純粋に神にお願いしましょう。きっと神が避難所であることがわかるでしょう。
「低い人はむなしく、高い人は偽りである。彼らをはかりにおけば、彼らは共に息よりも軽い。」(9節)
心を卑しめている人も高ぶった心の人も、霊的な意味で言えば、空気のように軽いのです。
「あなたがたは、しえたげにたよってはならない。かすめ奪うことに、むなしい望みをおいてはならない。富の増し加わるとき、これに心をかけてはならない。」(10節)
人を虐げて富をかすめ取ることは、空しいものです。金品に心を集中すべきではありません。霊性が弱くなるからです。
「神はひとたび言われた、わたしはふたたびこれを聞いた、力は神に属することを。主よ、いつくしみもまたあなたに属することを。あなたは人おのおののわざにしたがって/報いられるからである。」(11,12節)
ダビデは神から言葉を聞いたようです。主である神は力があり、慈しみをもって人々に報いを与える方であることを知りました。ダビデは言葉で聞いていましたが、頭だけの理解ではなく腑に落ちたようです。それでダビデは再びこれを聞いたと言ったのかもしれません。各自はその各々の行いによって報いられるわけです。善い行いをすれば良い報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるのでしょう。善因善果、悪因悪果と仏教の教えにもありますね。何事も原因があって結果があるのです。