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横浜市鶴見区社会福祉協議会の
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 詩篇63

2025-01-26

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
ユダの野にあったときによんだダビデの歌とあり、ダビデが荒野に逃れた時の詩でしょう。
「神よ、あなたはわたしの神、わたしは切にあなたをたずね求め、わが魂はあなたをかわき望む。水なき、かわき衰えた地にあるように、わが肉体はあなたを慕いこがれる。」(1節)
辺りは乾ききった荒野です。水が欲しいと思うように、神を切に求めます。
「それでわたしはあなたの力と栄えとを見ようと、聖所にあって目をあなたに注いだ。」(2節)ダビデは荒野にいたのですから、この聖所は天の聖なる場所にいるように想像したのでしょう。
「あなたのいつくしみは、いのちにもまさるゆえ、わがくちびるはあなたをほめたたえる。」(3節)神からの慈しみの行為は、自分の命よりも優っているので、神を賛美します。
「わたしは生きながらえる間、あなたをほめ、手をあげて、み名を呼びまつる。」(4節)
ダビデは生きている限り、神の御名を呼んで、手を挙げて褒め称えるのです。
「わたしが床の上であなたを思いだし、夜のふけるままにあなたを深く思うとき、わたしの魂は髄とあぶらとをもって/もてなされるように飽き足り、わたしの口は喜びのくちびるをもって/あなたをほめたたえる。」(5節)ベッドで深夜に及ぶまで神のことを考えていると、贅沢な料理を腹一杯食べたように感謝の気持ちで一杯になったのでしょう。
「あなたはわたしの助けとなられたゆえ、わたしはあなたの翼の陰で喜び歌う。」(7節)
翼の陰はイエス・キリストも同様の表現を言いました。「私はめんどりが翼の下にひなを集めるようにあなた方を集めたいと何度思ったことでしょう。」(マタイ23:37)とあるのです。
ダビデも同じように神の保護下にいて喜び歌いたかったのでしょう。ピヨピヨと。
「わたしの魂はあなたにすがりつき、あなたの右の手はわたしをささえられる。」(8節)
神の右の手が、神の力によってダビデを支えてくれることを期待しています。
「しかしわたしの魂を滅ぼそうとたずね求める者は/地の深き所に行き、つるぎの力にわたされ、山犬のえじきとなる。」(9,10節)
ダビデは荒野に逃げているところです。ですからダビデの命をつけ狙う者たちが、剣で倒されて山犬の餌になることを願うのです。
「しかし王は神にあって喜び、神によって誓う者はみな誇ることができる。偽りを言う者の口はふさがれるからである。」(11節)
ダビデは神と誓いをしたのでしょう。誓ったからには必ずその誓いを守る必要があります。誓いを守ることができるとダビデは確信していたので、誇ることができるのです。
現在、神と誓いをすることはできないと思われます。イエス・キリストが「しかし私は言います。一切誓ってはなりません。~ただ、『はい』は、はいを、『いいえ』は、いいえを意味するようにしなさい。それ以上のことは邪悪な者から出るのです。」(マタイ5:34~37)
と言っているからです。