詩篇64
2025-01-27

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの歌です。
「神よ、わたしが嘆き訴えるとき、わたしの声をお聞きください。敵の恐れからわたしの命をお守りください。」(1節)
敵に攻め寄せられていたのでしょうか?ダビデの嘆きは、神への訴えになります。
「わたしを隠して、悪を行う者の/ひそかなはかりごとから免れさせ、不義を行う者のはかりごとから免れさせてください。」(2節)
悪行者はダビデの命を狙って、殺人計画を立てているようです。ダビデは神から見て正しい人とされていましたから、ダビデに敵対する者は悪行者です。
「彼らはその舌をつるぎのようにとぎ、苦い言葉を矢のように放ち、隠れた所から罪なき者を射ようとする。にわかに彼を射て恐れることがない。」(3,4節)
この表現は何度か書かれています。舌が剣のように感じるということで、切り付けるような言葉を発したのでしょう。そして矢が突き刺さるような苦言を発したのでしょう。それも隠れた所から行うので陰口のようなものかもしれません。急にそのような言動をすることに、彼らは何のためらいもないようです。
「彼らは悪い企てを固くたもち、共にはかり、ひそかにわなをかけて言う、『だれがわれらを見破ることができるか。だれがわれらの罪をたずね出すことができるか。われらは巧みに、はかりごとを考えめぐらしたのだ』と。人の内なる思いと心とは深い。」(5,6節)
彼らは自分たちの行動が、共謀して密かに罠をしかけるので「誰も見破れない。犯罪が見つかることはない。綿密に計画したから。」と言うのでしょう。そのように神の存在を認めない者たちは、心底から悪い思いを持っているようです。
「しかし神は矢をもって彼らを射られる。彼らはにわかに傷をうけるであろう。神は彼らの舌のゆえに彼らを滅ぼされる。彼らを見る者は皆そのこうべを振るであろう。」(7,8節)
悪行者は神から滅ぼされます。その言動が神に認められないからです。どのように滅ばされるか分かりませんが、見ている人は「なんてことだ!」と頭を振るようです。
「その時すべての人は恐れ、神のみわざを宣べ伝え、そのなされた事を考えるであろう。」(9節)
神の御業によって悪人がいなくなることで、人々は神の御業を思い、宣べ伝えるでしょう。
「正しい人は主にあって喜び、かつ主に寄り頼む。すべて心の直き者は誇ることができる。」(10節)
正しい人は神に滅ぼされることはありません。生き残ってヤハウェ神と共に喜ぶことができるでしょう。心の正直な者は、神に頼ってよかったと、神を誇らしく思うのでしょう。
ダビデは、悪行者と正直者を対比して、滅びと恵みを示しています。ダビデも体験したから、このように詩にすることができたのだと思います。