主な活動場所
横浜市鶴見区社会福祉協議会の
団体交流室

 詩篇67

2025-01-30
美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
聖歌隊の指揮者によって琴にあわせてうたわせた歌、さんびです。
「どうか、神がわれらをあわれみ、われらを祝福し、そのみ顔をわれらの上に照されるように。」(1節)
この祈りはその通りですね。まず神からの憐れみをお願いし、神から祝福があることを期待し、神の是認があって神が顔を明らかにして頂き、真理の光を求めるのです。
「これはあなたの道があまねく地に知られ、あなたの救の力がもろもろの国民のうちに/知られるためです。」(2節)
真理の光が人々に知られるようになると、神の救いの力も諸国の人々に知られるでしょう。
「神よ、民らにあなたをほめたたえさせ、もろもろの民にあなたをほめたたえさせてください。」(3節)
イスラエル国民だけでなく、諸国民も神への賛美が起きるように願っています。
「もろもろの国民を楽しませ、また喜び歌わせてください。あなたは公平をもってもろもろの民をさばき、地の上なるもろもろの国民を導かれるからです。」(4節)
諸国民は、神の裁きを経験して神の導きに従うようです。そうなれば、諸国民も楽しみ、喜び、歌うのでしょう。
「神よ、民らにあなたをほめたたえさせ、もろもろの民にあなたをほめたたえさせてください。」(5節)
繰り返し、イスラエル国民も他の諸国民も神をほめたたえることを願います。
「神は寄るべなき者に住むべき家を与え、めしゅうどを解いて幸福に導かれる。しかしそむく者はかわいた地に住む。」(6節)
その理由として詩篇作者は、神は住む家のない者に住まいを与えます。召し抱えられた者も解放してくださいます。でも、神に素直に従わない者は荒れた地に住むことになります。
「神よ、あなたが民に先だち出て、荒野を進み行かれたとき、」(7節)
詩篇67篇はこれで、切れています。もしかしたら続きがあったのかもしれません。でも、7節で終わっていたとしても、詩として成立しています。詩篇作者は神からの祝福を求めていました。そして、諸国民にもその祝福が及ぶことも求めます。なぜなら、イスラエル国民も他の諸国民も、神の真理を知れば喜んで神に従うからです。
7節は、出エジプト後にイスラエル国民が40年間荒野をさまよった時のことを指しているのかもしれません。申命記2章7節に「あなたがこの大いなる荒野を通るのを、見守られたからである。あなたの神、主がこの四十年の間、あなたと共におられたので、あなたは何も乏しいことがなかった」と、神はモーセに言っているのです。
イスラエル国民を導いたヤハウェ神は、率先して荒野を進んでいたのでしょう。でも、その間に民が乏しくなることがないように守られたのです。神は憐み深いのです。