詩篇70
2025-02-04

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの記念の歌です。71篇とつながります。
「神よ、みこころならばわたしをお救いください。主よ、すみやかにわたしをお助けください。」(1節)
ダビデは自分の意志よりも神の御意思を優先してくださいと祈ります。神の御意思であれば助けてもらいたいのです。
「わたしのいのちをたずね求める者どもを/恥じあわてさせてください。わたしのそこなわれることを願う者どもを/うしろに退かせ、恥を負わせてください。」(2節)
ダビデの命を狙っている者たちがいるのですが、ダビデは彼らが恥じ入るようにと願います。ダビデに害を加えようとする者たちにも、遠方に離れさせることで恥じ入るように願います。
「『あはぁ、あはぁ』と言う者どもを/自分の恥によって恐れおののかせてください。」(3節)
ダビデに対して嘲りの笑いをする者たちが、反対に嘲笑されて恐れおののくように願います。これは返報性の原則ですね。「人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう。」(ガラテア6:7,8)これはパウロの言葉ですが、誰でもよい種をまけばよい実が得られますし、悪い種をまけば悪い実しか得られないのです。
「すべてあなたを尋ね求める者は/あなたによって喜び楽しむように。あなたの救を愛する者は/つねに『神は大いなるかな』ととなえるように。」(4節)
どんな人でも神を求め続けていることが大切です。そうすれば、神から喜びと楽しみを得ることができるのです。神からの救いを得たいと願っているなら、神の偉大さ、神の力、神の愛、神の知恵を賛美してゆきましょう。
「しかし、わたしは貧しく、かつ乏しい。神よ、急いでわたしに来てください。あなたはわが助け、わが救主です。主よ、ためらわないでください。」(5節)
ダビデは王でしたから、貧しいことはなかったでしょう。これは霊的な貧しさのことのようです。イエス・キリストは山上の垂訓で「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。」(マタイ5;3)と言いましたが、ダビデも心の貧しさについて言ったのだと思います。つまり神の霊について足りない状態であると理解していたのでしょう。神が救い主であり、ダビデのもとに来てもらいたいと願いました。
王であったダビデは多くの苦難を経験していました。命を狙われ、王権を取られそうになりました。ですから、神に救いを求めて急いでくださいと祈ったのでしょう。
緊急事態は誰にも起こる可能性があります。普段から祈りをしていれば、とっさの時にも冷静になって神に祈れると思います。