詩篇73
2025-02-07

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
アサフの歌です。アサフは歌手でした。
「神は正しい者にむかい、心の清い者にむかって、まことに恵みふかい。しかし、わたしは、わたしの足がつまずくばかり、わたしの歩みがすべるばかりであった。」(1,2節)
アサフは信仰において躓きや足を捕らわれることがあったようです。
「これはわたしが、悪しき者の栄えるのを見て、その高ぶる者をねたんだからである。」(3節)アサフは正直です。悪人が栄えて高ぶるのを見ると、妬む気持ちが沸きます。
「彼らには苦しみがなく、その身はすこやかで、つやがあり、ほかの人々のように悩むことがなく、ほかの人々のように打たれることはない。」(4,5節)
栄えている人は、とかく苦しみもなく、悩みもなく、打たれることもないように見えます。
「彼らはその口を天にさからって置き、その舌は地をあるきまわる。」(9節)
最終的に天の神に逆らった言葉を言い続けることをします。
「彼らは言う、『神はどうして知り得ようか、いと高き者に知識があろうか』と。」(11節)
悪しき者は、神には知識もなく知ることもないとの暴言を吐くのです。
「わたしがこれを知ろうと思いめぐらしたとき、これはわたしにめんどうな仕事のように思われた。」(16節)
なぜ、悪人が栄えるのか?悪人の暴言が地に広がるのか?思い巡らし悩んだのでしょう。
「わたしが神の聖所に行って、彼らの最後を悟り得た~なんと彼らはまたたくまに滅ぼされ、恐れをもって全く一掃されたことであろう。」(17,19節)
アサフは聖所に行って、悪人が一瞬にして一掃されることを知ります。
「わたしの魂が痛み、わたしの心が刺されたとき、わたしは愚かで悟りがなく、あなたに対しては獣のようであった。」(21,22節)
アサフは魂の痛みや心が刺されたことがあったようです。そのように感じるのは、自分がまだ神の知恵を知らず、神から見れば獣のようだったと、考えを変えたのです。
「あなたはさとしをもってわたしを導き、その後わたしを受けて栄光にあずからせられる。」(24節)神は教え諭して導いてくれるので、アサフを栄光に導きます。
「わが身とわが心とは衰える。しかし神はとこしえにわが心の力、わが嗣業である。」(26節)アサフも高齢になれば心身の衰えを感じるでしょう。でも、神への信仰は心の力であり、神を賛美することを仕事として続けると言います。
「神に近くあることはわたしに良いことである。わたしは主なる神をわが避け所として、あなたのもろもろのみわざを宣べ伝えるであろう。」(28節)
アサフの結論は、神殿で賛美の歌を歌うことは、神の近くでヤハウェ神を避難所としていることになり、神の御業を宣べ伝えることだと理解するのです。
アサフの歌を神も喜ばれたことでしょう。