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横浜市鶴見区社会福祉協議会の
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 詩篇75

2025-02-10

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
聖歌隊の指揮者によって、「滅ぼすな」というしらべにあわせてうたわせたアサフの歌、さんびとなっています。
「神よ、われらはあなたに感謝します。われらは感謝します。われらはあなたのみ名を呼び、あなたのくすしきみわざを語ります。」(1節)
アサフも神の御名であるヤハウェに感謝をし、御業を語ります。
「定まった時が来れば、わたしは公平をもってさばく。地とすべてこれに住むものがよろめくとき、わたしはその柱を堅くする。」(2,3節)
ここから神の言葉として伝えています。これは裁きの日のことを言っているのかもしれません。地上に住む者たちが倒れかけている時でも、神の家の柱は倒れません。
「わたしは、誇る者には『誇るな』と言い、悪しき者には『角をあげるな、角を高くあげるな、高慢な態度をもって語るな』と言う。」(4,5節)
地上の人々は神に対して高慢になり高ぶるようです。角は「頭角を現す」ように地位の高い者が、驕り高ぶることがないようにということでしょう。
「上げることは東からでなく、西からでなく、また荒野からでもない。それはさばきを行われる神であって、神はこれを下げ、かれを上げられる。」(6,7節)
高い地位は地域の人々からのものではなく、神様からもたらされるものです。
「主の手には杯があって、よく混ぜた酒があわだっている。主がこれを注ぎ出されると、地のすべての悪しき者は/これを一滴も残さずに飲みつくすであろう。」(8節)
この杯は黙示録14章10節の「怒りのぶどう酒」のことでしょう。黙示録では野獣とその像を崇拝する者がぶどう酒を飲むことになっていて、その報いは火と硫黄によって苦しめられる様が描かれています。つまり悪しき行いをしている者は、神からの裁きを確実に受けることになるのです。
「しかしわたしはとこしえに喜び、ヤコブの神をほめうたいます。」(9節)
アサフは、永遠に喜びをもってイスラエルの神を誉め歌うのです。
「悪しき者の角はことごとく切り離されるが/正しい者の角はあげられるであろう。」(10節)
悪人は、神の裁きで切り離されるのです。正しい者で資格のある者は、神からふさわしい地位を与えられることでしょう。
このアサフの詩も、将来の預言を含んでいました。神の裁きの日は将来起きることが確実です。神は悪がはびこる世界を容認しないからです。神の世界では、神から見てふさわしい者が適切な地位につくのです。人々からの選挙とかで管理者を決めるわけではありません。つまり民主主義ではなく神権主義です。神の御性格がわかれば、神に任せられると思いませんか?
神は愛です。