詩篇77
2025-02-13

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
聖歌隊の指揮者によってエドトンのしらべにしたがってうたわせたアサフの歌です。
「わたしは神にむかい声をあげて叫ぶ。わたしが神にむかって声をあげれば、神はわたしに聞かれる。」(1節)
神様に叫ぶようにして呼びかけると、神はアサフの訴えを聞きます。
「わたしは悩みの日に主をたずね求め、夜はわが手を伸べてたゆむことなく、わが魂は慰められるのを拒む。」(2節)
しかし、アサフが悩むようになると、神からの慰めもなくなるのでしょう。
「わたしは神を思うとき、嘆き悲しみ、深く思うとき、わが魂は衰える。あなたはわたしのまぶたをささえて閉じさせず、わたしは物言うこともできないほどに悩む。」(3,4節)
嘆き悲しむことがあると、夜も寝られなくなり、氣持ちも弱まることでしょう。
「『主はとこしえにわれらを捨てられるであろうか。ふたたび、めぐみを施されないであろうか。~神は恵みを施すことを忘れ、怒りをもって/そのあわれみを閉じられたであろうか』と。」(7,9節)
アサフは自分たちが神から見捨てられ、神から恵みも憐れみも得られないのかと言います。
「その時わたしは言う、『わたしの悲しみは/いと高き者の右の手が変ったことである』と。」(10節)
アサフは、神が右手を動かすこともなくなったと悲しみます。
「わたしは、あなたのすべてのみわざを思い、あなたの力あるみわざを深く思う。神よ、あなたの道は聖である。われらの神のように大いなる神はだれか。」(12,13節)
ここで、これまでの神の御業を思い出します。自分の神に匹敵する神はいないことを。
「神よ、大水はあなたを見た。大水はあなたを見ておののき、淵もまた震えた。」(16節)
出エジプトで紅海の水を分けられたことを思い出します。
「雲は水を注ぎいだし、空は雷をとどろかし、あなたの矢は四方にきらめいた。」(17節)
サムエル記第二22:15に「矢を放って敵を散らし、稲妻によって混乱に陥れた。」とダビデが歌ったことがあることを思い出したのでしょう。
「あなたの雷のとどろきは、つむじ風の中にあり、あなたのいなずまは世を照し、地は震い動いた。」(18節)
これは出エジプトの19章のことのようです。「ヤハウェが火と共にシナイ山に下ってきたため,山は煙に覆われた。煙は窯の煙のように立ち上り,山全体が激しく震動した。」
「あなたの大路は海の中にあり、あなたの道は大水の中にあり、あなたの足跡はたずねえなかった。あなたは、その民をモーセとアロンの手によって/羊の群れのように導かれた。」(19,20節)神は紅海を分けてイスラエルの民を導きました。
悩んでいるときに、神の御業を思い出せば、常に見守っていることが解るでしょう。