詩篇106
2025-04-23

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
「主をほめたたえよ。主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。」(1節)
ヤハウェ神は恵深く、慈しみを永遠に示されます。ですから、神を褒め称え感謝します。
「われらの先祖たちはエジプトにいたとき、あなたのくすしきみわざに心を留めず、あなたのいつくしみの豊かなのを思わず、紅海で、いと高き神にそむいた。」(7節)
ここから、イスラエルの民が強情で神に背き、神を試し、多くの不義を行ったと述べます。
それは、モーセやアロンに対してねたみの気持から正当性を疑うことをしたのです。モーセは神からの召命で神と人との仲介をしたわけですし、アロンはモーセと協力して祭司として働きました。その結果は神が証明して、反対者達を滅ぼしました。(民数記16章)
「また彼らはペオルのバアルを慕って、死んだ者にささげた、いけにえを食べた。」(28節)
当時、その地であるペオルではバアル崇拝があったようです。これは偶像に捧げられた食物を食べたのでしょう。つまり偶像崇拝を容認したことになります。偶像についてはモーセの十戒にもしないようにと書かれていました。1世紀でもパウロは偶像崇拝として捧げられた食物について注意しています。(コリント第一8章)
「彼らは主が命じられたもろもろの民を滅ぼさず、かえってもろもろの国民とまじって/そのわざにならい、自分たちのわなとなった偶像に仕えた。」(34~36節)
当時の民族は多くの神々を崇拝していたいたようです。真の神は目に見えないので偶像を作ることを禁じていました。イスラエルの民がそのような何の力もない偶像に汚されないようすることを神は願っていたのです。異邦の民は汚らわしい捧げものもあったのでしょう。神は聖なる方ですから、神の民も聖なる状態でいてほしかったのです。諸民族を滅ぼすのは、聖なる状態を維持するために必要なことだったのかもしれません。滅ぶべき者はサタンですが、サタンの策略で多くの偽りの神々が今でも存在しています。
「罪のない血、すなわちカナンの偶像にささげた/そのむすこ、娘たちの血を流した。こうして国は血で汚された。このように彼らはそのわざによっておのれを汚し、そのおこないによって姦淫をなした。」(38,39節)
もしかしたら、自分たちの息子や娘を偶像に捧げるために血を流したのでしょう。これは偶像崇拝で自分を霊的に汚すことで、神の崇拝行為からすると姦淫のようなものでしょう。
「それにもかかわらず、~その契約を彼らのために思い出し、そのいつくしみの豊かなるにより、みこころを変えられ、彼らをとりこにした者どもによって、あわれまれるようにされた。」(44~46節)神はかつての契約ゆえに、心を変えて異邦の民があわれむようにされました。
「われらはあなたの聖なるみ名に感謝し、あなたの誉を誇るでしょう。」(47節)
罪びとである我々を憐れむ神にこそ、感謝し、その誉を誇れると思います。