詩篇110
2025-05-03

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
ダビデの歌です。
「主はわが主に言われる、『わたしがあなたのもろもろの敵を/あなたの足台とするまで、わたしの右に座せよ』と。」(1節)
この言葉は1世紀にイエス・キリストが用いました。「律法学者たちが,キリストはダビデの子だと言うのはどうしてですか。聖なる力によってダビデ自身がこう言いました。『ヤハウェは私の主に言った。「私の右に座っていなさい。私があなたの敵たちをあなたの足の下に置くまで」』。ダビデ自身が主と呼んでいるのに,どうしてダビデの子なのですか。」とマルコ12:35~37にあるのです。主というのは実はヤハウェ神のことで、わが主はイエス・キリストのことです。我がとあるのがダビデのことです。つまり正確に訳すと「ヤハウェ神はダビデの主イエス・キリストに言われた。『私がイエス・キリストの敵たちをイエスの足の下に置くまで私の右に座っていなさい』と。」ということでしょう。ヤハウェを主と訳すると間違いが起こりかねません。
「主はあなたの力あるつえをシオンから出される。あなたはもろもろの敵のなかで治めよ。」(2節)
これは将来、イエス・キリストが再臨するときのことでしょう。
「あなたの民は、あなたがその軍勢を/聖なる山々に導く日に/心から喜んでおのれをささげるであろう。あなたの若者は朝の胎から出る露のように/あなたに来るであろう。」(3節)
ダビデは軍隊を持っていました。軍隊に参加する若者は、朝の露のように清らかで美しく大勢集まるのでしょう。
「主は誓いを立てて、み心を変えられることはない、『あなたはメルキゼデクの位にしたがって/とこしえに祭司である』。」(4節)
ヤハウェ神は誓いを立てて、その御心が変わることはありません。そしてイエス・キリストに言うのです。「メルキゼデクのように永遠に祭司である」と。メルキゼデクは創世記に書かれている祭司ですが、どこから来たのかどこまで生きたのか記されていません。つまり永遠にどこまでも祭司であり続けることを示しているのでしょう。
「主はあなたの右におられて、その怒りの日に王たちを打ち破られる。」(5節)
ヤハウェ神は、イエス・キリストの右におられて、地上の諸国家を打ち破るのです。
「主はもろもろの国のなかでさばきを行い、しかばねをもって満たし、広い地を治める首領たちを打ち破られる。」(6節)
イエスが地上で裁くことは、黙示録にはっきり示されています。
「彼は道のほとりの川からくんで飲み、それによって、そのこうべをあげるであろう。」(7節)地上が清められれば、川の水も飲めるようになって、顔を上げるのでしょう。