主な活動場所
横浜市鶴見区社会福祉協議会の
団体交流室

 詩篇113

2025-05-08

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
「主をほめたたえよ。主のしもべたちよ、ほめたたえよ。主のみ名をほめたたえよ。」(1節)
神を褒め称えることを宣言します。神の僕である人々は神の御名であるヤハウェを称えます。
「今より、とこしえに至るまで主のみ名はほむべきかな。」(2節)
以前は神を褒め称えなかったにしても、今から神の御名を褒め称えるべきと歌います。
「日のいずるところから日の入るところまで、主のみ名はほめたたえられる。」(3節)
東から西までどの地域でも、神の御名は褒め称えられるのです。
「主はもろもろの国民の上に高くいらせられ、その栄光は天よりも高い。」(4節)
神は諸国民より高い天におられ、栄光の点では見える天より高いのです。
「われらの神、主にくらぶべき者はだれか。主は高き所に座し、遠く天と地とを見おろされる。」(5,6節)
ヤハウェ神に比肩できる者はいません。神は高き所から天地の状態を見ておられます。
「主は貧しい者をちりからあげ、乏しい者をあくたからあげて、もろもろの君たちと共にすわらせ、その民の君たちと共にすわらせられる。」(7,8節)
心貧しい者であっても、地上の塵から引き揚げてくださいます。そして多くの高官や君主と共に座らせることができます。これはイエス・キリストが地上でお話したことに繋がっています。ルカ伝18章9節から17節で「高慢になる人は皆辱められますが、謙遜になる人は高く評価されるのです」「神の王国はこの子供たちのような人のものだからです。はっきり言いますが、幼い子供のように神の王国を受け入れる人でなければ、決してそこに入れません」とあるのです。つまり、謙遜になって神に「罪深い私に慈悲をお示しください」と自分の状態を正直に告白して神に救いを求める態度が必要なのです。幼い子供も高ぶる態度は示しません。純粋で外見とか気にせず心のおもむくままに行動します。そのように謙遜で素直な態度で神に接しようとすることが大切です。そのような人こそ神の国に入れるのでしょう。神の国は「天国」と翻訳されることが多いのですが、原語からすると「神の取り決め」のようです。神の取り決めは将来、天からイエス・キリストが再臨して地上を清めて天と地が新しくされることです。その時代が何時訪れるのかは神しか知りません。ですから、我々はその時が何時起きても良いように準備をしておくことが重要です。
「また子を産まぬ女に家庭を与え、多くの子供たちの喜ばしい母とされる。主をほめたたえよ。」(9節)
当時、不妊の女はさげすまれていました。神はそのような女にも光をあて、子供が多く生まれるようにしてくださいます。これは霊的な意味かもしれません。クリスチャンを生み出すことができなかった組織が、神の霊の力で多く生まれることかもしれません。
多くのことをしてくださる神を褒め称えるようになるでしょう。